第一五五回 ④
シノン黒袍の塋を定めて気概を顕し
ヤマサン莫逆の友を助けて城塞に拠る
シノンが光都に逃げ込んだことを知ったヒィ・チノは、インジャと諮ってすぐに追討の軍を興す。北原の慰撫を了えた一丈姐カノンと黒鉄牛バラウンも合流し、総勢四万騎ことごとく揃って楚腰道を南下する。
光都を落として賊魁シノンとその盟友ヤマサンを葬るとともに、どこかに監禁されている鳳毛麟角ツジャンを救出せねばならない。
先にクミフが潜入して探っているはずであるが、さらにナユテ、ジュゾウ、ミヒチの三名を送り込むことにする。数十里も手前で一旦兵を止めて休養させつつ、三人が城内に入る時日を稼ぐ。
三日ほど待って、再び進発する。漸く城壁を望めば、当然城門は閉じられており、壁上には旌旗が林立している。
「降るつもりはないようですな」
ワドチャが言えば、ヒィ・チノは鼻で笑って、
「俺は今さら助命を乞うような阿呆を重用したつもりはない」
「つまらぬことを申しました」
あわてて謝る。
四万騎は整然と列を成して、静かに包囲にかかる。
正面とも云うべき北側にはヒィ・チノのナルモント軍、カオロン河を背にする西側にはインジャのジョルチ軍、同じく南側にはギィのマシゲル軍、広く平原に面した東側にはトシ・チノのベルダイ軍が布陣した。アステルノのヤクマン軍は遊軍として待機する。
ほどなく布陣は完了し、城塞の四囲は兵馬で埋め尽くされる。これについては軍議の席上で百万元帥トオリルが諫めて、
「定石では『囲師には必ず闕く(注1)』として、完全な包囲を戒めております。何となれば、退路が塞がれていれば城兵は心を決めて頑強に抵抗するため、攻城側の損害も甚大なものにならざるをえないからです。ここは一方を空けて敵人の戦意を逸らすべきでは……」
するとヒィ・チノが言うには、
「ただ勝つだけならば、それでよい。しかし俺はここで確実にシノンを亡ぼすつもりなのだ。となれば、水も漏らさぬよう囲むほかない。闕所を設ければ、彼奴は必ず脱出する。戦は終わらず、果たして費やす力もまた膨大となろう」
「深慮がおありでしたか。余計なことを申しました」
非礼を謝して、引き下がる。
その布陣に込められたヒィ・チノのなみなみならぬ気迫は、もちろんのこと城内にも伝わっていた。シノンは北門近くの城楼から望見して言うには、
「逃すつもりは毛頭ないというわけだ」
答えたのはヤマサン。そこには二人きりで、周囲には誰もいない。
「何としても持ち堪えなければ。幸い糧食は十二分にある。この一年の間に四頭豹から続々と送られてきたからな」
「ふむ」
ということは、光都での籠城を早くから想定していたということになる。己が敗れることを予見されていたようでおもしろくない。
ヤマサンはそれを察して、からからと笑うと、
「古言に『智者の慮は必ず利害に雑う(注2)』と謂う。偶々負の予測が中たっただけのこと。おかげで飢える不安なく戦えるではないか」
「まあな」
「やはり四頭豹は草原に冠たるセチェンよ。あのインジャに幾度も苦杯を嘗めさせた傑物、きっと光都についても算段があるに違いない。ここを凌げばきっと活路はある」
「お前が言うならそうなのだろう」
漸く得心して楼を下ろうとしたとき、一人の兵があわてて駈け上ってきて告げて言うには、
「一大事でございます!」
シノンはつと城外の敵軍に目を遣ってから言うには、
「どうした、外のあれより大事があるのか?」
「はい。南門、西門を守るべきチャダ様の姿が見えません!」
これには二人とも驚愕する。ヤマサンが尋ねて、
「真か!? そんなはずがなかろう。お前の思い違いでは……」
「いえ! 朝から大騒ぎになって、みなで捜しておりましたがどこにも……。いよいよ敵の布陣も完了目前とて、あわててご報告に及んだ次第」
シノンは困惑して、
「どういうことだろう。怖気づいて隠れたか?」
卒かにヤマサンははっと顔を上げると、兵を押し退けて駈けだす。あわててシノンもあとに続く。走りながら問う。
「笑面獺、何が起きた?」
足を止めることなく答えて言うには、
「四頭豹に謀られたのは我らかもしれぬ! 迅く南西両門を押さえねば……」
楼より駆け下りた二人は、繋がれていた軍馬に跨がる。また衛兵に命じて、数百騎ずつついてくるよう命じる。そのまま速足にて大路を南行する。衛兵はわけもわからず一騎、また一騎とあとを追う。
中途でヤマサンが叫んで、
「ハーンは西門を! 兵衆に不穏な動きがあれば容赦なく処断を!」
「承知」
そうは言っても霧を探るような話。不穏な動きとは何か、いったい何が起きようとしているのか。ともかくここで二手に分かれる。
このことから莫逆の友は再び見えることをえず、かたや冥府に恨みを結び、かたや現世に怨みを紡ぐということになるわけだが、まさしく信ずるものを過てば、身は亡びて名は虚しくなるといったところ。果たしてシノンとヤマサンは光都を保つことができるか。それは次回で。
(注1)【囲師には必ず闕く】兵法においては、敵を包囲するときには必ず一か所逃げ道を開けておくべしと謂う。
(注2)【智者の慮は必ず利害に雑う】智者はものごとの一面だけではなく、常に利害両面について考えているという意味。