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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
642/783

第一六一回 ②

ヤマサン楼車を(こぼ)たんとして(たちま)ち命数()

ヒスワ侍衛を()たさんとして(すなわ)ち佞臣奏す

 もちろんヒムガイが狙うのはヤマサンの(アミン)ひとつ。よって、道を空けて逃げ散った兵は辛うじて死を(まぬが)れる。いつの間にかヤマサンの周囲には誰もいなくなり、近衛兵(ケシクテン)(やいば)(はば)むものとてない。


 ヤマサンはなぜか馬上にて憮然(注1)たる面持ち。抗議の(ダウン)を挙げるでもなく、ただすらりと(ウルドゥ)を抜き放つ。ヒムガイはそれを見て叫んだ。


「射よ! 矢を放て!」


 応じて忠順(シドゥルグ)な近衛兵たちは、手に手に弓を()って矢をつがえる。一斉に放てばどうして()く逃れようか、吸い込まれるように次々と突き刺さる(カドゥグタダアス)


「…………!!」


 やおら剣を(かざ)しかけたところで動きが止まる。僅かにテンゲリを仰いだと思いきや、がくりと首を折ってそのまま(エメル)から滑り落ちる。どっと(コセル)に伏せって動かなくなったが、あえて誰も近づこうとしない。


「笑面(だつ)め、最期に笑っていたぞ」


 多くのものがそれを目撃してぞっとしたのである。凱歌も歓声もなく、みな目瞬き(ヒルメス)も忘れて立ち尽くす。


 最初に我に返ったのはやはりヒムガイ。あわてて下馬して駈け寄ると、その死をしっかりと確かめる。


「ふむ、間違いなく(アミ)がない」


 (おのの)く東門の兵衆を慰撫して、遺骸を開きかけた(エウデン)から城外に棄てさせる。十分に警戒して辺りを探ったが、敵兵の姿(カラア)はない。(いぶか)しく思いつつも急いで門を閉じる。ひと息()いておもえらく、


「今思えば、『城塞(バラガスン)(まも)る法はただひとつ、()()()()()()()()()()』などとよくもまあ言えたものだ。さてはあのときから(はら)(うち)では今日のことを謀っていたに相違ない」


 ご存じのとおりそれはまったくの誤解だったが、すでに「()()()()()()」。




 そこへ騒ぎを聞きつけた大将軍グルカシュが駆けつける。ヒムガイは念のために戦陣(デム)を組んでこれを迎えた。その様子を見たグルカシュも街道(テルゲウル)に兵を止めて、やはり戦列(ヂェルゲ)を整えるよう命じる。


 一触即発、俄かに殺伐とした空気が漂う。両者はものも言わずに睨み合う。テンゲリは(ようや)く白みはじめ、人やらものやらの輪郭が少しずつ浮かび上がってくる。


 そうするうちに、グルカシュのもとへ逃げ込んだ東門の衛兵(ケプテウル)の訴えで、おおよその事情(アブリ)が伝わる。グルカシュは、ついに勇を奮って一歩進み出る。難詰して言うには、


「青面(ゆう)、これはいかなることか! 笑面獺に何の(オソル)があった!」


 応じてヒムガイも前に出たが、こちらはやや困惑した様子で、


「何をとぼけているのだ。アルビンから何も聞いていないのか?」


「アルビンだと!? それについてもお前に訊きたいことがある」


「何っ?」


「あれは昨日お前を訪ねると言って出たきり、いまだ戻らぬ。どこへやった? 隠すとためにならぬぞ」


 ヒムガイはおおいに驚く。まことに意表を衝かれたので、何とも答えようがない。それをグルカシュは、うしろめたいことがあるのだと決めつけて激昂(デクデグセン)する。(ホロー)を突きつけて、罵って言うには、


「この奸者め! 先に私闘にてタイラントを殺した(アラアサアル)ハラ・ドゥイドがどうなったか、見ていなかったのか? それとも己ばかりは別だと(おご)ったか」


「ま、待て! 大将軍は思い違いをしている」


「どうした、臆したか」


いや(ブルウ)。笑面獺は(ブルガ)に内通しており、城門を開いてこれを迎え入れようとしたために処断したのだ。不穏の動きあらば討て、と皇帝(グルハーン)陛下より密勅も得ている」


 グルカシュはせせら笑って、


「よく回る(ヘル)だ。どこの城門が開いているって? 迎えるべき敵軍とやらはどこにある。密勅云々に至っては誰が信じよう。妄言もほどほどにしておけ!」


 ヒムガイは瞠目して、


(ウネン)だ! 城門は開け放しておくわけにもいかぬゆえ、閉じさせた。たしかに敵の接近(カルク)はなかったが……。な、何か笑面獺がしくじったのだろう! 密勅の件も陛下に確かめれば……」


(さえず)るな。私闘は厳刑である。(ヂャサ)()げることはできんなあ」


「待て! 陛下に……。いや(ブルウ)! まずはアルビンだ、アルビンに……」


 再び激怒して、


「そのアルビンをお前はどうしたのだ!! よもや、あれもお前が……」


「知らぬ! まことに知らぬぞ!」


 身に覚えのない冤罪に周章狼狽して、弁明もままならない。ますますグルカシュはヒムガイが何かやったものだと確信する。顧みて兵衆に攻撃の(カラ)を下さんと身構えた。


 ちょうどそのとき、南方から一群(スルグ)の人馬が駆けてきた。グルカシュもヒムガイも、何ものかと緊張して見遣(みや)る。すると先頭にあった将が手を挙げて叫んだ。


「おおい、待たれよ、待たれよ!」


 よくよく見れば、何と南門を守っているはずのブギ・スベチ。争っていた二将はなぜ彼がここにいるのか、わけがわからず唖然とする。


 よほど急いで来たものと見えて、ブギ・スベチは(アクタ)を止めると、ぜいぜいと息を調(ととの)える。やっとのことで身を起こして言うには、


「双方、矛を収められよ。敵は城外にあるぞ、内に争ってはならぬ。僭越ながら私に仲裁の労を()らせたまえ」

(注1)【憮然】失望、落胆してどうすることもできないでいるさま。また意外なことに驚き呆れているさま。

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