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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
592/783

第一四八回 ④

ヒィ青袍を禁じて北原に兵禍を招き

シノン讒謗(ざんぼう)を試みて河西に奸謀を疑う

 シノンが為す術もなくアイルに戻れば、例によって混血児(カラ・ウナス)ムライはこれをおおいに慰める。


 実はこのたびの上奏も彼が熱心に勧めたもの。シノン自身は気づいていないが、その信ずるところの多くは、日々この謀臣が植えつけてきた妄説にほかならない。


 ムライは殊更(ことさら)(フムスグ)(ひそ)めて言うには、


「もはや一朝にハーンの(セトゲル)(ひるがえ)すのは至難の業。インジャの奸謀から東原を護るのは、閣下の務め(アルバ)でございます」


 (クチ)なく答えて、


「だが私は卑賎の出自(ウヂャウル)、ハーンなくしては何もできぬ」


「何をおっしゃいます。大きな(ダウン)では言えませぬが、我が版図(ネウリド)人衆(ウルス)は、今やハーンよりも閣下を(たっと)んでおりますぞ。衆望から(ニドゥ)(そむ)けてはなりません」


「しかし何をどうすればよいのやら」


 するとムライはにたりと笑って、


「私に考えがございます」


 そしてあれこれと献策に及ぶ。それから南伯治下において、オルドに内密(ニウチャ)でさまざまなことが行われる。


 殊に中央(オルゴル)と異なったのは、天導教を公認したことである。覚真導師ことブルドゥン・エベはその版図に拠点を得て、ますます教団の拡大と信徒の煽動に注力する。シノンはムライの助言で、これに莫大な(エド)を賜与すらした。


 また兵の調練を盛んに行い、軍制を整える。光都(ホアルン)の笑面(だつ)ヤマサンを介して、糧食(イヂェ)や物資を蓄える。


 その光都(ホアルン)では、ヤマサンの発案で兵営を城外に移していた。調練や移動の便を考えてのことである。これがすんなり認められたのは、兵事については傭兵(ヂュイン)たるヤマサンの専権だったからにほかならない。


 また民の増加で(バラガスン)のうちに余裕がなくなっていたため、実は楚腰公サルチンにとってもありがたい提案だった。


 ところがそのために兵営に天導教の魔手が伸びた。たちまち大半の兵が入信して(オエレ・イュ)(ルトゥンツ)での幸福(クトゥク)を憧憬するようになった。


 ヤマサンは(ハマル)で笑ったきり信仰には興味を持たなかった。しかしこれを非とすることはなく、兵衆の自由(ダルカラン)にさせた。この時点では、ヤマサンに特別な意図(オロ)があったわけではない。が、ほどなくこれが大きな意味を持つことになる。




 月日は過ぎて(ゾン)となった。北原の叛乱(ブルガ)はいまだ平定に至らず、またツジャン・セチェンも見つからないままである。


 シノンのもとに、オルドから早馬(グユクチ)が送られてきた。何ごとかとて会ってみれば、告げて言うには、


「ハーンより南伯へ勅命(ヂャルリク)である。『すぐに発って、中原に義君を訪ねよ。あとは白夜叉と一丈姐(オルトゥ・オキン)が解っている』とのこと。反問は許さぬ。よろしいな」


 とりあえず拝命してこれを返すと、ほかに人もいないのでムライに(はか)る。すると言うには、


「行ってはなりませぬ。これはきっとハーンがインジャと語らって、閣下を亡きものにせんとする奸計に違いありません」


「まさか……」


 青ざめた(ヌル)で呟けば、


いえ(ブルウ)、白夜叉と一丈姐といえば、先にジョルチの間諜とともに賄賂を運んできた妖婦ではありませんか。そのようなものに身を預けられましょうか」


「…………」


「ひとたびカオロン(ムレン)を渡れば、四囲は敵人(ダイスンクン)だらけ。(アミン)が幾つあっても足りませぬぞ」


「よもやハーンが、この俺を……」


 隻眼(ソコル)を見開いて、わなわなと震える。ムライがここぞとばかりに、


「オルドにおいてハーンがどのようであったか、よもやお忘れではあるまい。古言には『先んずればすなわち人を制し、(おく)るればすなわち人の制するところとなる』と申しますぞ」


 シノンは目瞬き(ヒルメス)もせずに、ゆっくりとムライの顔を見遣(みや)ると、


「お、お前は何を言っているのだ……」


 ムライは黙って、そっと頷く。この瞬間、彼は四頭豹の(カラ)を受けて東原に埋伏した成果を確信したのであるが、くどくどしい話は抜きにする。




 そしてついに、ヒィ・チノ直轄の版図においても叛乱(ブルガ)狼煙(のろし)が上がった。すなわち「青袍教徒の乱」の勃発である。


 先陣を切ったのはサトラン氏の青袍教徒であった。サトラン氏とは、鳳毛麟角ツジャンが族長(ノヤン)たる氏族(オノル)である。そもそも天導教を嫌っていたツジャンの行方が知れないのをよいことに、いつの間にか数多の信徒を獲得していた。


 大勢の人衆が怪しげな教えに傾倒したのにはまたわけがある。


 (ハバル)の寒波において、ツジャンはハーンに人衆を救済する策を進言した。しかし己の治めるサトランについては、あとで自ら対応することとて何ら策を施していなかった。


 果たしてその前に失踪してしまったので、ナルモントで唯一、サトランの民だけが甚大な損害を(こうむ)ってしまったのである。よって困窮し、絶望した多くの人衆が政道を憎んで青袍(フフ・デール)(まと)うに至ったという次第。


 ツジャンのないサトランの諸将はどうしてよいやら判らず妖賊の跳梁を許す。兵を糾合するものとてなく、虚を衝かれて己の家財を守ろうとするばかり。たちまち呑み込まれて片端から討たれる。


 このことから神箭将(メルゲン)の版図は鳴動して、ついには東原を二分する大擾乱となる。(はか)るべき賢者(セチェン)(セウデル)すらなく、(たの)むべき英傑(クルゥド)(セトゲル)が揺れている。かつてない危機(アヨール)に試されるは新たな紐帯(ヂャンギ)か、それとも世間(オルチロン)に流布する美名かといったところ。果たしてヒィ・チノは乱を治めることができるのか。それは次回で。

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