第一五六回 ③
ドルベンの奸謀を以て半日にて巨星墜ち
クミフの明察に依りて一歳にて賢良出づ
三人は驚きのあまり、しばらくは無言で立ち尽くす。老婆もまた何も言わない。表情もなく闖入者を眺めている。と、クミフが入ってきて、
「外には何もなかったよ。こっちは……」
言いかけたところで老婆に気づいて、はっと息を呑む。ナユテが我に返って、
「貴女はいったい……」
問いかければ漸く応えて、痩せ細った右手をそろそろと伸ばす。言うには、
「……この先に進んではいかん」
見ればその背後に曰くありげな戸がひとつ。四人は顔を見合わせて頷く。ジュゾウが一歩踏みだして、
「悪いがそこを退いてくれ。退かないってんなら、無理にも退いてもらうよ」
「いかん。この戸は決して開けぬよう、きつく言われておるのだ」
「きつく……。って、誰にだい?」
「息子だ」
四人はおおいに驚く。ミヒチが尋ねて、
「それはもしかしてヤマサンのこと?」
「そうだ」
何と老婆はヤマサンの母。これほど信が置けるものはほかにあるまい。いよいよ先に進まないわけにはいかない。
「さあ、婆さん。退いた、退いた。ちょいと失礼」
ジュゾウが近づいて、椅子ごと抱え上げる。
「こら、何をする! やめろ!」
目を剥いて抗うが、かまわず房の外に運び出してしまった。なおもジュゾウの袖に縋りついて喚く。すっかり辟易しつつ、
「俺は婆さんを押さえておくから、神道子たちで見てきてくれ」
「承知。あとは嘱んだ」
「早くしてくれよ。殴っておとなしくさせるわけにもいかない」
戸にはしっかりと鍵が掛けられていた。クミフがほかの房から槌を見つけてきて一気に叩き破る。
そこは狭くて暗い一室。見たところぽつんと長持がひとつ置いてあるきりで、ほかには何もない。燭台に火を点けてぐるりと見回してみる。ミヒチが首を捻って、
「この長持……。頻繁に動かした跡がある……」
「あっ、そこ!」
クミフが目敏く何か見つけたらしい。指すほうを見れば、長持の下に半ば隠れてはいるが、床に二尺四方の板が嵌め込まれている。端に指を掛けられる溝が付いている。
ナユテは燭台をミヒチに託して、長持を押し退ける。案に相違して軽い。しゃがみ込んで仔細に観察する。試しに動かそうとしてみたところ、容易に開きそうである。
「よし、開けるぞ」
声をかければ、二人はごくりと唾を呑んで首肯する。溝に指を掛けて引き上げる。板は案の定あっさり外れて、ぽっかりと空洞が現れる。梯子があって下に降りられそうである。
「照らしていてくれ。ちょっと降りてみる」
ナユテはまず梯子を拏んで揺さぶってみる。しっかりとした造りである。ふうとひと息吐くと、床に手を突いてそろそろと足を下ろす。梯子を捉えると一段ずつ慎重に降りる。
「よく見えないな。灯を」
燭台を受け取って、もう数段下ったところで辺りを照らす。
「あっ!」
「何!? どうしたの?」
クミフの問いに答えて、
「牢だ! 中に誰かいる!」
闇を透かしてさらに窺う。数尺の狭い檻が設えてあり、一人の男が黙然と座しているようだ。眠っているのか、何の反応もない。
ナユテは急いで下りてしまうと、近づいて灯を翳す。
「どう? 鳳毛麟角?」
頭上からミヒチが尋ねる。
「ちょっと待て……。おい、君、目を覚ませ。まさか、死んで……?」
男はがっくりと項垂れている。髪も髭も伸び放題、袍衣もほつれ、汚れて無惨な有様。
「……いや、息はある! 槌を! 檻を破る」
クミフが槌をゆっくりと差し入れる。燭台を床に置いてこれを受け取ると、
「さあ、今助けてやるからな。ちょっと大きな音を立てるが辛抱してくれ」
迷わず槌を振り上げる。二度、三度と錠に叩きつければ、やがて弾け飛ぶ。槌を抛りだして中に入ると、男の両肩に手を置いて、
「おい、しっかりしろ」
やっと男は顔を上げて、虚ろな目を向ける。苦しげに息を漏らしつつ言うには、
「……あ、ああ。……君は?」
「神道子ナユテ。ヒィ・チノに頼まれて人を探している。君は鳳毛麟角か?」
男は僅かに瞠目して、
「然り、然り」
それだけ言うと激しく咳き込んで気を失ってしまう。ナユテはとりあえず上で待っている二人に告げて、
「いたぞ! 鳳毛麟角だ!」
ミヒチとクミフはわっと歓声を挙げる。
「喜ぶのはまだ早い。随分と弱っている。娃白貂は湯を沸かせ。白夜叉は飛生鼠を呼んできてくれ」
ツジャンはすっかり痩せ細って老人のごとく軽かったが、自ら動くことができなかったので、おおいに苦労して上階に上げる。敷布に寝かせて顔やら身体やらを拭き清め、水を含ませたり、手足を擦ったりして介抱に努める。
そうこうするうちに、いつの間にかヤマサンの母は姿を晦ましてしまった。