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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
596/783

第一四九回 ④

青袍の徒サトランを始めに一斉に蜂起し

南伯の兵オハザフに至りて互角に争闘す

 ヒィは、ゾンゲルとともにおよそ三十里も退いて軍を立て直す。数えてみれば(アルバン)中の(ゴルバン)を失う大敗。そのうち、どれだけの兵が青袍(フフ・デール)の徒だったのかも判らない。はっきりしているのは叛徒(ブルガ)に敗れたということ。


 幸いにして名のある将の中には、討たれたものも叛したものもなかった。とはいえ無論喜べるはずもなく、誰もが消沈して(うつむ)いている。ヒィは諸将を集めると、どうしたわけか快活に言うには、


「さすがは隻眼傑(ソコル・クルゥド)ではないか。善く兵を用いるのは知っていたが、謀計や調略にも長じていたとはな。俺が一度は南伯に任じただけのことはある」


 キセイが困惑した様子で(たしな)めて、


「敵を絶賛してどうするのです」


「だがな。シノンはまだまだだ」


 ワドチャが(フムスグ)(ひそ)めて、


「どういうことです?」


 するとヒィが何と言ったかと云えば、


「俺が奴なら、この一戦で俺を討つ策を少なくとも九個(ユスン)(とら)える計を七個(ドロアン)は考えついた。ところがどうだ、こうして俺は生きて(オスチュ)いるぞ」


 みなきょとんとしている。ヒィは諸将を見回して、


「俺の相手が俺だったら、とっくに俺は死んでいた。つまり、奴は俺には及ばぬということではないか」


「はあ……」


 反応はもうひとつといったところ。ヒィは笑って、


よい(サイン)。肝心なのは、この俺が生きているかぎり勝敗は決しないということだ。必ず反攻に転じて、叛徒を(ほふ)ってやろうぞ」


 気力に溢れる主君(エヂェン)を見て、(ようや)く諸将の気概(ヂルケ)も復してくる。また説いて言うには、


「我が軍に青袍の徒が埋伏していたことにはたしかに驚いた。おかげで一敗地に(まみ)れてしまったが、これでシノンは最大の計略を使ってしまった。それで俺を討ち漏らしたのだから、むしろ策戦としては失敗の部類よ」


「ううむ……」


 唸ったのはヘカト。


「まあ、見ておれ。これでシノンが浮かれるようなら、俺の敵ではない」


 そしてオノチに(ニドゥ)を留めると、


雷霆子(アヤンガ)は中原に帰って、義君に現況を報せてもらいたい。光都(ホアルン)の失陥もだ。恥ずかしい話だが、助力(トゥサ)を請わねばならない」


承知(ヂェー)。すぐに発ちましょう」


(たの)んだ。もし援兵を送ってもらえるなら、先の会盟ではうっかりしていたが、(デウ)と称することも(やぶさ)かではない」


 するとオノチが言うには、


「我がハーンはそのような瑣末なことに(こだわ)る方ではありません。必ずや神箭将(メルゲン)を援けるでしょう」


「期待しているぞ」


 言葉(ウゲ)のとおり、オノチは即日北道(ホイン・モル)を通って中原に帰った。


 さてヒィを破ったシノンはといえば、まさにテンゲリにも昇る心地、おおいに喜んでいた。戦後の諸事に追われながらも、いまだあのヒィ・チノに勝ったこと自体が信じられない。


 そこにムライたちがやってきて、恭しく奏上して言うには、


「この勝利で、東原の人衆(ウルス)の目に、真の王者が誰であるか明らかになりました。つきましては名実を一致させるためにもハーンを称するべきでございます」


「この俺が、ハーン……?」


はい(ヂェー)。勝利の果実は、ときを()かずに賞味しなければいけません」


「そ、そうだな。うむ、そうしよう」


 急造の祭壇(ヂュゲリ)が築かれて、覚真導師の主導で即位の礼が()り行われる。青袍教徒たちが歓呼の(ダウン)を挙げてこれを祝う。


 かくしてシノンはハーンを僭称することになった。号して「ダルハン・バイン・ハーン(神聖にして常勝のハーン)」。


 その大仰な名を伝え聞いたヒィ・チノはおおいに笑うと、


「シノンめ、さては浮かれたか。戦は巧者だが、感性は鈍いと見える。酷い名だ」


 傍ら(デルゲ)にあったゾンゲルは思わず、


「うひぃ。先日は絶賛していたのに、今日は酷評ですかい」


「俺は正直(ツェゲン・セトゲル)なんだ。さあ、少しシノンを驚かせてやろう」


 そう言うと、手許(てもと)の一万数千騎の中から、三千騎ばかりを選び抜いて出陣を命じる。この動きを察したワドチャが、あわててやってくるなり諫めて、


「何をなさるおつもりですか。僅か三千とは、激流(キヤト)小石(チラウン)を投じるようなもの」


長者(バヤン)はここで捷報(しょうほう)を待っていろ。寡兵には寡兵の利点があるのだ」


「しかし……」


 言いかけたが、もはや相手にしない。ワドチャに、ヘカトとともにここで円陣を組んで専守するよう言い残して出立する。


 一方でシノンも、ヒィ・チノの(アミ)を止めようと図って、五万の軍勢を(ひき)いて発つ。斥候(カラウルスン)を放てば、果たして一万騎(トゥメン)ほどが円陣を()いているとのこと。勇躍(ブレドゥ)してこれを目指す。


 まさしく勝敗は兵家の常、たとえ百勝を重ねてもただ一度の敗北で(アミン)を失えばそれまでである。(ひるがえ)って()れば、緒戦に利あらずといえどもこれを挽回することなど名将にとっては容易(たやす)いこと。


 勝利の果実を甘くするのも苦くするのも才覚(アルガ)次第。敗北もまた表裏一体、これをどう調理するかが(エルデム)の見せどころ。果たしてヒィ・チノは寡兵でいかにして戦うか。それは次回で。

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