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草原演義  作者: 秋田大介
巻二
62/783

第一 六回 ②

インジャ(すなわ)ち虜囚と為りて女傑に()

アネク(たちま)ち玉質を(そこ)ない義君に救わる

「妙策も何も、こんな縛りかたでこの五技鼠様を捕まえたなんて思われちゃかないませんや」


「何?」


 驚く間にジュゾウは、腰の位置を見張りから見えぬよう少しずらすと、さっと縄を解いて見せた。みなあっと息を呑む。


「どうです?」


「いやいや、どうですと言われても、それでお前はどうする気だ」


 ナオルがあわてて(たしな)めた。すると得意げに言うには、


「直にさっきの女将軍に聞いてみましょうや」


阿呆(アルビン)か、お前は! 騒ぎになったらどうする、たとえ左派(ヂェウン)だとしてもただではすまんぞ」


「でも右派(バラウン)だったらここで死ぬのを待つだけでしょう? もし右派だったとして、ナオル殿やインジャ様の(ヌル)を覚えている奴がいたらそれでおしまいだ。ここはひとつ女将軍の寝所を襲って、右派なら人質にして逃げるし、左派なら平身低頭謝りましょう」


 平然(ガイグイ)と言うので、ナオルは呆れて反論もできない。

 そこでインジャが口を挟んだ。


「失敗すれば即座に斬られるぞ」


 ジュゾウはあくまで余裕綽々、不敵に笑って、


「いわば奇襲だ、騒がれるようなへまはしません」


「もっと容易(アマルハン)に左派か右派か判らんかなあ」


 ナオルが首を捻る。


「見張りの兵に聞いてみてはどうだ」


 ハツチが言えば、ジュゾウが笑い飛ばして、


「はは、密偵と疑われてる奴が何を聞いても(らち)が明くまいよ。いよいよ怪しまれるだけだ。なあ、インジャ様、こいつは俺の経験から言うんだが、危地に(おちい)ったときは、思いきった手を打つのが実はもっとも安全なんですぜ」


 インジャは考えた末に、


「もし右派だったら、朝になれば確実に逃げられなくなる。よし、ここは飛生鼠に(まか)せよう」


「義兄、よろしいのですか? 左派だったら……」


「しかしそれを見分ける術を我らは知らない」


 その言葉(ウゲ)でナオルは黙ったが、ここで遠慮がちに反対したものがある。誰あろう、美髯公(ゴア・サハル)である。ジュゾウが不満げに言った。


「どうしたんだい。何かほかに名案でもあるのかい?」


いや(ブルウ)、そうじゃない。そうじゃないんだが……」


「じゃあ何なんだ」


「夜に(オキン)の寝所に押し入るってのはどうも気が進まん」




 さてハツチもほかに考えがあるわけではないので、結局この案に(したが)うことにした。そうこうするうちにいつしか夜も()けた。篝火(かがりび)もだんだんと細くなり、四人がおとなしくしていたので見張りの兵も(ようや)く気が(ゆる)んでうつらうつらしはじめる。


 インジャらは(チャク)を見計らって一斉に立ち上がった。足を忍ばせて見張りに近づくと、さっと手刀を走らせる。見張りは(ダウン)を立てる間もなくばたばたと倒れ伏す。念のため縄で縛って猿轡(さるぐつわ)を噛ませると、夜目の()くジュゾウを先頭に駈けだした。


「ジュゾウ、アネクのゲルは判るのか?」


 ナオルが尋ねれば、答えて言うには、


「これくらい明るければ遠くまでよく見えるし、だいたい見当はついてんだ。間違うことはなかろうぜ」


 あとは四人とも黙って走る。しばらくしてジュゾウが立ち止まったので正面を見れば、周囲のものより少しばかり大きなゲルがあった。


「あれだ」


(ウネン)か。確かに大きいが、かといってアネクのものとはかぎるまい」


 ナオルが疑えば、にやりと笑って、


「間違いない。わけを教えてやろうか。匂いだよ、匂い。あのゲルからさっきの女の匂いがするぜ」


 それを聞いてみなアネクが身に(まと)った芳香を思い起こした。しかしジュゾウ以外の三人は何も感じられない。


「何だ、しょうがねぇな。ぷんぷん香ってくるじゃないか。ま、俺は人より多少(ハマル)が利くんでね、信じてください」


 さすがは五技鼠、三人はもちろん頷く。

 勝負はここからである。失敗は許されない。


 インジャが右手を挙げた。それを合図に四人は脱兎のごとく駆けだして、一気にゲルの中へ躍り込む。不思議なことに一人の衛兵(ケプテウル)すらいなかったが、これはアネクがすっかり気を抜いていたからである。


 幕を(へだ)てて仕切られた奥の間へ飛び込む。ジュゾウがすばやく枕の上の顔を(フルテスン)で押さえつけた。


「んんっ!」


 声にならない悲鳴が漏れた。まさしくそれはチハル・アネクのもの。


 ジュゾウの(ガル)を払い()けようと(あらが)ったが、インジャ、ナオルが瞬く間(トゥルバス)にその四肢の自由(ダルカラン)を奪う。ハツチが縄を取り出して、なおも暴れるアネクをやっとのことで縛り上げた。


 アネクも一軍の将とはいえやはり一個の少女、草原(ケエル)丈夫(エレ)四人にかかっては為す術もない。ほどなく抵抗を諦める。ジュゾウが抜かりなく猿轡を噛ませた。


 そっと灯が(とも)された。アネクの(ニドゥ)に四人の姿(カラア)が明らかになる。その眼が潤んでいるのを見て、好漢(エレ)たちはたちまち後悔の念に駆られた。インジャが拱手して(テリウ)を下げる。


「手荒なことをして申し訳ない。決して貴女に危害を加えようというのではありません。まずは誤解なさらないよう」


 ひと息吐いて、さらに言うには、


「貴女はベルダイの将軍だとおっしゃいましたが、ベルダイ氏は二派に分かれて相争って(ブルガルドゥクイ)おります。貴女がどちらの陣営(トイ)に属されているのかというのは、我々にとって(アミン)に関わる重要事。そこで夜分に非礼(ヨスグイ)とは承知しつつ、敢えて参上した次第です。ここまではよろしいですか」


 アネクはゆっくりと頷いた。インジャは続ける。


「ではお尋ねします。貴女の族長(ノヤン)は、トシ・チノですか?」


 少し間が空いたが、やがてアネクは小さく頷いた。

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