表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻二
63/783

第一 六回 ③

インジャ(すなわ)ち虜囚と為りて女傑に()

アネク(たちま)ち玉質を(そこ)ない義君に救わる

 ハツチが思わず、おおと(ダウン)を漏らす。ジュゾウが喜んで縄を解こうとするのをナオルが制して、


「待て、罠かもしれぬ。もうひとつ質問することをお許しください。マシゲル部に(とつ)いだのはホエレン家の(オキン)(注1)でしたね」


 これを聞くと、アネクは(ニドゥ)を円くして首を振った。それを見るやナオルはぱっと平伏する。ジュゾウはあわてて縄を解いて猿轡(さるぐつわ)を外し、インジャ、ハツチも揃って膝を折る。アネクは虚を衝かれて呆然としている。


「数々の無礼(ヨスグイ)、ご容赦ください。実は私はフドウ氏族長(ノヤン)のインジャと申します。ベルダイ左派(ヂェウン)のアイルを訪ねようと参ったところ、図らずも密偵と間違われて虜囚の憂き目を見た次第。こちらが左派の(トイ)なのか右派(バラウン)の陣なのか判然としなかったので、迂闊に名乗るわけにもいかず、やむをえずご寝所を騒がせたというわけです」


 四人の好漢(エレ)は揃って陳謝する。アネクは衝撃から青ざめたままだったが、はっと気づいて言うには、


「すると、あなたが右派の軍勢をメルヒル・ブカで破った名高き(ネルテイ)フドウのインジャ殿だと云うのか」


はい(ヂェー)。こちらは義弟のジョンシ氏族長(ノヤン)ナオル。それから背の高いのがハツチ、低いのがジュゾウ。どちらも神都(カムトタオ)のものです」


 そう言って(ヌル)を上げて正視すれば、アネクは思わず(ハツァル)を染めて(うつむ)く。


「それにしても、もっと方法が、違うやり方があっただろうに……。なぜ名乗らなかったの? こちらこそとんだ無礼をしてしまって……」


 寝具の端を(ホロー)(もてあそ)びながら、恥ずかしそうにしている。


「それはもし、名乗ったりすればそれこそ、ここが右派の陣であったら、首が飛ぼうというもの……」 


 インジャもつられて(ヘル)が鈍る。見れば(チフ)まで赤く染めている。それもそのはず、インジャは同じ年ごろの(オキン)と面と向かって話したことがほとんどなかったのである。しかもそれが魅惑的な美しい少女(オキン)なのだからなおさらのこと。


 ジュゾウなどは内心おもしろがって、二人の様子をにやにやしながら観ている。二人が真っ赤になって黙ってしまったので、場には何とも形容しがたい空気が流れた。ジュゾウはますますおかしくてしかたがない。


 だがそこでハツチが間の抜けた声で、


「ところで、このあと我々はどうしたらいいんで?」


 アネクは、はっと我に返ると、


「す、すぐに寝所を用意させましょう。しばらくここでお待ちください」


 とて、逃げるように走り去ってしまった。ジュゾウはハツチを睨みつけて、


阿呆(アルビン)め!」


 言うなり、ぽかりと殴ったが、くどくどしい話は抜きにする。




 ともかくこうして疑いは解け、かえってベルダイの客人(ヂョチ)として遇されることになった。翌日の夜には行き違いを(オス)に流すべく宴席が設けられ、アネク自ら四人に酌をして回った。もちろん衣装も軍装ではない。


 ジュゾウはずっと頬が緩みっぱなしである。ハツチは緊張して注がれるままに黙々と飲んでいる。何か尋ねられても、「はっ」とか、「うっ」とかわけのわからぬ答えを返している。席上、ふとアネクが言った。


「それにしても変ね。あなたたちは左派右派の見分けがつかなかったらしいけど、(トグ)が違うのよ。知らなかった?」


 四人は一様に驚く。アネクが笑って言うには、


「左派の旗は縁取りが薄黄色(コンゴクチゥド)、右派の縁取りは灰青色(オレ)だから、一目瞭然なのに」


「……気づかなかった」


 ナオルが溜息混じりに言った。


「あら、それでよく(ソオル)に勝ったね」


 そして少し言いにくそうに続けて言うには、


「……それを知っていれば、昨晩あんなことをしなくてよかったのに」


 一同は真っ赤になって(うつむ)く。アネクは嫣然として微笑むと、


「ふふ、気にしてないよ。さあ、飲みなさいな。どうぞどうぞ」


 そのあとはマシゲルとの婚姻の話題などで盛り上がり、深更まで飲み交わして、すっかり打ち解けるに至った。


 翌日、四人はアネクに見送られて、いよいよトシ・チノのアイルへ向かうことにした。道中、ふとナオルがジュゾウに言った。


「おい、やはりあんなことしなくてもよかったんじゃないか。見張りを縛った時点で(アクタ)を奪って逃げればよかったんだ。ジュゾウ、さては変な気を起こしたな」


 高らか(ホライタラ)に笑うと舌を出して言うには、


「いやあ、あんな美人(ゴア)を放って去るなんてね。もう一度尊顔を拝しておこうと思いまして」


「やっぱりそうか! あのときはそれしかないと思ったが、いやはや」


「アネク様を押さえつけたときには、ちと妙な気分になりましたぜ」


「こいつめ!」


「でもおかげでアネク様とご縁ができたじゃありませんか。あのまま逃げていたら今後気まずいところでしたよ」


 そんな調子で一行はまことに呑気に馬を進めていた。ところがわずかに半日ばかり経ったところで、うしろから彼らを呼び止める声がある。何ごとかと身構えれば、ただ一騎追ってくるものがあった。


「何ものだ!」


 ナオルが誰何(すいか)すると、


「アネク様の麾下のものです! 怪しいものではありません」


 見れば完全(ブドゥン)な武装の上、(ムル)からは出血している。さては凶事が起こったかと即座に見当をつける。男は苦しそうに(あえ)ぎながら、


「インジャ様が発って間もなく、サルカキタンの軍勢に襲われたのです。今はアネク様の指揮のもと持ち(こた)えてはおりますが、敗色は濃厚です。それがしは救援(トゥサ)を求めるべく族長(ノヤン)様のもとに馳せ参じるところです」


 四人の好漢はこれを聞いておおいに驚いた。ジュゾウが真っ先に言った。


「戻りましょう。あの気性(チナル)じゃアネク様は一歩も退きませんぜ。だとしたら(アミン)を失うか、捕らえられて(はずかし)めを受けるかふたつにひとつだ。サルカキタンごときにアネク様が辱められるなど以ての外じゃありませんか」

(注1)【ホエレン家の娘】マシゲル部に(とつ)いだアンチャイは、キハリ家の娘。罠を警戒したナオルがわざと異なる家名を言ったのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ