第一五八回 ③
ナオル猛将を加えて亜喪神を退け
スブデイ智者を得て神都城を衛る
奔雷矩オンヌクドによって亜喪神の撤退を知らされたインジャたちは、快哉を挙げて留守の諸将を称えた。また東原南半、すなわち南伯シノンの麾下にあった小氏族も、粛々とヒィ・チノの威令に従う姿勢を見せている。
さまざまな憂いがなくなったので、いよいよナユテが献策した神都の件にとりかかることにする。飛生鼠ジュゾウを遣って諮れば、ヒィ・チノもまたおおいに喜んで、
「善し」
ひと言で同意する。
かくして春も目前に迫ったある日、例のオハザフ平原にて約会することになった。インジャはセイネンら数人の僚友とともに三千騎をもって赴く。ヒィ・チノもまた三千騎を率いて現れる。
二人は秋以来の再会を祝して、笑顔で礼を交わす。互いに譲りながら幕舎に入り、左右に分かれて腰を下ろす。まずは冬の間のことどもを語りあったが、幸いにして特筆すべきこともない。そこでインジャは、神都攻略の可否を改めて問う。
もとよりヒィ・チノにとっても、神都のヒスワは喉に刺さった小骨のごときもの。インジャの助勢が得られるのならば、拒む道理もない。かつて光都の楚腰公サルチンにも、神都を取り戻すことを約している(注1)。
異を唱えるものもなかったので、すぐに準備を始めて春とともにこれを包囲することに決する。あとはお決まりの宴、盛大に飲んで散会する。
そして春。インジャは冬営地を発って北上する。ナユテの献言に順って、石沐猴ナハンコルジに千騎を与えて光都に遣る。
また神風将軍アステルノを中原に返して、代わって碧水将軍オラルを呼び寄せる。率いる兵は五千騎。
再びベルダイ軍も参戦させるべきとの声もあったが、先に亜喪神撃退に苦労したことから中原の備えに残すことにした。これは四頭豹の狙いどおりといったところ。それでもナルモント軍と併せて約三万騎が集結、意気揚々と神都を指す。
途上、金毛狗ダルチムカのアイルを襲う。呉侯前将軍として栄耀を極めたのも今は昔、癲叫子ドクトによって易々と討ち取られる。神都に急を告げることすらかなわない。
おかげでヒスワが敵の襲来を知ったのは、すっかり包囲されてからのこと。そもそも草原においては、「遠くに眼を持たざるものは亡び、近くに耳を有たざるものは失う」と謂うが、まさに眼も耳もない有様。あわてて諸将を召して軍議を開く。
居並んだのはまず大元帥スブデイ・ベク、大将軍たる呼擾虎グルカシュ、また近衛大将たる青面鼬ヒムガイ。そして征東将軍ムンヂウン、征西将軍ハラ・ドゥイド、征南将軍ブギ・スベチ、征北将軍タイラント。
もう一人、うっすらと笑みを湛えたものが末席にある。だがその目はまるで笑っていないどころか、微かに瞋恚の炎が揺らめいている。
まずヒスワが重い口を開く。
「……よもや神聖なるこの都を囲むとは、テンゲリをも畏れぬ連中だ。いかにして退けよう」
すぐには答えるものもない。ヒスワの顔がみるみる歪む。それを察して従弟のスブデイがとにかく言うには、
「呼擾虎、策を出せ」
名指されたグルカシュは眉間に皺を寄せて、
「軍を帥いるのはスブデイ様。我らは命令に従うだけのこと」
冷たく言い放つ。かつて鉄面牌ヘカトが蒔いた不和の種(注2)は、枯れることなく生長している。余の将軍たちも互いに牽制するばかりで、黙したまま。
スブデイは苛立って、
「この役立たずどもめ! 日ごろ高禄を食んでいるのは、このときのためではないのか!」
叫び散らしたが、その声は沈黙に呑まれる。呆然としているところに、
「僭越ながら、よろしいでしょうか」
末席の男が静かに切りだす。助かったと言わんばかりに喜んで、
「おお、おお、かまわぬとも! 何でも言うがよい」
諸将は不審げな顔で男を見遣る。実は誰も彼を知らない。なぜ同席しているかもわからない。堪えきれずヒムガイが制して、
「お待ちを。大元帥、此奴は何ものですか?」
すると誇らしげに答えて言うには、
「ふっふっふ。このものはな、ヤマサンといって、あの隻眼傑の片腕だった逸材。光都を逃れたのち、このわしを恃んで流れてきたのよ」
何と男はあの笑面獺。胸宇に怨嗟を秘めて投じたのは神都だったという次第。これを聞いた諸将はおおいに驚く。無知な彼らでもその高名は聞き及んでいる。ブギ・スベチが目を見開いて、
「まことに、まことにあのヤマサンか!?」
末席の男はくすりと笑って、
「たしかに私はヤマサンです。しかし真偽はどうあれ、たいしたことではありますまい」
「何と……」
「肝要なのは外敵を退けること。有用な策であれば誰のものであろうとよろしいでしょう?」
「はっはっは」
卒かに笑声を放ったのは高き座にある奸人ヒスワ。みなが驚いて注視すると言うには、
「気に入った! そのとおりだ。たしかにお前が誰でもかまわない。この危機を救えるのか」
「はい。城塞を衛るのは、難しいことではありません」
「ほう、壮語したな」
(注1)【いずれ神都を……】ヒィ・チノはかつて神都を落としたらサルチンたちに譲ることを口頭で約した。第九 一回④参照。
(注2)【ヘカトが蒔いた不和の種】第一〇二回④参照。