第一六〇回 ③
アルビン北に犬猿を駢べて呼擾虎を悩ませ
ヤマサン東に病者と替わりて青面鼬を駆る
急報を受けたグルカシュは驚愕して、すぐに駆けつける。ハラ・ドゥイドは呆然として門前に立ち尽くしていた。その手にはまだ血染めの短刀を握りしめている。
もちろんタイラントの亡骸もそのままである。兵衆は恐れ戦いて、ただ遠巻きにそれを囲んでいる。
グルカシュは叫んだ。
「何をしている! 捕らえよ!」
兵衆ははっと我に返ると、俄かに怒号を挙げて殺到する。ハラ・ドゥイドに抵抗する意思はなく、たちまち捕縛される。呆けた顔で、抗弁するでもない。
「何たること……」
グルカシュはあまりのことに言うべき言葉も知らない有様。そこへヒムガイも現れて言うには、
「いったい何があった」
「……俺も来たばかりで何が何やら」
「おい、誰か経緯を述べられるものはないか!」
兵衆に質したが、みな首を振るばかり。やっと一人が進み出て、
「仔細は判りませぬが、卒かに口論になって気づいたときにはもう……」
「話にならぬ」
そこでハラ・ドゥイドに目を遣る。跪かされて、数人でそれを押さえつけている。ヒムガイが責めて言うには、
「私闘にて僚友を殺めるとは……。弁明することはあるか!」
「……つ、つい、かっとして」
「もうよい」
みなまで言わせずグルカシュを顧みて、
「大将軍、疾くこの場を収めよ」
「う、ううむ。とりあえず檻車に押し込んでおけ! あとで軍法に照らして処断する。タイラントの遺骸は親族に引き取らせよ」
百人長が恐る恐る尋ねて言うには、
「こ、ここの守りはどういたしましょう?」
大きく舌打ちして、
「俺が守る。青面鼬、四門への応援は貴殿に嘱む」
「やむをえんな。敵に討たれたならまだしも、まさかこのような……」
いつジョルチ軍やナルモント軍が襲ってくるかわからないので、あわてて兵を動かして体裁を整える。幸いにして混乱を悟られることなく配置を了える。
ひと息吐いたところでハラ・ドゥイドの斬首を命じる。もとより死刑に当たる重罪、しかもしかと釈明もできぬようでは救いようがない。
有能とは言えなくとも将は将である。それをつまらぬことで一度に二人も失ったのだから頭が痛い。さらに追い討ちをかけるように早馬が至って、
「征東将軍(※ムンヂウンのこと)様が、闘病虚しく先ほど亡くなりました」
グルカシュは思わず立ち上がると、ばりばりと頭を掻き毟って、
「テンゲリは我らを見棄てるか!」
開戦当初、四門を預かっていた将のうち三人までもが、戦に因ることなく命を落としたことになる。暗澹たる心地でアルビンを召すと、
「もはや神都の命運は尽きたかもしれぬ……」
「何を弱気な。大将軍がそのようでは全軍の士気に関わりますぞ。まだ敵軍の侵入を許したわけではありません」
「しかし……」
アルビンは声をひそめて、
「大将軍。……これは好機かもしれませぬぞ」
「好機?」
「そもそも神都の兵は総て大将軍が帥いていたもの。六軍が創設されて削られた兵力を復するのは、今を措いてないのでは?」
途端に愁眉を開いて、
「なるほど!」
「まずは直属の百人長を抜擢して、千人長になさいませ。そして次第に四門の兵権をこれに与えるのです」
「待て。果たしてブギ・スベチやヒムガイが肯じるだろうか」
「今や大将軍は、タイラントとハラ・ドゥイドの兵を加えております。ブギ・スベチごときはもちろんのこと、青面鼬様とて逆らうことはできますまい」
グルカシュはこれを聞いておおいに喜ぶ。早速、将の補充を名分として皇帝にも元帥にも断りなく千人長を任命する。越権ではあったが、戦時のこととて批判を封じた。
当然、ほかの将はおもしろくない。殊に南門に在るブギ・スベチは、その意図を疑っておおいにグルカシュを怨んだ。
スブデイもまた己が蔑ろにされたことを悟って、烈火のごとく怒る。と、如才なくアルビンが現れて言った。
「ここは度量を示して追認なさるべきです。いえ、いっそ初めから大元帥の指示であったかのように振る舞えば、世間は大将軍ではなく大元帥を称えるでしょう。新任の千人長も恩に感じるはずです」
たちまち機嫌を直して辞令を発する。これに味を占めたスブデイは、良いと思ったものは誰のものでもあとから己の命令であるかのように繕うようになった。
これによって将兵たちからはますます軽侮され、ヒスワはさらに疑心を募らせたが、くどくどしい話は抜きにする。
こうした愚にもつかない騒動を眄めがら、ヤマサンは独り防衛に専心していた。日夜怠りなく警戒していたのでナルモント軍も迂闊に近づけない。それを知ったインジャは、いよいよ北門と南門への攻勢を強める。
遊軍の任を負ったヒムガイは忙しく転戦しながらも、ヤマサンが敵に通じていることをすっかり確信して、いつことを起こすかとそればかりを気にしていた。