第一五〇回 ③
ヒィ・チノ回廊に伏甲を帥いて賊魁に迫り
マタージ東原に風説を撒いて天兵を生む
また別の日には、光都に囚われた楚腰公サルチンと嫋娜筆コテカイの救出が諮られる。
かつて神都にコヤンサンを救った(注1)ように、やはり少人数での潜入を画する。任務を授けられたのは、飛生鼠ジュゾウ、一丈姐カノン、黒曜姫シャイカの三名。
ちょうどそこへ西原から進物を携えて、神道子ナユテ、妖豹姫ガネイ、娃白貂クミフが訪ねてきた。ジュゾウが大喜びで言うには、
「よいところに! 三人さえよければ助力を頼みたい。ナユテは光都の出自だし、ガネイとクミフには異能がある」
話を聞いた三人は喜んで承諾する。六人であれこれ諮っていたが、いつの間にやら出立する。成果についてはまた述べる。
そうこうしているうちに冬となった。北道をしっかりと確保するため、旱乾蜥蜴タアバに加えて、九尾狐テムルチと呑天虎コヤンサンも大ズイエ河を渡る。
幸い悟天将軍ザシン・カーンたちの手はまだ北道には伸びていない。金杭星ケルンが、鍾都より西に叛徒を通さぬよう奮闘していたからである。
インジャの冬営に、ナユテから書簡が届いた。何と書いてあったかと云えば、
「東原で怪しげな噂が流れています。『真のハーンには西方から天兵の助力がある』とか。どうか速やかに神箭将への援兵を送られますよう。春を待っていては予期せぬ事態が起こらぬともかぎりません」
これを聞いたマタージが手を拍って、
「光都へ向かった神道子の耳にも届くとは、噂は順調に広まっているようですな。これなら相当な効果が期待できそうです」
百策花セイネンが僅かに眉を顰めて、
「神道子は春を待つなと言っているようだが、どういうわけだろう?」
「さあ。とはいえ、冬に大軍を動かすのは労多くして益少ない。やはり予定どおり春に出陣するべきだろう」
インジャもまた首肯したので、この件はそこまでになった。
そのころ、ヒィ・チノは手を拱いていたわけではない。方々に出没しては天導教の冬営を荒らして回る。シノンはおおいに怒って、これを捕捉殲滅するべく軍を発する。
ヒィ・チノはこれを知ると、かえって兵をひとつところに集めて決戦の構えを見せる。会戦の地に選んだのは、ウルヒン平原。アケンカム氏の牧地だった辺りである。
寒天の下、両軍は激突する。オハザフ平原のときと同じく兵の数ではシノンが圧倒していたが、ヒィ・チノが善く兵を用いてやはり一進一退、互角に戦い合う。
青袍教徒の軍は数が多く、しかも死を恐れぬ強さを誇っていたが、相変わらず練度は低いままで、すばやく命令に応えることができない。陣形も崩れがちで動きが鈍い。
一方、ヒィ・チノの軍勢は数こそ一万数千騎だが、一糸乱れぬ戦列を保ったまますばやく動ける。戦場を縦横無尽に駆け巡って敵軍を翻弄し、衣を一枚ずつ剥ぐように少しずつその力を削いでいく。
「そろそろシノンめ、苛立って前線に出てきそうなものだが」
呟いたのが聞こえたはずもないが、黒袍軍がどっと繰り出してくる。
「来た! 実に好い!!」
ヒィ・チノは鞍上に小躍りして剣を掲げると、正面から迎撃する。二人のハーンの近衛軍がぶつかる。正規兵同士の激突。
もとより黒袍軍は草原中に名の知れた精兵だが、ヒィの近衛も転戦するうちに鍛えられている。もちろん偶々ではない。各地の冬営を襲って回ったのは調練を兼ねてのこと。
二個の英傑は用兵の奥義を尽くして、互いに勝ちを制しようと躍起になる。まさに竜が怒れば頭角崢嶸、虎が闘えば爪牙獰悪、旗仗盤旋、戦衣飄颺、怒気氛氳として屍山血海を成す。
と、卒かに青袍の徒から、わっと大歓声が挙がる。これにはヒィは無論のこと、シノンもおおいに驚く。信徒たちが口々に言うのを聞けば、
「天兵だ! 天兵の援けだ!」
「ああ、ダルハン・バイン・ハーンこそ真のハーン!」
「テンゲリに嘉されたる我らのハーン!」
ぎょっとしてヒィが顧みれば、西の彼方から一万騎ほどの軍勢がまっしぐらに向かってくる。味方ではありえない。ということは当然、敵。
病大牛ゾンゲルがすっかり青ざめて、
「うひぃ……。あ、あ、あれは……」
神行公キセイが、あっと声を挙げて、
「ジュレン軍だ! あれは神都の兵ですぞ!」
さすがのヒィも目を円くして、
「神都だと!? よもやシノンが奸人ヒスワと結んでいようとは……」
これはヒィの思い違いというもので、シノンもわけがわからないのは同じこと。するとどこからかムライが近づいてきて、
「あれは友軍でございます。先に四頭豹様が打っておいた一手」
「何と、まさに天佑。一挙に飛虎将を葬る好機!」
勇を得て全軍に突撃を命じる。殊に青袍教徒は快哉を叫びながら前進する。
神都の兵を率いてきたのは例によって呼擾虎グルカシュと、征東将軍ムンヂウン、征南将軍ブギ・スベチ。後背からヒィ軍に襲いかかって、殺戮を恣にする。
ヒィもあわてて退却を命じるが兵の動揺はいかんともしがたく、挟撃されて散々に撃ち破られる。潰走に潰走を重ねて東原に留まることもならず、そのままズイエ河を越えて北原に逃れた。
(注1)【コヤンサンを救った】神都に潜入したのは、インジャ、ナオル、セイネン、ハクヒの四人だった。第一 二回①参照。