第一五二回 ①
カノン北原を撫して黒鉄牛に護られ
ガネイ朗報を齎して神道子に倣わんとす
さて、ついに義君インジャは、神箭将を援けるべく親ら三万騎を帥いて出征した。無事にオンゴド・アウラ平原にて約会を果たす。軍議の席上、神道子ナユテが発言を求めて言った。
「ひとつ策を講じておきましょう。間諜を放って『神箭将が天兵の応援を得て帰ってきた』と触れ回らせるのです」
これには百策花セイネンが意外そうに声を挙げる。というのも、同じような策を進言して失敗した通天君王マタージについては、当のナユテが浅慮、愚策と酷評していたからである。それを制して言うには、
「世間では、テンゲリが嘉するハーンには天兵の助力があると噂されています。そのためにウルヒン平原では、神都軍が現れただけで賊軍の士気はおおいに高まったとか。しかし奸人ごときの兵に天兵の栄誉を独占させておくことはありません。今度は我らがこれを活かす番です」
癲叫子ドクトが小躍りして、
「何だ、おもしろそうな話ではないか」
ナユテは笑って、
「我らこそ天兵。正々の旗を列ね、堂々の陣を組んで、広く喧伝しながら進みましょう。もとより神箭将の威名は知れわたっています。それが天兵を得て数万もの軍勢に膨れ上がったと聞けば、賊徒はその真贋を疑って惑い、恐れ戦くでしょう」
獅子ギィも喜んで、
「義は我らに在り。きっとテンゲリの加護があろう。妖教に怯むことはない!」
居並ぶ諸将は、おうと応えて勇躍する。軍議のあと、ナユテはセイネンに秘かに言うには、
「我らの失策で神箭将は大敗を喫したのだ。あえてそれを教えずともよかろう」
それはともかく、インジャたちは兵を東へ向けた。当面の敵は蕃民の王、悟天将軍ザシンと護教将軍チャクバル。
策定した戦略に則って、中途で軍を三手に分ける。トシ・チノの六千騎は北へ、ギィの六千騎は南へ道を分かつ。余の二万数千騎は、金杭星ケルンを先駆けに、まっしぐらに敵営を目指す。
インジャとヒィ・チノは宿営するごとに互いに訪ね合って、酒を酌み交わす。インジャはヒィの剛毅、英邁に触れてますますこれを称え、ヒィはインジャの弘毅、仁徳に感じていよいよこれを敬う。
あるときヒィがキセイに言うには、
「あの義君というのは聞きしに勝る英雄だぞ。胆斗公、超世傑、獅子といった一世の英傑たちが主君と仰ぐのもよく解る」
進むうちに情勢を窺っていた小部族が続々と帰属を請う。みな鷹揚にこれを認めて忠誠を誓わせる。
神箭将が天兵を得たとの報は瞬く間に北原を駆ける。これによって明らかに風が変わった。味方は増え、敵は動揺する。
ザシン・カーンは周章を隠しきれない様子だったが、それでも将兵を叱咤して、
「天兵を騙る大罪人に臆するな。きっと真の天兵が彼奴らを駆逐してくれようぞ」
そう言って会戦に臨んだ。戦地となったのはエルゲイ・トゥグ(注1)。ナルモントが幾度もセペートと激戦を繰り広げた平原である。結集した兵力は二万騎ほど。
そこへケルンを先頭に二万数千騎が猛攻を加える。これまでナルモント軍は数の上で劣勢を強いられてきたが、ジョルチ軍を得た今、ザシンやチャクバルごときは敵ではない。散々に撃ち破る。
死を悦ぶ青袍の徒に望みどおり死を賜って、屍の山を築き、血の海に沈める。退かない狂信者との戦は凄惨なものにならざるをえなかったが、ナルモント軍はもとよりジョルチ軍にも固い決意がある。
殊に目覚ましい活躍を示したのは一丈姐カノン。槍を振るって敵の戦列をことごとく粉砕する。美しい容姿は見るものに戦の女神をも彷彿とさせる。従う味方は勇を得て、対する敵は怯を覚える。
ジョルチ軍では呑天虎コヤンサンが久々の大戦におおいに昂奮して、縦横無尽に暴れまくる。咆哮とともに槍を振り回しつつ、敵を追ってどこまでも突き進む。
突き進みすぎて戦場を外れ、道を失って友軍とはぐれてしまったほど。戦が終わってから姿が見えないので大騒ぎとなった。二日ほどして頭を掻きながら帰参したが、それはまたのちの話。
話を戻して、敗色濃厚となったザシンはぎりぎりと歯噛みして、
「堪えろ! 戦え! 今に真の天兵が我らを援けに来るぞ!」
叫び散らしたが、彼の言う「真の天兵」が神都軍を指しているのであれば、北原に現れるわけもない。結局戦線を維持できず、多大な死者を出して撤退するほかなくなった。
しかし備えは万全、南へ逃れたものはマシゲル軍がこれを捉えて撃滅し、北へ走ったものはベルダイ軍がこれを阻んで掃討する。
乱戦のうちにザシンは隼将軍カトラに、チャクバルは鳶将軍タミチにそれぞれ討ちとられた。大功を挙げたベルダイの双璧は、意気揚々と凱旋した。
(注1)【エルゲイ・トゥグ】かつてヒィ・チノも、ここでエバ・ハーンと戦った。第四 四回①参照。