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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
595/783

第一四九回 ③

青袍の徒サトランを始めに一斉に蜂起し

南伯の兵オハザフに至りて互角に争闘す

 両軍が初めて相見(あいまみ)えたのは、オハザフ平原。ヒィの兵はやはり二万。叛乱軍(ブルガ)はこれに倍する四万を揃えたが、本来は六万騎ほどの約会(ボルヂャル)を画していた。


 当初、シノンはヒィの兵略を十分に警戒して、すべての兵が揃うのを待つつもりでいた。しかし麾下の将兵の旺盛な戦意に押される形で戦地に臨んだ。


 兵の練度や、百人長(ヂャウン)の質は、さすがにハーンの正規軍たるヒィ軍が(すぐ)れている。シノンに不安があるとすればそこだが、兵力、士気は圧倒している。進軍を決めたのは、この奔流(キヤト)のごとき勢いを殺してはいけないと考えたからである。


 また通常、練度が劣る兵は、戦況が僅かでも不利になると持ち(こた)えられず、いかな大軍も瓦解してしまうものだが、こと青袍教徒はその懸念がない。死ねば(オエレ・イュ)(ルトゥンツ)での幸福(クトゥク)が定められているので、敗勢になればなるほど喜んで敢闘する。


 これは数で劣るヒィにとっては脅威だろう。鮮やかに勝てば勝つほど、死地を見つけた兵衆が突撃してくるのである。当然損耗(ハウタル)は避けられず、やがて自らが(ノロウ)を向けざるをえない。


 しかも青袍教徒は続々と補充できるが、ヒィには余剰の兵力がない。せいぜい北伯らと合流(ベルチル)するくらいなもの。しかし北原にも悟天将軍をはじめ青袍軍は溢れている。つまりどう足掻(あが)いても、ヒィが兵の数で優位に立つことはない。


 たしかに中原のインジャと会盟はした。危急の際には援兵を送ることも約した。が、シノンが思うに、かの大奸の真意(カダガトゥ)は東原の併呑にあるのだから、わざわざ劣勢のヒィを援ける道理(ヨス)がない。


 先にウリャンハタの北伐に(くみ)したのは情勢が有利だったからであって、道義を重んじたわけではあるまい。


 まことにインジャを知るものならば、このような考えに至ることは決してなかっただろう。シノンは、果たしてその最期までインジャを理解できずに終わる。




 話が先走りすぎた。今はまだオハザフ平原に相対したところ。インジャの義侠心もすぐには発揮できぬ。ヒィとシノン、二人の英傑(クルゥド)による余人を交えぬ対決。


 好天の下、両軍は(デム)()く。広く伸びやかに兵を展開したのは、もちろん叛乱軍。前軍(アルギンチ)は闘志を(みなぎ)らせる青袍教徒。中軍(イェケ・ゴル)にはシノンとムライがある。イドゥルドも兵を与えられて一翼を担う。


 対するヒィは、まずは堅陣を組んで(ブルガ)(クチ)(はか)らんとする。先鋒(ウトゥラヂュ)(アルバ)に堪えうるモゲトもケルンもここにはない。また兵の運用に熟達したツジャンもない。


 あるのはヘカト、ワドチャ、キセイ、ゾンゲルなどであったが、いずれも将才には欠ける。よってセペート部を壊滅させた北伐のごとき自在(ダルカラン)の用兵は望むべくもない。


 しかしヒィの将兵とて決して敗れるとは思っていない。なぜなら彼らの上に立つのは、軍神とも云うべき神箭飛虎将ヒィ・チノだったからである。


 ともかく戦端は開かれる。勢いに任せた青袍教徒の一斉突撃が始まる。飛矢は驟雨(クラ)のごとくテンゲリを覆い、喊声は雷鳴(アヤンガ)のごとくエトゥゲンを揺るがす。


 たちまち乱戦となって、あるいは交わり、あるいは離れ、一個が押せば、一個が引く。進むものあれば、退くものあり、(バラウン)(たお)れれば(ヂェウン)が救い、(ウリダ)が崩れれば(ホイン)が補う。どちらが甲とも乙とも判然としない互角の争闘(カドクルドゥアン)


 およそ一刻も闘い合ったところで、双方退いて戦陣を整える。互いに敵人(ダイスンクン)予想(ヂョン)以上の難敵であることに驚倒する。


 また機が熟して兵を進める。再び衝突すれば、さらなる激戦が繰り広げられる。屍は(アウラ)となり、(ツォサン)(ムレン)となる。勝敗の帰趨はなお測り知れず、士気もまったく衰えない。ひたすら力を尽くして敵を退けんと奮戦する。


 帥将たるヒィとシノンは戦局を睨みながら次々と手を打つ。ひとつの失策(アルヂアス)命運(ヂヤー)を分けることを知っていたので、一瞬たりとも気を抜けない。


 小さな変化が現れたのは二刻も経ったころ。叛乱軍の戦列(ヂェルゲ)に僅かな(ほころ)びが生じる。あまりに苛烈な戦闘に将が気後れしたのか、俄かに隊伍が乱れる。


 ヒィは目敏(めざと)くそれを見つけると、


「あれだ! 病大牛」


はっ(ヂェー)


「参るぞ!!」


 叫ぶや否や、馬腹を蹴る。連れて近衛(ケシク)の精兵がひと塊になって押しだす。脇目も振らず一直線に敵陣の急所に突き入らんとする。




 一方、シノンもまた自軍の綻びに気づいた。顧みてムライに言うには、


「あれは……」


「イドゥルド隊かと」


「ちっ、豎子(ニルカ)め。軍を(こぼ)つ気か」


 するとムライが不敵に笑って、


「ご心配には及びません。このときのために敵中に策を施してあります」


「何だと?」


 (いぶか)るうちにもヒィの近衛軍が猛然と迫るのが見える。しかしムライはあわてることもなく、さっと(ガル)を挙げて何やら命じる。


 (にわ)かに(チフ)(つんざ)いて銅鑼の音が轟きわたったかと思えば、ひゅうひゅうと幾筋もの鏑矢(かぶらや)が放たれる。


 するとヒィの軍中で顕著な異変が起こった。どうしたわけかたちまち陣形(バイダル)は大きく崩れて、どっと浮足立つ。シノンは瞠目して問う。


「あれはいったい……?」


「実はハーンの軍中にも、密かに青袍(フフ・デール)(まと)うものが多々埋伏していたということです。合図とともに一斉に()つ算段となっておりました」


 ヒィ軍は不意に自軍の兵から襲われて右往左往、誰が味方(イル)で誰が敵かも判然としない。これでは(ソオル)になるわけがない。もちろんイドゥルド隊を撃つどころではなく、己の(アミン)を守るのがやっとの有様。


 シノンは隻眼(ソコル)を見開いたまま、ひくひくと(ハツァル)を痙攣させて、


「は、は、はは。勝ったぞ。俺はハーンに勝った!」


 震える(ダウン)で言うと、すかさず総攻撃の(カラ)を下す。ヒィはたまらず潰走、散々に撃ち破られた。

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