表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一
6/782

第 二 回 ② <エジシ登場>

ハクヒ(あした)に城外に学士に面会し

ムウチ夜に夢中に天王に拝謁す

 太陽(ナラン)(ようや)城壁(ヘレム)の上に顔を出したころ、ハクヒは学究庵の前に立っていた。門を(たた)くと、白袍を(まと)った童が出てきて、


「誰だい?」


 ぞんざいに尋ねる。


「ハクヒと申す。エジシ先生はおられるか」


「ついさっき出ていったよ」


「どちらへ行かれたかわかるか」


「釣りに行くって言ってたけど」


「釣り? どちらへ」


「西門から出てまっすぐに行けば会えるだろうよ」


「ありがとう。ではそちらへ行ってみよう」


「行かなくても昼過ぎには戻るけど」


「急いでいるんだ」




 辞して一旦クウイの家に戻り、(モリ)()って出直すことにした。西門を抜けて駆けること数里(注1)も行かぬうちに、一人の商人(サルタクチン)に出会った。


「これ、エジシ様をご存知ないか」


へぇ(ヂェー)、あちらの方がそうでございます」


 指すほうを見れば、(グル)の上に一人の男が座っている。商人に礼を言っておもむろに近づくと、男はつと立ち上がって言うには、


「何か私に御用でも?」


 見れば、年のころは二十七、八、身の丈は七尺二、三寸(注2)、蓬髪にして痩身、(シバウン)のごときただならぬ眼光を備えた白面の書生、これぞ名高きタムヤのエジシ。


 ハクヒは馬を降りると、拱手して言った。


「お初にお目にかかります。ひとつお願いの儀があって訪ねてまいりました」


 なおも述べんとするのをさっと制して言うには、


「そなた、フドウの御仁であろう」


「ど、どうしてそれを? いかにも私はフドウのハクヒと申します」


 面食らっていると、エジシは呵々と笑って、


「昨夜天文を観ますに、フドウの運気が(にわ)かに衰えた様子。されば近々どなたか見えるに違いないと思っておりましたところ、何やらこんなところまで私を訪ねる方がある。それでもしやと思っただけのこと、お気を悪くなさらんでください」


 これにはすっかり感嘆して、


いや(ブルウ)、とんでもないことです。まったく恐れ入りました」


「いったい何があったのです。事の次第によってはできるだけ力になりますが」


「それは心強いお言葉(ウゲ)。実は……」


 とて顛末(ヨス)を詳しく話せば、深い溜息を吐いて上天(テンゲリ)を仰ぐと、


「そうだったのですか……。わかりました、どうやらフウ様に借りを返すときが来たようです」


「おお、それでは……」


 (ダウン)を震わせるハクヒに、(クチ)を込めて言うには、


「及ばずながら、フドウのために尽力いたしましょう」


「おお、ありがとうございます(バヤルララ)! 暗闇に光を見た心地でございます」


 とてその場に平伏する。あわててこれを助け起こすと、


「面をお上げください。これも全てテンゲリの定めです」


 二人はしばらく話し合って別れたが、この話はこれまでとする。




 (バリク)に戻ってエジシの言葉を伝えると、ムウチもおおいに喜んだ。一行は早速荷物をまとめてクウイ夫妻のもとを辞し、学究庵に向かった。


 門前にはエジシ自らが待っていて一行を迎える。それぞれ挨拶をすませると、主客分かれてささやかな宴を張り、夜が()けるまで飲んだ。席上、エジシが言うには、


「私はこのタムヤを治めるタロト部のハーンと親しくしておりますので、何の心配も要りません。夫人は安心して健やかな(クウ)を産んでください。用があれば、(サーハルト)の婆さんに何でも言いつけてくだすってかまいませんよ」


 一同心より感謝したのは言うまでもない。ハクヒは心中思うに、


「これで夫人が男児を産めば言うことはない。女児が生まれたときは何かうまい方策を考えねばなるまいが、エジシ様は天文に長じておられるゆえ、ひょっとしたら御子がどちらかご存知であるやもしれん」


 そこでエジシが厠に立つ機会を(とら)えて、あとを追う。出てくるなり問いかけて、


「エジシ様! 御子は男女いずれでありましょう」


 突然の問いに驚きつつも、気分を害した様子はなく、


「おやおや、それはテンゲリの定め、生まれてくるまで判りませんな」


 それでもハクヒは諦めず、その場にがばと平伏すると言うには、


「エジシ様は天文に長じておられる。現に私が伺うのもわかっておいででした。ゆえにきっとご存知のはず。我が氏族(オノル)が再興するか否かが懸かっております。何とぞお聞かせください!」


 エジシはしばらく黙っていたが、やがて(アマン)を開いて言うには、


「はっきりしたことは申せませんが、フドウの(オド)はいまだ光尽きておりません。加えてこれを護るように幾つかの星が(めぐ)っております。その動きを()るに、フドウはまだまだ消えはしないでしょう。きっと男子が生まれ、氏族(オノル)を再建すると考えてよいかと思います」


「お、おお、それは(ウネン)ですか」


 愁眉を開くハクヒをそっと制すると、


「言ったはずです。はっきりしたことは申し上げられぬと。天文は単なる(しるし)に過ぎません。フドウの将来は、あくまでハクヒ殿らの(ガル)に懸かっておりますぞ。そのことをくれぐれもお忘れなきよう」


(エレグ)に銘じまする」


 二人は何ごともなかったように席に戻って再び歓談に興じたが、この話はこれまでとする。

(注1)【里】草原(ミノウル)の一里は、この時代約800メートル。ただし地域によって差があり、統一されるのはインジャが全土に駅站(ヂャム)()いてからである。


(注2)【七尺二、三寸】一尺は約23.5センチ。一寸はその十分の一。よって七尺二、三寸は170センチ前後となる。ただこれも里と同じく地域差があり、統一されるのはインジャの覇権確立後である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ