第一 六回 ① <チハル・アネク登場>
インジャ乃ち虜囚と為りて女傑に遇い
アネク忽ち玉質を損ない義君に救わる
インジャ、ナオル、ハツチ、ジュゾウの四人は、ゴロを訪ねてマシゲルへと赴いたが、ちょうどギィとともにベルダイ左派のアイルへと向かったあとだった。がっかりしていたところ、ジュゾウが言うには、
「俺たちもいっそベルダイへ行きましょうや」
余の三人は感心してそれに順い、一路ベルダイへと向かった。一旦カオロン河へ出て河沿いに北上する道を採ったのは、先にも述べたとおりサルカキタンの手にかかるのを恐れたからである。
そのおかげか、何日かは格別のこともなく過ぎ去った。ところがあと一日で目指すアイルに着こうかというときである。突然一行の前に何十人もの騎兵が現れた。
「どこの部隊だ?」
四人は俄かに色めき立つ。旗を見れば、どこかで見たことのある文様。
「ベルダイの旗だ!」
ナオルが真っ先に気づいて叫んだ。四人は弾けたように馬首を廻らす。しかしすでに遅く、敵騎は彼らの左右に展開してしまっていた。インジャがそれを見て、
「待て、もう逃げられん。迂闊に動くと矢の雨を喰らうぞ」
四人はインジャを中心にして、固まって相手の様子を窺う。騎兵はおもむろに包囲の輪を縮めた。弓には矢がつがえられている。部将と思しき男が進み出て言うには、
「おい。お前らはどこから来た」
インジャが自ら答えて、
「南方から参ったウライという部族のものだ」
「知らぬな。嘘を吐くとためにならぬぞ。ここで何をしていた」
「神都へ向かうところ、方角を誤って難儀していたところだ」
男はじろじろと四人を眺め回していたが、
「怪しい奴だ。捕らえろ! 将軍に裁可を仰ぐ」
四人はあっと言う間に馬から引き摺り下ろされた。ジュゾウがわあわあと叫んで抵抗する。それを何人もかかって押さえつける。
「何だい、俺たちが何をしたって言うんだ。だいたいお前らどこの何様だ!」
部将はこれをぽかりと殴りつける。そして傍らの兵に命じて言うには、
「間諜かもしれん。目隠しをしろ。騒がれると面倒だから猿轡を噛ませておけ」
こうしてインジャらは目と口を覆われて、後ろ手に縛り上げられた。こうなってはいかなる好漢といえど手も足も出ない。
それから半日ほど進んで、漸く騎せられていた馬から下ろされた。目隠しはそのままだったが、すでに辺りは暗くなっているはずである。
「ここで待て」
言われるまでもなく、ただじっとしているほかない。
やがて、かさかさと草を踏んで足音が近づいてきた。四人は緊張して耳を欹てる。さっきの部将の声がして、
「先ほど捕らえた密偵です」
どうやら誰か上のものを連れてきたらしい。応えて言うには、
「彼らの目隠しと猿轡を取れ」
そう命じた声を聞いて、四人は腰も浮かさんばかりに驚いた。なぜならその声は紛れもなく妙齢の乙女のものだったからである。目隠しを外された四人の前に姿を現したその人を見れば、
肌は透けるように白く、髪は艶を帯びて輝き、眼には魔性の光、唇には魅惑の露、体からは得も言われぬ芳香を漂わせ、齢十幾つにしてすでに妖しき魅力を備えた、艶めかしくさえある軍装の少女。
インジャらはあまりの意外に声も出ず、ただその美しい娘に目を奪われていた。娘は男の目に慣れているのか、一向に臆する様子もなく居丈高に言った。
「お前ら、我らを探りに参ったのか? 答えよ!」
はっとしてインジャが答えて言った。
「まさか! だいたいここがどこかも判りません。偶々通りかかったところを、わけもわからず捕まったのです。いったい貴女は誰なのですか」
相手がベルダイ右派かもしれぬとてそれとなく探りを入れたが、娘はふふんと鼻で笑って、さらに声を高くした。
「私の名はチハル・アネク。これでもベルダイの南の抑えを委されているんだ。知らないとは言わせないよ」
しかしインジャをはじめ誰もその名を知らない。迂闊なことは言えないので口を噤むほかない。ハツチは、何と気丈な娘だ、手に負えぬと密かに眉を顰めた。それをアネクは、己の威に屈したかとて上機嫌。
「さあ、どこから来たんだ。正直に話せば鼻を落とすぐらいで恕してやるよ。白状しな」
ジュゾウがむず痒そうに鼻をすする。それを見たアネクは、さもおかしそうに笑った。悔しいことにその声がまた何とも可愛らしい。
誰も何も言わないので、
「まあいいわ。しっかり見張っときな。続きは明日だ」
とて、さっさと去ってしまった。しばらく四人は呆然としていた。とりあえず今すぐ命を取られることはなさそうだと気づいたのは、あとになってからである。
数人の見張りが離れた位置に立っている。四人はそっと寄り添って小声で話し合った。まず口を開いたのは飛生鼠ジュゾウ。何と言ったかといえば、
「驚いたね。何とまあ可愛い娘だ」
ハツチが呆れて、
「よくそんなことが言えたもんだ。いかに美人でも、あんなきつい女はごめんだ。その娘にわしらの命が握られているのだぞ」
ナオルが言うには、
「問題は彼女が左派なのか、右派なのか。左派なら堂々と名乗ってもよいが、右派ならそうもいかない」
インジャが言った。
「メルヒル・ブカでは女将軍なぞ見なかったがな」
「でも、だから左派とはかぎりません。慎重に探らないと」
急にハツチが上天を仰いで、
「ああ、わしのせいだ。わしがいるとろくなことにならん」
悲痛な面持ちで謝るのを、ナオルがあわてて慰めて、
「何も美髯公のせいじゃない。己を責めるな」
「髭殿はすぐにこれだから。要はここが左派か右派かわかりゃいいんでしょう?」
ジュゾウが言うのをナオルが聞き咎めて、
「待て待て。あっさり言うが、お前には何か妙策があるのか」