第一五六回 ②
ドルベンの奸謀を以て半日にて巨星墜ち
クミフの明察に依りて一歳にて賢良出づ
ヤマサンは必死に盟友の姿を索めていた。ときに戦い、ときに逃げつつ四方に目を配る。もはや光都の陥落は避けられない。となれば何としてもシノンを助けて脱出させねばならない。
すでに市中は敵軍によって大半を制圧されている。どうやら北門も破られたようだ。ヤマサンの顔を知るものも多い。うろうろしていれば自らの身も殆うかったが、一顧だにしない。
そして、ついにシノンを発見する。
馬を降りると、目瞬きも忘れてそれを見下ろす。やがてどっと膝を突いた。手を伸ばしてその頬を撫でる。
莫逆の友は、無数の傷を負ってすでに死んでいた。隻眼傑と称された英傑の姿はどこにもない。ほかの無名の兵卒と同じように屍となって転がっていた。
「…………」
言葉はない。涙もない。感情もない。世界すらも失われたようであった。
しばらく跪いていたが、漸くのろのろと立ち上がりかける。ふと思い立って、シノンの左眼を掩っていた眼帯を外して、懐中に入れる。呟いて言うには、
「冥府で待ってろ。俺もほどなくそちらへ行く。……だが、為すべきことを為してからだ」
シノンであった屍は両目を閉じており、眼帯がなければ隻眼であることすら判らない。
「隻眼傑はたしかに死んだ……」
そのあとは迷いもなく速足に去る。顧みることもない。ヤマサンは混乱に紛れて光都を脱出したが、どこへ向かったかはのちに明らかになること。
混乱の中、走り回っていたのはヤマサンばかりではない。勝利目前の攻囲軍のほうにもそうするべきものがあった。
ツジャンを探す娃白貂クミフたちである。余の三人、すなわち神道子ナユテ、飛生鼠ジュゾウ、白夜叉ミヒチもすでに合流している。光都攻防の間隙を縫ってじっくり探索するつもりが、急転直下の事態にあわてたのは彼女たちも同様である。
最初からシノンとツジャンは水と油のごとく交わらなかった。落城の危機に瀕して、ヒィ・チノが恃みとするツジャンの命だけは奪わんとするかもしれない。
いや、英傑を自任するシノンにその発想はないかもしれない。だが、あのヤマサンは何をするかわからない。友のためなら何をするにも躊躇しないことを、少なくともミヒチは知っている。
長らく光都に潜入していたクミフによれば、中央の官庁の牢獄にいないことは間違いないとのこと。いったいどこに隠したのか、八方手を尽くして探ったがいまだ所在が把めない。塔の上や寺院、空き家など、それらしきところはすべて検めた。
ジュゾウが言うには、
「どこにもいないぞ。まさかもう殺されているんじゃ……」
ナユテがそれを制して、
「迂闊なことを言うな。思うに、きっと生きている」
「ならよいが」
「鳳毛麟角ほどの名士をこっそり殺すのはむしろ益が少ない。どうせなら広く処刑を喧伝して、神箭将に打撃を与えようとするだろう」
「なるほど」
またミヒチが言うには、
「鳳毛麟角を生かしておけば、これを交渉に用いて包囲を解かせることができるかもしれない。笑面獺なら籠城を決めたときにあらゆる策を想定している」
「ははあ。ところが交渉する間もなく門が開いたってわけか」
「そう。連れ出す暇もなかったはず。だから鳳毛麟角はきっとどこかで救助を待っている」
と、クミフが俄かに足を止めて余の三人を顧みる。そこはやや広壮な邸宅の前。長い石塀が続いていて中の様子は見えない。
「笑面獺は、鳳毛麟角を絶対に逃がしたくない。だから信用あるものに監視を命じていたはず。ここはどうだろう?」
ナユテが目を上げて問う。
「ここは?」
「笑面獺の自邸」
それを聞いて余の三人は、あっと声を挙げる。なるほど、目の届くところに置いておくことは十分に考えられる。
石塀の高さは身の丈の倍ほどもあったが、クミフにとってはどうということもない。ひらりと跳び越えて塀の向こう側へ消える。
「誰もいない。門に回って。内から開く」
三人は頷き合って塀に沿って走る。待っていると、ほどなく門が開く。すばやく中に滑り込む。クミフが小声で言うには、
「人の気配がほとんどない」
ナユテが答えて、
「この騒ぎだ。逃げ散ったのかもしれない。とにかく探そう」
クミフが庭を、余の三人が邸内を探索することにした。片端から房を検める。誰も出てこないので、次第に大胆になってツジャンの名を呼びながら駈け回る。
「あっ!」
卒かに叫んだのはミヒチ。ほかの房にあったナユテとジュゾウがあわてて駈けつければ、ミヒチが呆然と立っている。
その視線の先には、一人の老婆が端座していた。