第一五四回 ①
ヒィ神風将軍を起用して敵を脅かし
シノン覚真導師に辟易して槍を揮う
さて、東原で間諜としてはたらいていた妖豹姫ガネイは多大な成果を挙げた。殊に行方の知れなかった鳳毛麟角ツジャンの所在を突き止めたのは彼女の功である。
ところがそのあと、「良き人を見つけたから結婚したい」などと俄かにおかしなことを言いはじめる。
よくよく問い質してみれば、その相手とは先に禁教令に窮してアイルを捨てた旧のアケンカムの族長イドゥルドのことであった。ガネイによると前非を悔いて帰参を願っているという。
眉を顰める神箭将ヒィ・チノを、ガネイをはじめとして義君インジャたちが交々説く。漸く当人に直に会って弁明を聴くことになる。
幕舎に現れたイドゥルドはがたがたと震えていたが、ガネイの激励によって何とか謝罪、ついに赦された。ヒィ・チノが言うには、
「お前を赦すのは、ひとえにお前の姉の功績と、そこにある妖豹姫の嘆願、何より義君の仲介があればこそだ」
東原から追放して西原に赴くということで決着するが、司命娘子ショルコウは弟を諭して、
「テンゲリはあなたの行いを瞰ています。またエトゥゲンはあなたの言を聴いています。何より、あなた自身があなたの心を知っています。テンゲリもエトゥゲンも、そしてあなた自身も欺くことはできません。どうかそれを忘れずに」
かくしてガネイとイドゥルドは、北原、中原を経てウリャンハタに渡り、婚礼を挙げた。
そうこうするうちに季節は夏になろうとしていた。
イドゥルドが帰投して赦されたことは、天仙娘キノフらによって喧伝される。今やシノンの軍中には天導教に疑いを抱きはじめたものもあり、おおいに動揺して統制が紊れる。将に人を欠くためにそれを鎮めることもままならない。
帥将たる隻眼傑シノンは、イドゥルド離叛に誰よりも衝撃を受けていたが、現状を見ておもえらく、
「このままでは居ながらにして軍が解体してしまう。戦を求めて勝を収めるのが何よりの薬」
そう思い定めると将兵を叱咤して北進した。ひとたび動きだせば何と云っても七万騎の大軍。その威容のうちに身を置いた兵衆は次第に昂揚して、士気もやや盛り返す。シノンもまた自信を復して、
「やはり動いて良かった。そもそも待つのは心性に合わぬ」
叛徒出陣の報は、たちまちヒィ・チノたちのもとに知らされる。もちろんあわてるはずもない。
兵力においては劣るが、中原からの援軍は選び抜かれた精鋭。むしろ喜んで神風将軍アステルノを先鋒にして陣を払う。赫彗星ソラとともに速やかに戦地に達して要所を占め、後続を待つ。
ヒィ・チノが戦場に選んだのは、何とオハザフ平原(注1)。最初にシノンと激突した地である。ここでヒィは、戦局が優利に傾いたところで、軍中に埋伏した青袍の徒の造反に遭って敗れた。
病大牛ゾンゲルなどは思わず、
「うひぃ。わざわざそんな縁起が悪い!」
するとヒィ・チノは呵々と笑って、
「阿呆め、自ずと大軍が戦うのに適した地というのはあるのだ。北原のエルゲイ・トゥグ(注2)のようにな。縁起がどうこうとか、つまらぬことを言うな」
一向にかまう様子もなく颯爽と出陣する。その気概に満ちた英姿を見て、将兵は憧憬の念を新たにする。やはり神箭将は軍中にあってこそ輝く。
また今や義君インジャの二万八千の援軍を得て、士気はテンゲリを衝かんばかり。雪辱を期して陽光の下を疾駆する。
そのインジャのもとに中原からの早馬が至った。会ってみれば、蒼惶(注3)として顔面は蒼白。言うには、
「一大事です!」
「いかがした」
「あ、あ、亜喪神が、亜喪神が攻めてきました!」
瞬時にみなの顔色が変わる。百策花セイネンが尋ねて、
「その兵力は?」
「およそ三万騎。ダルシェのガリドを先鋒に北上中。ムジカ様とオラル様が迎撃に向かいました」
それを聞いて癲叫子ドクトなどは、おおいに怒って、
「あの小童め! ハーン、どうします?」
独りインジャだけは取り乱すこともなく答えて、
「どうもこうもない。亜喪神の出兵は予想の範疇。我らは我らの約定を果たす」
「しかし……」
「案ずるな。中原には胆斗公と超世傑がある」
あまりに落ち着いているので、漸く諸将の心も静まる。早馬には、万事ナオルの指揮に従うよう伝えて送り返す。またヒィ・チノにも一報を入れたが、変わらず叛徒討伐に助勢することを告げれば、
「おお、さすがは義君。ありがたい!」
感激して拝謝する。余の諸将も義気に感じて早期の叛賊覆滅を誓う。
(注1)【オハザフ平原】第一次オハザフの役については、第一四九回③参照。
(注2)【エルゲイ・トゥグ】ナルモントがセペートと幾度も戦った平原。また先に悟天将軍ザシンらを破ったのもここ。第四 四回①、第一五二回①参照。
(注3)【蒼惶】あわてふためくさま。