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草原演義  作者: 秋田大介
巻一一
616/783

第一五四回 ④

ヒィ神風将軍を起用して敵を(おびや)かし

シノン覚真導師に辟易(へきえき)して槍を(ふる)

 オハザフ平原での二度目の激突は、ヒィ・チノの圧勝に終わった。追撃すること二十余里、多大な戦果を挙げる。それ以上に投降の呼びかけに応じた叛徒(ブルガ)万騎(トゥメン)に及んだ。


 これはナユテの発案によるキノフやウチンの活動が実を結んだもの。多くの(フフ・)(デール)の徒の(セトゲル)には疑心が芽生えており、またイドゥルドが助命されたことを知っていたので、あっさり降ったのである。


 もちろんヒィ・チノは寛大にこれを(ゆる)した。諸悪の根源(ウヂャウル)はシノンとブルドゥン・エベにあり、(そそのか)された人衆(ウルス)に罪はないとした。投降した兵衆は涙を流して君恩を謝し、二度と(そむ)かぬことをテンゲリに誓った。


 とはいえこれを軍に加えることはせず、やはり三万八千騎をもってシノンを追う。次に両軍が(まみ)えたのはタンティア・ボコス平原。


 やむなく迎撃に応じたシノンの兵は無惨に減少していた。先のオハザフでは七万騎あったのものが、たった一度の敗北を喫したために今や二万騎を大きく下回る。頽勢(たいせい)(くつがえ)すべくもなく鎧袖一触、散々に撃ち破られる。


 ダルハン・バイン・ハーン(神聖にして常勝のハーン)の名も虚しく、再び為す術もなく逃走(オロア)する。従う兵はさらに減って、本拠のイルシュ平原に辿り着いたころにはついに数千騎となっていた。しかもいずれも傷つき、困憊(こんぱい)している。


 シノンはこれを見回して茫然自失、誰にともなく呟く。


「……どこで、どこで俺は誤った。なぜこんなことに……」


 そこへふらふらと近づいたのはブルドゥン・エベ。(ニドゥ)は血走り、(ハツァル)は痩せ、(ヌル)は青白い。頸筋(クヂェラン)(ガル)の甲には、掻き(むし)ったような幾筋もの傷。さながら幽鬼のごとき有様。言うには、


「殺せ、殺せぇ、あの憎きヒィ・チノを……。まだテンゲリは我らのテンゲリ……。我は七度死んでも七度転生して彼奴を呪い殺そうぞ! さあ、ハーン、兵を挙げるのです!! 天兵が参りますぞ!! 死兵もことごとく(よみがえ)って、腕を()がれ、首が飛んでも戦いましょうぞ……」


 目瞬き(ヒルメス)もせず目を爛々とさせつつ、口角だけを上げて乾いた笑い声を立てる。


 シノンはすっと(フムスグ)(しか)めると、次の瞬間には手にした(ヂダ)を導師の(オモリウド)突き立てて(カドゥグタダアス)いた。


「……えっ? ハ、ハーン。これは……!?」


 何が起こったか判らぬ様子。眼球が飛び出さんばかりに目を見開いてシノンを見つめる。なおも何か言い募ろうとしたが、すでに胸が詰まって(ダウン)が出ない。やがてその(アマン)から鮮血(ツォサン)が溢れ出る。まもなく呼吸(アミ)も失って、ただぱくぱくと口を動かす。


「が、があがあ、あああっ!」


 意味を成さない音を並べたあげく、どうっと(たお)れ伏す。しばらくは痙攣しながらもがいていたが、やがて動かなくなる。


 一部始終を見ていた兵衆は(せき)として声もない。シノンもまた何も言わずに、手で屍を処理するよう命じたばかり。暗鬱な表情でゲルの中に消える。




 一方、ヒィ・チノとインジャたちは続く大勝におおいに沸く。叛徒鎮圧も目前とて士気はテンゲリを衝かんばかり。一旦兵を休ませて英気を養い、次の一戦に必ずシノンを(ほふ)らんと策を練る。


 唯一(ガグチャ)の懸念は、中原で勃発した亜喪神ムカリとの(ソオル)。続々と早馬(グユクチ)が至って戦況を報せる。それによれば、まずムカリと対したのは超世傑ムジカと碧水将軍(フフ・オス)オラルの軍勢。緒戦においては兵力に劣っていたので堅陣を()いて守りに徹する。


 そこへついに胆斗公(スルステイ)ナオルの援軍が到着。(ようや)く勢力は拮抗、激しく戦いつつ対峙する。さらに紅火将軍(アル・ガルチュ)キレカも加わったが、なおも勝敗の帰趨は知れない。


 これを聞いたインジャたちはやや意外の感に打たれる。ムカリはたしかに猛将(バアトル)だが、大軍を指揮して善く戦う将という印象はなかったからである。ナオルをはじめとする錚々(そうそう)たる名将たちが、(たば)になって勝を制しえないとはどういうことか。


 ついに白面鼠(シルガ・クルガナ)マルケが自らやってきて、疑問に答える。


「亜喪神はしばらく見ぬうちに用兵にも熟達したようです。そもそも人の下で戦うのが不得手なため、これまで(クチ)を発揮しきれていなかったのでしょう。四頭豹はそれを知っていて、このたびはかの猛将を大将として、三万騎をすっかり預けているのです」


 セイネンが呟いて、


「何と。(エチゲ)譲り(注1)は武勇のみではなかったか」


 好漢(エレ)たちは暗澹たる思いに(とら)われる。それを見たヒィ・チノが気遣って、


「もはや我が版図(ネウリド)の回復は成ったも同然。獅子(アルスラン)か霹靂狼の兵を中原に返してはどうでしょう」


 するとアステルノが進み出て、


「進軍の速さにおいて我が軍に勝るものはありません。ご下命あらばすぐに胆斗公殿を援けに参りますが」


 みなそれは妙案とて安堵しつつインジャに目を()れば、応えて言うには、


いや(ブルウ)、我らはこのまま南進する。(ネグ)には、たしかに叛徒の覆滅は近いが慢心するには早い。戦は最後まで何があるかわからない。(ホイル)には、光都(ホアルン)はいまだ敵の手中にあり、城塞(バラガスン)の攻略に兵はいくらあってもよい。(ゴルバン)には、いかに神風将(クルドゥン・アヤ)とて、遥か東原まで進めた兵を返して亜喪神と戦うのは負担が大きすぎる。(ドルベン)には、東原においてもまだ四頭豹の策が行われないとも限らない。現状だけを看て判ずるのは(あや)うい」


 諸将は感心してインジャに従う。マルケも得心して中原に帰ることになったが、くどくどしい話は抜きにする。


 インジャによって東原回復も実は道半ばであることが示されたわけだが、俚諺に謂う「千里を越えてもあと一里で(つまず)く」とはまさにこのこと。ただ友軍(イル)の敢闘を(たの)みとして、約定を遂行すべく邁進せんといったところ。果たして無事に隻眼傑(ソコル・クルゥド)を破ることができるか。それは次回で。

(注1)【父譲り】亜喪神の父、喪神鬼イシャンはインジャたちを散々に苦しめた名将。

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