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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
597/783

第一五〇回 ①

ヒィ・チノ回廊に伏甲を(ひき)いて賊魁に迫り

マタージ東原に風説を()いて天兵を生む

 さて、神箭将(メルゲン)ヒィ・チノは、造反した隻眼傑(ソコル・クルゥド)シノンの兵とオハザフ平原にて相対した。兵力の劣勢(ドロムヂン)も何のその、互角の戦闘(カドクルドゥアン)を繰り広げる。


 やがて勝機を見出したヒィが、果敢に突撃を試みたそのときである。敵中より(にわ)かに銅鑼の音が轟きわたり、鏑矢(かぶらや)はひゅうひゅうとテンゲリを翔ける。


 するとどうしたことか、麾下の兵衆の一部が俄かに叛して打ちかかる。ヒィ軍は大混乱に(おちい)って(ソオル)どころではない。そこに攻勢を受けて一瞬(トゥルバス)に崩れる。(たま)らずヒィも離脱(アンギダ)して、およそ三十里も退く。


 勝ったシノンは喜び(ヂルガラン)にうち震えて、ムライらの勧めるままにハーンを僭称、「ダルハン・バイン・ハーン(神聖にして常勝のハーン)」となった。


 それを聞いたヒィは、


「シノンめ、さては浮かれたか。戦は巧者だが、感性は鈍いと見える。酷い名だ」


 そう言って反攻に着手する。三千騎を選抜すると、長者(バヤン)ワドチャの諫止も聞かずに言うには、


「ここで捷報(しょうほう)を待っていろ。寡兵には寡兵の利点があるのだ」


 やむなくワドチャは、鉄面牌(テムル・フズル)ヘカトとともにオインハム平原に円陣を()いて、堅く守りを固める。ヒィ・チノは神行公(グユクチ)キセイを呼んで言った。


「我らの本隊とも言える一万騎(トゥメン)がオインハムにあることは、早晩シノンも探知する。さすれば大軍を発してこれを討たんとするだろう」


はい(ヂェー)


「そのときシノンは必ずミュルケン回廊を通る。俺ならきっとそこを通るからだ」


「…………」


「そう不審げな顔をするな。(ヨス)に基づいて考えればそうなるのだ。しかしひとつ難点がある。その回廊の中途にあるトゥルイドル谷は、伏勢を置くには格好の(ガヂャル)なのだ。よってシノンは回廊を通過する前に、必ずここに伏兵がないか探査する。そこでお前の任務(アルバ)だ」


 キセイはいまだヒィの意図が解らない様子。ヒィ・チノは言った。


「かの(ヂェブル)に潜み、シノンの斥候(カラウルスン)が去ったら俺に報せろ」


承知(ヂェー)


「俺はそれを聞いたらすぐにトゥルイドルに伏せる」


 一方のシノンは、ヒィの(アミ)を止めんとて五万騎を(ひき)いて出陣する。ほどなくオインハム平原に一万騎が布陣していることを知って、小躍りして軍を進める。(カラ)(・ウ)(ナス)ムライに言うには、


「オインハムなら、ミュルケン回廊を通るのがよい。道程が近い上に、丘陵(ウンドゥル)の狭間を行くため、(ブルガ)の視界に入りにくい。ただ……」


「ただ?」


「トゥルイドル谷には留意したほうがいい。もし敵がこちらの動きを察知したときは、必ずここに兵を伏せるはずだ」


「すぐに(しら)べさせましょう。ここに伏勢なきときは……」


然り(ヂェー)。我らの接近(カルク)に備えていない、ということだ」


 果たして伏兵はなかった。シノンは天佑とて雀躍して、


「いよいよ敵を根絶やし(ムクリ・ムスクリ)にしてくれる」


 そう言って兵をミュルケン回廊に入れる。あわてることもなくのんびりと兵を進めて、ついに中軍(イェケ・ゴル)はトゥルイドル谷に至る。前軍(アルギンチ)はとうに通過して、先頭はそろそろ回廊を抜けるころ。シノンは左右を見回して思うに、


「やはり天下の飛虎将といえども、運気が下がったときはその才覚(アルガ)も鈍るのだな。俺なら敵の動向から決して(ニドゥ)を離すことなく、ここに兵を伏せて襲っただろう」


 ふふんと得意になると、(ガル)を挙げて全軍に休息を命じる。自らも(アクタ)を降りて馬乳酒(アイラグ)(アマン)を付けた。


 その瞬間、左右の丘の上に一斉に(トグ)が林立する。はっと身構えるうちにもどっと敵兵が現れて、喊声とともに攻め下りてくる。


「敵襲! 敵襲!」


 百人長(ヂャウン)たちが狼狽して叫ぶ。兵衆は右往左往して得物を()り、馬に乗ろうとして交錯する。戦列(ヂェルゲ)を整える暇もなく突入を許せば、瞬く間(トゥルバス)に四部五裂の様相、形名も分数も失われて混戦となる。


 シノンもまた愕然としていたが、(ようや)く我に返ると、


「さすがはヒィ・チノ、備えていたか」


 さっと騎乗すると(ヂダ)を掲げて周囲の兵衆を叱咤し、これを(まと)めようと試みる。ちょうどそこへ遠方(ホル)から鋭く(ダウン)がかかって、


「おお、シノン。そこにいたか! (みずか)らお前の罪を問いに来たぞ!」


 見遣(みや)れば、何とヒィ・チノ・ハーンが(ウルドゥ)を掲げて、雑兵を薙ぎ払いながら一直線に向かってくる。


「おお、ハーン……」


 思わず呟いて、今では敵となったヒィの英姿にうっかり見惚(みと)れてしまう。戦場で躍動する姿(カラア)は、覇気が横溢(おういつ)して輝かんばかり。まさに神将。


 身の危機(アヨール)にありながらも心奧から感動が込み上げてくる。指揮を()るのも忘れて(ウマルタヂュ)、ただただ陶然として立ち尽くす。


「ハーン! どうしたのです、ご指示を!」


 傍ら(デルゲ)からムライが迫るも、まるで(チフ)に入らない様子。

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