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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
633/783

第一五九回 ①

インジャ三種の兵器を(よみ)して(ことごと)く命名し

アルビン四門の守禦を(みだ)して(しき)りに讒訴(ざんそ)

 さて、義君インジャは神箭将(メルゲン)ヒィ・チノと約会(ボルヂャル)して、(ハバル)とともに神都(カムトタオ)包囲(ボソヂュ)した。神道子ナユテの進言に(したが)って、今こそ積年の懸案を解決しようという心算。


 思えば奸人ヒスワは、ゴロを(おとしい)れて(バリク)から追って以来(注1)、ことあるごとに好漢(エレ)たちの(オロ)(さまた)げてきた。


 まずはウリャンハタのミクケルと同盟して中原に侵攻した。喪神鬼イシャンの猛勇(カタンギン)の前にインジャはおおいに苦戦して、宿将ハクヒをはじめ、多くの仲間(イル)を失った(注2)。


 またヒィ・チノは即位してほどなく北伐に発ったが、その留守(アウルグ)をセペート部と結んだ神都(カムトタオ)軍に襲われて窮地に(おちい)った(注3)。


 東西に敗れたヒスワは、やがて大院(クルイエ)を廃して皇帝(グルハーン)を僭称(注4)、盛んに南方へ進出する。ついには楚腰道を断って光都(ホアルン)を窺う(注5)。


 このときヒィ・チノと光都(ホアルン)を救って名を上げたものこそ、隻眼傑(ソコル・クルゥド)シノンであった。命運(ヂヤー)の変転とは何と測りがたいものであることか。


 その後、ヒィ・チノとサルチンは鉄面牌(テムル・フズル)ヘカトを神都(カムトタオ)に送り込んで、その(クチ)を弱めることに腐心する(注6)。


 それが奏功してしばらくは逼塞していたが、一昨年に至って叛乱(ブルガ)を起こしたシノンに呼応、(にわ)かにウルヒン平原に派兵してヒィを敗走せしめた(注7)。


 ヒスワは単独でインジャたちに伍する力を有したことはない。必ずその敵人(ダイスンクン)と盟を結んで攻めてくる。しかもこれ以上に(わずら)わしいときはないという(チャク)を見計らって。こと戦機を計る(アルガ)においては、右に出るものはないと言ってもよい。


 にもかかわらず常に敗れてついに版図(ネウリド)を拡げることができないのは、ひとえにその兵が弱卒であることと、暴政によって疲弊(ハウタル)していることに因る。


 ともあれ、もはやこれを放置しておくことはできないというわけである。




 話を今に戻して、神都(カムトタオ)を包囲されたヒスワはあわてて軍議を開く。その末席に連なったのは、何と笑面(だつ)ヤマサン。将軍たちに(エイエ)を説いて防備を固める。


 また呼擾虎(こじょうこ)グルカシュの下にはアルビンなる胡乱(うろん)な男があって、これに勧めて大将軍の権限を(みだ)りに振るわせる。四門を(まも)る将軍たちは反発したが、ともかく籠城戦は始まった。


 カオロン(ムレン)に面する西側(バラウン)を除いて、インジャたちは大兵を展開する。(ホイン)にはジョルチの中軍(イェケ・ゴル)八千騎。(ヂェウン)はナルモント軍一万二千騎。そして(ウリダ)にマシゲル軍五千とイレキ軍五千の併せて一万騎(トゥメン)


 西は余地がないので兵こそ配していないが、(ムレン)の対岸にベルダイ軍を哨戒させる。また舟を並べて中原からの補給を担わせる。


 東原からの補給はアケンカム氏。また北伯ケルンも鍾都(ハガム)の南郊に営して、いつでも駆けつけられるように待機する。


 インジャたちの狙いは持久の策。すなわち自軍の兵站を充実させて、城内の糧食(イヂェ)や物資が()きるのを待つ方略。


 もちろん手を(こまぬ)いて無為に待つわけではない。百策花セイネンや百万元帥トオリルが、神都(カムトタオ)出身の蓋天才ゴロや飛生鼠ジュゾウと(はか)って、種々の攻城兵器を考案する。


 先に小ジョンシ氏の拠るタムヤを攻めたとき(注8)には、攻城の経験がほぼなかったため、おおいに苦しんだ。今も克服したとは言いがたいが、当時にはない智慧もなくはない。


 またそのころと違うのは、森の民(オイン・イルゲン)助力(トゥサ)によって豊富な木材が手に入ることである。神都(カムトタオ)攻略を決めたときから、北伯ケルンに命じて(モド)を伐りださせていた。


 陸から河から運ばれた大小の木材を、ゴロの設計に(したが)って加工する。実地に兵衆を指揮するのはジュゾウ。お忘れのこととは思うが、彼が神都(カムトタオ)に在ったころの稼業は建具屋である(注9)。余人に比べれば木材の扱いに()けている。


 こうして作製されたのは、ひとつは長大な梯子。城壁(ヘレム)に立てかけて突入を(かく)する。またひとつは巨木(ネウレ)の先端を尖らせた(ガダス)(テルゲン)に載せたもの。こちらは城門に突進させて破壊を試みる。


 別の車の上には、二丈(注10)ほどの(やぐら)を組む。これは弓兵を(のぼ)らせて壁上の敵兵に矢を浴びせることによって、攻城兵器の接近(カルク)を助けるもの。また状況次第でそのまま前進して城壁に着けてしまえば、直に兵を送り込むこともできうる。


 矢を防ぐべき(ハルハ)に至っては、膨大な数が作られる。


 攻城の兵器がひとつ完成すると、兵を選んで自在(ダルカラン)に進退できるようになるまで調練を施す。それを見て改良するべきは改良して実戦に備える。


 みな初めて見る兵器の数々におおいに興奮して、さすがの神都(カムトタオ)も必ず落とすことができるだろうと期待に胸を膨らませたが、くどくどしい話は抜きにする。

(注1)【ゴロを(おとしい)れて……】家宰に過ぎなかったヒスワが、ハツチからの書簡を利用して主人であるゴロを陥れたこと。これより16年前(西暦1202年)。第一 四回②参照。


(注2)【ミクケルと同盟して……】ヒスワはミクケルを(そそのか)してともにインジャを攻撃した。第二 〇回②、第二 三回①など参照。ハクヒの戦死については、第二 五回②参照。その後、山塞に逃れたインジャと激しく戦う。第二 八回④以降参照。


(注3)【ヒィ・チノもまた……】ヒスワはヒィ・チノの留守を攻撃。ショルコウの活躍で何とかこれを防いだ。第四 五回②など参照。舟を焼かれたヒィは窮したが、光都(ホアルン)のサルチンによって助けられ、またヘカトの献策によって神都(カムトタオ)包囲(ボソヂュ)して留守地(アウルグ)を救った。第四 七回①など参照。


(注4)【皇帝(グルハーン)を僭称】インジャたちへはチャオがこれを伝えた。11年前(西暦1207年)のこと。第五 二回④参照。


(注5)【楚腰道を断って……】8年前(西暦1210年)。第九 〇回①参照。


(注6)【ヘカトを神都(カムトタオ)に……】第九 一回②参照。


(注7)【ウルヒン平原に派兵】ヒィはこのために東原を放棄、北原への退避を余儀なくされた。第一五〇回③参照。


(注8)【タムヤを攻めたとき】ジョルチ統一戦の掉尾を飾る戦。包囲して万策を試みたが、ついに外から破ることはできなかった。第五 四回②参照。チルゲイたちが城内に潜入して城壁(ヘレム)を爆破することによって攻略した。第五 六回①参照。


(注9)【建具屋である】第一 一回④参照。


(注10)【二丈】一丈は十尺。一尺は23.5センチ。すなわち二丈は約4メートル70センチ。

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