第一五九回 ④
インジャ三種の兵器を嘉して尽く命名し
アルビン四門の守禦を攪して頻りに讒訴す
「おい、小者。ゆえなき中傷で欺こうとしているのではあるまいな」
ヒムガイが質せば、アルビンは身を縮めて言うには、
「とんでもない! ……青面鼬様は不審に思われませぬか」
「というと?」
「神箭将らが兵を出したのは、まるで笑面獺が神都に入るのを待っていたかのようではありませんか」
「ううむ……」
腕を組んで唸る。アルビンは声をひそめて、
「笑面獺は隻眼傑に加担した罪を、神都を献ずることによって消そうとしているのではありませんか。光都を逃れたのも自力によってではなく、何らかの密命を帯びて放たれたということもありえますぞ」
「まさか……!」
否定はしたものの、もちろんヒムガイに確信はない。むしろ心中には黒雲のごとく疑念が湧く。アルビンは面を伏せたままだったが、鋭くそれを察して、
「そもそもあれほどの男が、大元帥に諾々と従っていることこそ甚だ奇怪……。畏れながら大元帥は、神箭将や隻眼傑より卓れているとは言えますまい」
「……それは、そうだ」
しぶしぶ首肯する。そこで再び低頭して言うには、
「どうか怠りなきよう。笑面獺はいずれ肚の裡に剣を蔵しております。隙を見せれば何をするか判りませぬぞ」
そう言われてみれば、だんだんとそんな気がしてくる。ヤマサンの常に笑みを浮かべた顔も、何か企みがあるのを韜晦しているようにも思えてくる。しかしたかが小者の言葉をすっかり信じるのも矜持が許さなかったので、
「一応、気には留めておいてやる。もうよい、下がれ」
「承知」
重ねて言い募ることなく、おとなしく拝礼して退く。残されたヒムガイは独り黙考したが、この話はここまでとする。
また別の日、宮中で大騒動が巻き起こった。侍従の一人が何げなく一通の書簡を拾って検めてみれば、あまりの内容に跳び上がってあわててヒスワに報せる。がたがたと震えながら差し出されたそれに目を通すと、やはり驚愕して、
「何だ、これは!?」
「さ、さあ。何が何だか……」
その書簡の体裁はまるで勅命そのもの。しかしヒスワ自身にさっぱり覚えがない。それもそのはず、本来ヒスワの名があるべき箇所には、
ジュレン帝国皇帝 スブデイ
そう記されていたのである。そして勅命を下した相手とは、
昌王丞相大元帥 ヤマサン
ヒスワは目瞬きも忘れて幾度も文字を追ったが、ついに書簡を叩きつけると、
「彼奴らめ! さてはわしを弑して、とって代わろうという魂胆だな!」
激昂して、スブデイの捕縛を命じるためにヒムガイを召す。急ぎ参内したヒムガイに書簡を示して、
「大逆は死罪じゃ! すぐに捕らえよ!」
ヒムガイは仔細に眺めていたが言うには、
「お待ちください。一片の書をもって元帥を罰するのは早計かと存じます」
「んん?」
「敵人による離間の計かもしれませぬぞ」
そう聞けば、衰えたりとはいえかつてはセチェンと称した男である。はっとして考え込んでいたが、やがて言うには、
「敵の間者が宮中に入り込んでいるとでも言うのか」
「そうと決まったわけではありませんが、この書簡はいかにも疑わしい。まことに元帥が謀叛を企んでいるなら、あまりに軽率すぎます」
「笑面獺とやらはどうだ?」
ヒムガイは一瞬返答を躊躇う。先にアルビンに言われたことが脳裏を過ったのである。
「……あれも信を置いてよいものか、まだ判りませぬ」
そしてつい続けて、
「かのものこそ間者ではないか、というものもおります」
ヒスワはみるみる険しい表情になる。口を開くと暗鬱な調子で言った。
「二人をよく監視しておけ。怪しい素振りがあれば斬ってかまわぬ」
「承知」
それ以上書簡については詮索されなかったが、ヒスワやヒムガイの心にはたしかに暗鬼が宿った。いったい誰が何のつもりで作ったものかはいずれ判ること。
かくして神都では宮城の内外で軋轢や疑心が渦巻き、互いに探りあって保身に汲々たる有様だったが、まさしく小人は危地においては必ず乱れ、他人のためには指一本動かすのも吝しまれるといったところ。
そもそも呼擾虎に仕えるアルビンは、一見あれこれと忠言を尽くしているようであるが、一には四門の防衛を惑わし、二には大将軍と大元帥の不和を煽り、三には帰投した智将の信を貶めてしまった。
これではいったい誰のためにはたらいているのかわからない。果たしてかの小者に何か思うところがあるのか。それとも名のとおりただの役立たずなのか。それは次回で。