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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
618/783

第一五五回 ②

シノン黒袍の(はか)を定めて気概を(あらわ)

ヤマサン莫逆の友を助けて城塞に拠る

 遠望したドクトは、数百の寡兵が布陣しているのを見て、


「……何と。ここを死地と定めたか」


 慨嘆してオノチを顧みれば、言うには、


隻眼傑(ソコル・クルゥド)の矜持だ。全力で応えてやろうではないか」


 ドクトは頷いて得物を握りなおす。


 ナルモント、ジョルチの連合軍は続々とイルシュ平原に入る。二万騎が次第に展開して、翼を広げたような陣形(バイダル)となる。


 その前では数百騎など、奔流(キヤト)に投じた小石(チラウン)のごとく頼りない。それでも黒袍軍(ハラ・デゲレン)の士気は高く、怯むどころかたびたび喊声を挙げて戦意を高める。


 インジャは後方からそれを望んで、傍ら(デルゲ)のナユテに言った。


「隻眼傑は疑いなく一方の英傑(クルゥド)。惜しむべき(おとこ)だが……」


はい(ヂェー)宿運(ヂヤー)が僅かに違えば、後世まで天下の名将として名を(のこ)したでしょう」


 同じくヒィ・チノも黒袍軍が気勢を上げるのを見ていたが、何も語らない。その表情には怒り(アウルラアス)悲しみ(ゲヌエル)もなく、ただただじっと視ているばかり。傍にあるミヒチやゾンゲルは、その心中を(はか)って(ダウン)をかけることもできない。


 そしてシノンはこの絶望的な状況において、むしろ懊悩や鬱屈がことごとく去ったかのような涼しい(ヌル)で敵の大軍を眺める。


「前にあるのはインジャの(ノガイ)か。その向こうは小金剛モゲトの(トグ)。ハーンの中軍(イェケ・ゴル)はさらにその奥……」


 (アクタ)を歩ませて前に出ると、顧みて(ヂダ)を掲げる。言うには、


「ここイルシュを、ハーンが名づけた黒袍軍の墓所とする!」


 兵衆はみな得物を突き上げて、おうと応える。シノンは莞爾として馬首を敵陣に向けると、


「さあ、ハーンに最後の挨拶と行こうか!!」


 言うや否や馬腹を蹴る。兵衆も(はじ)かれたようにこれに続いて、たちまち疾駆(ダブヒア)に移る。寡兵なりといえども、その速さは神風将軍(クルドゥン・アヤ)のそれに勝るとも劣らない。


 対するドクトは嘆声を漏らして、


「おお、自ら飛び込んでくるぞ!」


 即座に迎撃の(カラ)を下す。また諸軍も兵を動かして、両翼より黒袍軍を包み込まんとする。


 シノンとその軍勢は一直線に中央突破を図る。ドクト率いるカミタ軍はジョルチの中でも精鋭中の精鋭、しかし死兵と化した黒袍軍の勢いに押し込まれる。


「進め、進め! ハーンに(まみ)えるまでは足を止めるな!」


 縦横無尽に槍を振るいながらシノンが叱咤する。一個の塊となって群がる敵兵を蹴散らしていく。


 オノチが驚いて思わず言うには、


「これが隻眼傑、これが黒袍軍か。速い(クルドゥン)、そして強い(クチュトゥ)!」


 そこでシノンを射殺せんとて弓を構えたが、珍しく躊躇したあげく首を振って、


「乱戦のうちに矢をもって討つべき将ではないか……。俺も甘いな……」


 改めて槍を()ってこれを追う。


 カミタの(トイ)を突き抜ければ、小金剛モゲトのタラント軍が立ち(ふさ)がる。さらに呑天虎コヤンサンのズラベレン軍、双璧のベルダイ軍、迅矢鏃(じんしぞく)コルブのマシゲル軍が四方からこれを包囲殲滅にかかる。さすがの黒袍軍もみるみる数を減じる。




 ……結果から言えば、黒袍軍はあっと言う間に消滅(ブレルテレ)した。(たと)えて云えば、炬火を大海(ダライ)に投じたようなもの。どんなに盛んに燃えていても及ぶべくもない。


 しかしその姿(カラア)は、多くの好漢(エレ)(セトゲル)に強烈な印象を(のこ)した。誰もが隻眼傑の将才を疑わなかった。黒袍軍の猛勇(カタンギン)に賛辞を惜しまなかった。


 そして黒袍軍の精鋭たちは、ついには身を挺して主君(エヂェン)を逃すことにすら成功した。シノンは戦いつつ離脱(アンギダ)を余儀なくされた。当人の意志(オロ)を超えて、将兵がこれを逃したのである。


 追撃を振りきったとき、従う兵はすでに二十騎(ホリン)ほど。やむなく光都(ホアルン)の笑面(だつ)ヤマサンを頼って落ち延びる。大道(テルゲウル)を避けて隠れて進み、退路を(やく)していたはずのアステルノの(ニドゥ)をも欺く。


 しかし光都(ホアルン)まであと百里というところで、赫彗星ソラの軍勢に発見される。困憊(こんぱい)していたシノンたちは、もはやこれまでと心を決めて得物を()る。相手はおよそ千騎(ミンガン)、もちろん(かな)うべくもない。


 ソラは雀躍して、


「おお、あれこそ賊魁に違いない。(あや)うく小網(グブチウル)(とら)(そこ)ねるところだったわ」


 号令一下、襲いかからんとする。


 と、(にわ)かに南方から馬蹄(トゥル)の響き。そして喊声。金鼓を鳴らして猛然と近づく軍影がある。ソラもシノンも友軍(イル)か否か測りかねて彼方を見遣(みや)る。


 歓声を挙げたのは、黒袍軍。旗を見れば、何と光都(ホアルン)のヤマサンの手勢。さらに驚いたことにはダルシェの旗が混じっている。


()()、だと!?」


 ソラは愕然とする。言うまでもなくダルシェには良い記憶がない(注1)。もちろん盤天竜ハレルヤであるはずがない。彼はインジャと盟を結んで中原にある。


 ここに現れたのは誰かと云えば四頭豹に投じた二将の一人、トゥクトゥクであった。シノンに加勢するべく遅ればせながら東原へと渡ってきたもの。


 みるみる寄せてくるのを(かぞ)えれば、おおよそ三千騎。千騎をもって争うべきで敵ではない。ソラは切歯扼腕しつつ撤退を命じたが、くどくどしい話は抜きにする。

(注1)【良い記憶がない】ソラは幾度もダルシェに苦杯を嘗めさせられている。第八 三回①から第八 三回④、また第九 八回③参照。

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