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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
589/783

第一四八回 ①

ヒィ青袍を禁じて北原に兵禍を招き

シノン讒謗(ざんぼう)を試みて河西に奸謀を疑う

 さて、ヒィ・チノらが感知しえぬところで暗い渦(ハラング・クイラン)(うごめ)く東原……。すべては四頭豹の策動に端を発する。


 しかし次第にその効果は表出しつつあった。南伯シノンは、みなが喜んだ義君インジャとの会盟に独り異を唱えて叱責された。また天導教は着実に信徒を増やして、今やズイエ(ムレン)を渡って北原をも浸食する。


 北伐の成功、中原との通交と順風に見えたヒィ・チノの治世にはうっすらと、しかし確実に暗雲(エウレン)が漂いはじめる。まだ誰も何が起きているか判っていなかったが、今回の一件には暗澹たる思いを禁じえない。


 というのは、新興の天導教を内偵していたアケンカム氏のイドゥルドが、こともあろうにすっかりその教説に毒されて還ったことである。ヒィ・チノは呆れ、怒って言うには、


「……何という無能(アルビン)。あの司命娘子の(デウ)とも思えぬ」


 また勅命(ヂャルリク)を下して、


「人心を惑わす妖賊を根絶やし(ムクリ・ムスクリ)にせよ。覚真導師なるものは必ず(ほふ)って(さら)せ」


 ついに版図(ネウリド)の全域において天導教を禁ずる令を発する。とはいえ、青袍(フフ・デール)の徒を片端から捕らえて処刑するわけにもいかない。草原(ミノウル)は人口が少なく、その増減は部族(ヤスタン)の盛衰に直結する。


 それでも勅命である。禁教を布告して、その祭儀や集会を禁じる。また出家のものについては捜しだして捕縛を試みる。しかし成果はまるで上がらない。在家の信徒が、(クチ)を併せてこれを(かくま)ったからである。


 すでに信徒といえども必ずしも青袍を(まと)わずともよくなっていたが、禁教令を受けて、袍衣(デール)や冠の裏に青い布切れ(フルテスン)を縫いつけるだけでも善しとされた。おかげでますます摘発は困難となる。


 信徒は潜伏して連絡を取り、密かに集まって信仰を深めた。現世(イュルトゥンツ)に不満を持つものをさらに糾合して信徒は増え続ける。


 禁教令の発布がかえってその結束(ヂャンギ)を強め、教団の拡大を招いた側面も否定できない。何となれば覚真導師が全土の信徒に向けて言ったことには、


神箭将(メルゲン)が躍起になって弾圧を加えるのは、我らが正しいからである。ゆえに彼奴は我らの正法(ヂャサ)が行われることを恐れているのだ。決して悪逆の王に屈するなかれ。テンゲリの加護は我にあるぞ」


 こうなってしまうと、これを(くつがえ)すのはいよいよ困難である。否定すればするほど、それは彼らが正しいからだという(ヨス)が成ってしまった。


 東原に神道子ナユテや通天君王マタージのようなものがあれば、ことは違ったかもしれないが、今さら望むべくもない。


 ヒィが巫者(ボエー)の類を嫌って遠ざけていたために識見あるものは育たず、適切な助言を与えうるものはなかった。


 それでもヒィ直轄の牧地(ヌントゥグ)はまだよかった。南伯シノンの治下に至っては、禁教はほとんど行われなかった。というのも混血児(カラ・ウナス)ムライが、


「無害な人衆(ウルス)の信仰に掣肘(せいちゅう)を加えるのは、仁君の為すことではありません。このたびのハーンの勅命は、君側の奸がこれを誤らしめたものです」


 そう言って諫めたからである。これによって一部の追い込まれた信徒は、脱走(オロア)して南伯に投じることになった。


 アケンカムのイドゥルドもその一人である。ハーンに従って人衆を導くべき族長(ノヤン)の位にありながら、すっかり天導教にのめり込んでしまったイドゥルドは、監視の(ニドゥ)をくぐって単身逃れた。窮状を訴えられたシノンは、やむなくこれを(かくま)う。


 叔父(アバガ)のゴオルチュ(注1)は、すっかり狼狽してオルドに報せる。新年が明けてまもなくのことにて酒宴が開かれていたが、ヒィ・チノはそれを聞くや杯を叩きつけて激昂(デクデグセン)した。その場でイドゥルドの族長(ノヤン)の任を解き、仮にゴオルチュを指名する。


 この顛末(ヨス)は、ヒィ・チノの醜声として草原(ケエル)を駆け巡り、あるものは(セトゲル)を痛め、あるものは快哉を叫んだ。


 北原でも事情(アブリ)は大きく変わらない。厳密には北原はヒィ・チノの版図ではない。森の民(オイン・イルゲン)の治める(ガヂャル)である。


 よって北伯ケルンなど近しいものは禁教に従ったが、それをほかのものに強制することはできない。いわんやすでに入信したものをや。むしろ反発していっそう心が離れる。


 覚真導師の行方は(よう)として知れなかったが、盛んに伝師を放っては言葉(ウゲ)を発する。禁教令ののち、さらに強調されたのは以下の言説であった。


「天導の教えに殉じて死んだものは、必ず真天王がこれを憐れんで(オエレ・イュ)(ルトゥンツ)に転生せしめ、永遠(モンケ)()幸福(クトゥク)を得られよう」


 次第に信徒は勇躍(ブレドゥ)して、信仰のために戦う(ウドゥル)を待ち望むようになった。そう、ハーンのためでも平和(ヘンケ)のためでもなく、信仰のために。ただ己が別世に転生して永遠の幸福を得るために。


 ドルベン・トルゲがムライたちを送り込んで()いた動乱の種は、まさに芽を吹きださんとしていた。

(注1)【ゴオルチュ】ショルコウ、イドゥルドの(エチゲ)ベルンの(デウ)。人は好いが怠惰で臆病。かつて留守地(アウルグ)神都(カムトタオ)軍に襲われたときには、ショルコウの献策で何とかこれを退けた。第四 五回①参照。

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