第一五九回 ①
インジャ三種の兵器を嘉して尽く命名し
アルビン四門の守禦を攪して頻りに讒訴す
さて、義君インジャは神箭将ヒィ・チノと約会して、春とともに神都を包囲した。神道子ナユテの進言に順って、今こそ積年の懸案を解決しようという心算。
思えば奸人ヒスワは、ゴロを陥れて街から追って以来(注1)、ことあるごとに好漢たちの志を妨げてきた。
まずはウリャンハタのミクケルと同盟して中原に侵攻した。喪神鬼イシャンの猛勇の前にインジャはおおいに苦戦して、宿将ハクヒをはじめ、多くの仲間を失った(注2)。
またヒィ・チノは即位してほどなく北伐に発ったが、その留守をセペート部と結んだ神都軍に襲われて窮地に陥った(注3)。
東西に敗れたヒスワは、やがて大院を廃して皇帝を僭称(注4)、盛んに南方へ進出する。ついには楚腰道を断って光都を窺う(注5)。
このときヒィ・チノと光都を救って名を上げたものこそ、隻眼傑シノンであった。命運の変転とは何と測りがたいものであることか。
その後、ヒィ・チノとサルチンは鉄面牌ヘカトを神都に送り込んで、その力を弱めることに腐心する(注6)。
それが奏功してしばらくは逼塞していたが、一昨年に至って叛乱を起こしたシノンに呼応、卒かにウルヒン平原に派兵してヒィを敗走せしめた(注7)。
ヒスワは単独でインジャたちに伍する力を有したことはない。必ずその敵人と盟を結んで攻めてくる。しかもこれ以上に煩わしいときはないという機を見計らって。こと戦機を計る才においては、右に出るものはないと言ってもよい。
にもかかわらず常に敗れてついに版図を拡げることができないのは、ひとえにその兵が弱卒であることと、暴政によって疲弊していることに因る。
ともあれ、もはやこれを放置しておくことはできないというわけである。
話を今に戻して、神都を包囲されたヒスワはあわてて軍議を開く。その末席に連なったのは、何と笑面獺ヤマサン。将軍たちに和を説いて防備を固める。
また呼擾虎グルカシュの下にはアルビンなる胡乱な男があって、これに勧めて大将軍の権限を濫りに振るわせる。四門を衛る将軍たちは反発したが、ともかく籠城戦は始まった。
カオロン河に面する西側を除いて、インジャたちは大兵を展開する。北にはジョルチの中軍八千騎。東はナルモント軍一万二千騎。そして南にマシゲル軍五千とイレキ軍五千の併せて一万騎。
西は余地がないので兵こそ配していないが、河の対岸にベルダイ軍を哨戒させる。また舟を並べて中原からの補給を担わせる。
東原からの補給はアケンカム氏。また北伯ケルンも鍾都の南郊に営して、いつでも駆けつけられるように待機する。
インジャたちの狙いは持久の策。すなわち自軍の兵站を充実させて、城内の糧食や物資が竭きるのを待つ方略。
もちろん手を拱いて無為に待つわけではない。百策花セイネンや百万元帥トオリルが、神都出身の蓋天才ゴロや飛生鼠ジュゾウと諮って、種々の攻城兵器を考案する。
先に小ジョンシ氏の拠るタムヤを攻めたとき(注8)には、攻城の経験がほぼなかったため、おおいに苦しんだ。今も克服したとは言いがたいが、当時にはない智慧もなくはない。
またそのころと違うのは、森の民の助力によって豊富な木材が手に入ることである。神都攻略を決めたときから、北伯ケルンに命じて木を伐りださせていた。
陸から河から運ばれた大小の木材を、ゴロの設計に順って加工する。実地に兵衆を指揮するのはジュゾウ。お忘れのこととは思うが、彼が神都に在ったころの稼業は建具屋である(注9)。余人に比べれば木材の扱いに長けている。
こうして作製されたのは、ひとつは長大な梯子。城壁に立てかけて突入を画する。またひとつは巨木の先端を尖らせた杭を車に載せたもの。こちらは城門に突進させて破壊を試みる。
別の車の上には、二丈(注10)ほどの櫓を組む。これは弓兵を上らせて壁上の敵兵に矢を浴びせることによって、攻城兵器の接近を助けるもの。また状況次第でそのまま前進して城壁に着けてしまえば、直に兵を送り込むこともできうる。
矢を防ぐべき盾に至っては、膨大な数が作られる。
攻城の兵器がひとつ完成すると、兵を選んで自在に進退できるようになるまで調練を施す。それを見て改良するべきは改良して実戦に備える。
みな初めて見る兵器の数々におおいに興奮して、さすがの神都も必ず落とすことができるだろうと期待に胸を膨らませたが、くどくどしい話は抜きにする。
(注1)【ゴロを陥れて……】家宰に過ぎなかったヒスワが、ハツチからの書簡を利用して主人であるゴロを陥れたこと。これより16年前(西暦1202年)。第一 四回②参照。
(注2)【ミクケルと同盟して……】ヒスワはミクケルを唆してともにインジャを攻撃した。第二 〇回②、第二 三回①など参照。ハクヒの戦死については、第二 五回②参照。その後、山塞に逃れたインジャと激しく戦う。第二 八回④以降参照。
(注3)【ヒィ・チノもまた……】ヒスワはヒィ・チノの留守を攻撃。ショルコウの活躍で何とかこれを防いだ。第四 五回②など参照。舟を焼かれたヒィは窮したが、光都のサルチンによって助けられ、またヘカトの献策によって神都を包囲して留守地を救った。第四 七回①など参照。
(注4)【皇帝を僭称】インジャたちへはチャオがこれを伝えた。11年前(西暦1207年)のこと。第五 二回④参照。
(注5)【楚腰道を断って……】8年前(西暦1210年)。第九 〇回①参照。
(注6)【ヘカトを神都に……】第九 一回②参照。
(注7)【ウルヒン平原に派兵】ヒィはこのために東原を放棄、北原への退避を余儀なくされた。第一五〇回③参照。
(注8)【タムヤを攻めたとき】ジョルチ統一戦の掉尾を飾る戦。包囲して万策を試みたが、ついに外から破ることはできなかった。第五 四回②参照。チルゲイたちが城内に潜入して城壁を爆破することによって攻略した。第五 六回①参照。
(注9)【建具屋である】第一 一回④参照。
(注10)【二丈】一丈は十尺。一尺は23.5センチ。すなわち二丈は約4メートル70センチ。