第一五五回 ③
シノン黒袍の塋を定めて気概を顕し
ヤマサン莫逆の友を助けて城塞に拠る
シノンがいよいよ捕らわれんとしたそのとき、唯一の盟友である笑面獺ヤマサンが突如現れて、すんでのところでこれを救いだす。光都を守っていたはずが、北方での敗戦を知って飛び出してきたもの。
二人は何と数年ぶりに再会を果たす。互いに喜ぶでもなく、嘆くでもなく、ただ莫逆の友を気遣って温顔を向ける。先に口を開いたのはヤマサン。
「うむ、生きているな。間に合った」
シノンはやや照れ笑いを浮かべて、
「少しばかりしくじった」
「なあに、かまうものか。とりあえず光都へ」
今や文字どおり最後の砦となった光都へこれを誘う。あとは多くを語らない。無名のころより志を同じくしてきた真の友、言葉は要らない。
かくして無事に入城を果たす。
トゥクトゥクの千騎は城外を哨戒する。またこれとは別に、四頭豹より三千騎の助勢がある。主将は三色道人ゴルバン・ヂスンの麾下でチャダなるもの。
光都を護る傭兵としてヒィ・チノより与えられていた五千騎は、この七年の間にすっかりヤマサンに心服していた。天導教の信仰は斁れたが、それはむしろ一時の熱病、経緯はともかく踏みだした叛乱はみな完遂する意気であった。
ヤマサンは兵衆の前では決して臣下の礼を崩さない。シノンを戴いてあくまでハーンとして扱う。もとよりシノンは一世の英傑、たちまち兵衆の心を把む。
シノンは急造の玉座に着くと、何よりまずヤマサンの功績を讃えて、ついにこれを宰相に任じた。先にハーンを称したときには、混血児ムライらの抵抗に遭ってかなわなかった念願を果たしたのである。
「やはり俺にはお前が必要であった。今日の苦境は、お前を近くに置かなかった俺の失策だ」
「朝になれば必ず陽が昇るように、きっとまた東原に覇を唱えましょう。臣は不才といえども微力を尽くします」
とはいえ広大な版図は一朝に失われ、街をひとつ確保するばかり。さながら草の海に浮かぶ小島に拠って立つような有様。
逃げ帰った赫彗星ソラが、シノンが光都に駆け込んだことを報じているはずである。早晩、四万騎になんなんとする大軍が、大挙して押し寄せるだろう。手勢は援軍を併せて九千騎。これで守りきることができるだろうか。
早速、ヤマサンのほかにチャダとトゥクトゥクを召して軍議を開く。チャダは真っ先に口を開くと、自信満々の体で言うには、
「城塞に拠っているかぎり、いかに敵が衆かろうと決してこれを抜くことはできません。籠城こそ必勝の策でございます」
「ううむ……」
シノンは生まれてこの方、籠城というものを経験したことがない。すぐには決めかねる。やはり恃むべきは唯一の友。無言でこれを促せば、応じて言うには、
「私は違う考えを持っています」
チャダは目を剥いて、
「というと宰相殿は城外に出て野戦に訴えよとでも!?」
「まさか」
一笑に付してこれを躱すと、
「草原は涯なく広い。光都に籠もって包囲に呻吟するよりも、これを放棄して河西に渡り、新天地に活路を見出すべきかと。さすがの神箭将もすぐには追ってこれますまい」
さらにチャダのほうを見て言うには、
「また河西には四頭豹殿があるではありませんか。こうしてカオロンの流れを冒してあえて援軍を送るよりも、我らのほうが赴き兵を併せたほうが道理に合うのではありませんか」
「おお、さすがは笑面獺。なかなかの妙案のようだ!」
シノンは漸く愁眉を開く。しかしチャダは不服げに異を唱えて、
「果たして東原に一寸の地も保つことなく、捲土重来を期すことができましょうか。ひとたび退けば、神箭将が完全にこれを収めてしまいますぞ。あとになって楔を打ち込もうなどという悠長な策が通じる相手ではありますまい」
さらに脅すように付け加えて、
「我が相国は、自ら助くるものはこれを助けますが、戦わずに逃げてきたものに同じように厚く報いるかどうかは判りませぬ」
これには主従は返すべき言葉がない。四頭豹の助力なくして自ら立つことなどどうしてできようか。ここでチャダの機嫌を損ねて離脱でもされようものなら、兵力が半減するのみならず、ついに孤立無援となって滅亡するほかなくなる。
「……では、やはり籠城か」
シノンの言葉にヤマサンも不承不承頷く。チャダは満面の笑みで言うには、
「ご英断でございます。光都にて力戦していれば、心を寄せるものが必ず現れましょう。また我が相国もさらなる支援を惜しみますまい」
そうと決まれば、あとは細かい話。籠城戦に疎いシノンが口を挟むところもない。途端に興味を失い、ヤマサンに託して席を立つ。
軍議が終わると、チャダは腹心のものに命じて密かに中原に走らせる。
「殆うい、殆うい。あの笑面獺はたしかにセチェンだ。相国のお考えでは、隻眼傑にはここで死んでもらわねば困るのだ」
ほくそ笑んで呟いたが、この話もここまでとする。