第一四八回 ②
ヒィ青袍を禁じて北原に兵禍を招き
シノン讒謗を試みて河西に奸謀を疑う
ついにヒィ・チノに叛して挙兵するものが現れた。
最初に蜂起したのは北原の蕃王の一人で、名をザシンと云う。あえてカーンの号を採り、自らを「悟天将軍」と称する。また盟友のチャクバルを誘い、こちらは「護教将軍」を名乗る。
もちろんともに青袍の徒。おおいにヒィ・チノ・ハーンの非を鳴らし、北伯打倒を唱える。
燎原の火が広がるがごとく、みるみる膨れ上がって北原を蹂躙する。これは四散していたセペート部の遺民が加わったためである。元来両者は必ずしも友誼ある関係ではなかったが、天導教を介して結びついたもの。
北伯たる金杭星ケルン・カンは、オルドへ早馬を送って報せるとともに、速やかに討伐の軍を興した。傍らにはもちろん司命娘子ショルコウがあったが、実弟イドゥルドの失態に心を痛めており、やや精彩を欠く。
ともかく急を告げられたヒィは、小金剛モゲトに救援を命じる。タラント軍はズイエ河を押し渡って北原に攻め入った。
これがいわゆる「東原動乱」の端緒となった。この時点ではあれほどの大乱になると予測したものはほとんどなかったが、詳細については縷々述べることにする。
ケルンとモゲトは合流して、ともに叛徒に当たる。幾度か戦ううちに、両将は激しい違和を感じる。
用兵よろしきを得て敵の戦列を打ち砕き、そろそろ潰走に転じるだろうというころになっても、敵人は一向に退かない。
目をぎらぎら光らせながら執拗に抗う。背を向けるどころか、進んで死地に身を投じて已まない。おかげで大勢が決してなお力戦を強いられる。
そもそも草原の兵は、逃げること自体は恥としていない。利あらずと見れば、騎馬の快足を活かしてたちまち離脱する。兵力を温存して機会を待つのである。
よってケルンもモゲトも、このような敵に遭ったことがほとんどない。斬っても斬っても最後の一兵まで向かってくる異様さに、おおいに辟易して次第に恐ろしくなってくる。モゲトがショルコウに言うには、
「いったいあれは何なんだ。狂人の群れか。たしかにハーンは『根絶やしにせよ』とおっしゃったが、このままではまことに殺し尽くさねば終わらぬぞ」
「そんな戦を続けていては、たとえ勝っても損失は計り知れないわ。死をも恐れぬとはよく云うけれど、さすがに常軌を逸している」
ケルンが難しい顔で、
「死を恐れないどころの話じゃない。むしろ喜んで死のうとしているようだ。気味が悪いったらない」
首を捻りながらも、襲いくる敵と戦い続けるほかない。
幸いにしてザシンもチャクバルも勇猛ではあったが、その用兵は拙劣だった。またその兵衆は戦意は旺盛でも練度が劣っていた。とはいえ、ケルンもモゲトも、疲弊と恐怖を訴える兵衆を叱咤しながらの転戦を余儀なくされる。
北原での戦況が一進一退している間に春になる。ところが猛烈な寒波に襲われ、家畜も人衆も次々と斃れる。例年になく厳しい春であった。
天導教の覚真導師はますます勢いづいて、
「真天王が偽りの王を責めているぞ。正法を行わぬからだ。今すぐ悔い改めて正法に帰せ!」
そう説いて人衆を煽動する。
オルドでは鳳毛麟角ツジャンがこれを憂えて、困窮する人衆に対する施しを進言する。損害の大きかったものは奉呈するべき家畜を免除、かつハーンの持てる家畜を賜与することにする。
また光都の楚腰公サルチンと連携して、糧食や袍衣を納めさせることにした。神行公キセイを走らせれば、瞬く間に快諾の返答を得て帰ってくる。
と、それから数日して、やはりサルチンから急使が送られてくる。ツジャンが訝しく思いながら会ってみると、
「楚腰公様が内密に諮りたいことがあるとのこと。至急、光都へお越しください」
「どういった話だ。先に嘱んだ件か」
「はい。それもありますが、さらなる大事を抱えていらっしゃるご様子。余人を交えることなく直に諮らねばならぬと仰せでした」
さては青袍教が光都でも騒動を始めたか、それとも南伯に関することか、もしやヤクマン軍が対岸に現れたか。ざっと思案を巡らせたが、たしかに一度会って話すべきことに事欠かない。
「承知。すぐに参ろう」
急いで準備を整えて、あれこれと後事を人に託す。オルドにてヒィに見えると、
「楚腰公に会ってまいります。世事多端のときだからこそ、しかと意志を通わせておかねばなりません。すぐに戻りますが、何かございましたら鉄面牌と長者にお尋ねください」
「うむ、楚腰公によろしく伝えてくれ」
あっさりと送りだす。このことをヒィ・チノはおおいに悔やむことになる。なぜなら、それっきりツジャンの姿は、ふっつりと消えてしまったからである。
待てど暮らせど帰ってこないのを怪しんで光都にキセイを遣ってみれば、あわてて帰ってきて言うには、
「鳳毛麟角は光都に現れておりません。それどころか、楚腰公はそんな使者は出していないとのことですぞ!」
「何だと……?」
青ざめて方々を捜させたが、踏跡さえ見つからない。果たしてツジャンがどうなったかは、いずれ判ることゆえ今は述べない。




