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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
617/783

第一五五回 ①

シノン黒袍の(はか)を定めて気概を(あらわ)

ヤマサン莫逆の友を助けて城塞に拠る

 さて、神箭将(メルゲン)ヒィ・チノは義君インジャと兵を併せて、二度に(わた)って隻眼傑(ソコル・クルゥド)シノンを破った。すなわち先にオハザフ平原、後にタンティア・ボコス平原である。


 本拠のイルシュ平原に帰ったシノンは茫然自失、呪詛(ハラアル)()き散らす覚真導師ブルドゥン・エベを衝動に任せて殺害した。


 中原での亜喪神ムカリとの(ソオル)は一進一退、胆斗公(スルステイ)ナオルをはじめとする名将たちが迎撃したが、勝敗の帰趨は知れない。


 東原での優勢をもって一軍を返すことも(はか)られたが、インジャは幾つか理由を挙げてこれを退けた。中原のことはナオルらに託して、東原の安定に(クチ)を尽くすことにする。


 今や叛乱軍(ブルガ)は僅かに数千。次の一戦にてこれを殲滅(ムクリ・ムスクリ)し、賊魁シノンを(ほふ)る心算。改めて敵情を探り、決して逃がさぬよう兵を配置しなければならない。


 長らく間諜としてはたらいてきた天仙娘キノフらが次々と帰参して、その敵情を知らせる。インジャは一人一人これを嘉賞して、おおいに(ねぎら)った。


 その後、キノフは軍医として従軍、賢夫人(ボクダ・ウヂン)ウチンと小白圭シズハンはオルドへ、奔雷矩(ほんらいく)オンヌクドは超世傑ムジカの下へと帰らせた。西原からの客人(ヂョチ)たる娃白貂(あいはくちょう)クミフは、志願して再び光都(ホアルン)へと発った。


 彼女たちの報告によって、ヒィ・チノたちは初めてシノンがブルドゥン・エベを殺したことを知る。


 またその噂が徐々に広まり、各処の青袍教徒たちは驚愕して天地が(くつがえ)ったかのごとく狼狽しているという。八つ(ナェマン)の教区のうちには、人衆(ウルス)が大伝師を追放したところもあるらしい。


 百策花セイネンは大喜びで、


「妖教が傾いたのは実に朗報、これであの狂人(ガルゾウ)めいた兵と戦わずにすむ」


 神道子ナユテもほっと息を吐いて、


「やっとここに至りました。まったくもって天仙娘たちの功は大きい」


 楚腰公サルチンがヒィに勧めて言うには、


「大伝師を追ったものたちは迷っているに違いない。帰投するものは罪咎(ざいきゅう)を問わぬ旨、宣布したほうがよい」


 早速言うとおりにすれば、方々から急使が来る。口を揃えて妖言に惑わされたことを謝し、跪拝叩頭して傘下への復帰を望む。


 ヒィ・チノはいちいち赦免の言葉(ウゲ)を賜った。また鉄面牌(テムル・フズル)ヘカト、長者(バヤン)ワドチャ、神行公(グユクチ)キセイを四方に派遣して、復帰した人衆の宣撫に努めた。おかげで(ゾン)が終わるころには版図(ネウリド)の大部が旧に復した。




 (ナマル)。まずは神風将軍(クルドゥン・アヤ)アステルノと赫彗星ソラが進発する。イルシュを迂回して背後に回り、シノンの退路を(やく)す。


 また霹靂狼トシ・チノは(ヂェウン)から、獅子(アルスラン)ギィは西(バラウン)から接近(カルク)を図る。それを見届けたヒィ・チノとインジャは、ともに正面から南進する。


 迎え撃つべきシノンの兵はさらに減って、数百騎あるかないか。つい百日前までは七万騎あった。今や百分の一という惨憺たる有様。


 もちろんそれは昔日(エルテ・ウドゥル)より従う黒袍軍(ハラ・デゲレン)。七年前(注1)、ヒィ・チノに投じたころに戻ってしまったことになる。シノンは自嘲しておもえらく、


「結局のところ俺は、南伯だの、ハーンだのと(おだ)てられてきたが、数百騎の器量(アルガ)しかなかったということよ」


 また思うに、


「天下の英雄、ヒィ・チノ・ハーンの下ではたらいたことが遥か昔のことに思える。どこで(モル)を外れてしまったのか……」


 忠実(シドゥルグ)な麾下の兵卒を眺めていると、まことに何もかもが夢だったのではないかという錯覚に襲われる。


 いまだ己は世間(オルチロン)無名(ネルグイ)の小氏族(オノル)の長に過ぎず、ナルモントやジョルチ、ヤクマンといった大族の興廃とは無縁に、ただそれを羨望の眼差しをもって眺めているだけなのではないか。


 瞑目して首を振ると思わず言うには、


「……そうであれば、どれだけよかっただろう」


 斥候(カラウルスン)が敵軍の接近を告げる。前方からはジョルチ軍も併せた二万騎。シノンは首を捻って、


「中原では亜喪神が留守(アウルグ)に攻め込んだとの報せがあったが、インジャはなぜ退かぬのか。(タルヒ)がおかしいのだろうか、あるいは臨機の判断ができずにハーンに引き摺られているのか……。今となってはどうでもよいが、思えばそれが最大の誤算……」


 果たしてシノンには、どうしてもインジャという男が理解できない。またセント軍が後方にあることも知れる。四面を包囲(ボソヂュ)された形勢。


「……死地には勇戦あるのみ、か」


 これも意図せず呟けば、兵衆たちは俄かに(たかぶ)って、


「最期にひと暴れしてシノン様の名を青史に止めましょうぞ!」


「どこまでもついてまいります!」


「ああ、我らが族長(ノヤン)!」


 口々に主君(エヂェン)を励ませば、(うつ)ろだった隻眼(ソコル)に僅かな光が宿る。


よし(ヂェー)! 神箭将を驚かせてやろう」


 わっと喊声が挙がる。数百騎は一団となって平原(タル・ノタグ)中央(オルゴル)に堂々と(バイダル)()く。寡兵といえどもみな(アミン)を棄てた死兵。妖教に欺かれたわけでもなく、ただ敬愛する主君のために自ら決めたもの。


 北方についに軍影が現れる。先鋒(ウトゥラヂュ)は癲叫子ドクトと雷霆子(アヤンガ)オノチ。

(注1)【七年前】西暦1210年。シノンは楚腰道を断った神都(カムトタオ)軍を破ってこれを復し、その功がヒィ・チノに認められて南伯に任命された。第九 〇回②から第九 〇回④参照。

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