第一四八回 ①
ヒィ青袍を禁じて北原に兵禍を招き
シノン讒謗を試みて河西に奸謀を疑う
さて、ヒィ・チノらが感知しえぬところで暗い渦が蠢く東原……。すべては四頭豹の策動に端を発する。
しかし次第にその効果は表出しつつあった。南伯シノンは、みなが喜んだ義君インジャとの会盟に独り異を唱えて叱責された。また天導教は着実に信徒を増やして、今やズイエ河を渡って北原をも浸食する。
北伐の成功、中原との通交と順風に見えたヒィ・チノの治世にはうっすらと、しかし確実に暗雲が漂いはじめる。まだ誰も何が起きているか判っていなかったが、今回の一件には暗澹たる思いを禁じえない。
というのは、新興の天導教を内偵していたアケンカム氏のイドゥルドが、こともあろうにすっかりその教説に毒されて還ったことである。ヒィ・チノは呆れ、怒って言うには、
「……何という無能。あの司命娘子の弟とも思えぬ」
また勅命を下して、
「人心を惑わす妖賊を根絶やしにせよ。覚真導師なるものは必ず屠って晒せ」
ついに版図の全域において天導教を禁ずる令を発する。とはいえ、青袍の徒を片端から捕らえて処刑するわけにもいかない。草原は人口が少なく、その増減は部族の盛衰に直結する。
それでも勅命である。禁教を布告して、その祭儀や集会を禁じる。また出家のものについては捜しだして捕縛を試みる。しかし成果はまるで上がらない。在家の信徒が、力を併せてこれを匿ったからである。
すでに信徒といえども必ずしも青袍を纏わずともよくなっていたが、禁教令を受けて、袍衣や冠の裏に青い布切れを縫いつけるだけでも善しとされた。おかげでますます摘発は困難となる。
信徒は潜伏して連絡を取り、密かに集まって信仰を深めた。現世に不満を持つものをさらに糾合して信徒は増え続ける。
禁教令の発布がかえってその結束を強め、教団の拡大を招いた側面も否定できない。何となれば覚真導師が全土の信徒に向けて言ったことには、
「神箭将が躍起になって弾圧を加えるのは、我らが正しいからである。ゆえに彼奴は我らの正法が行われることを恐れているのだ。決して悪逆の王に屈するなかれ。テンゲリの加護は我にあるぞ」
こうなってしまうと、これを覆すのはいよいよ困難である。否定すればするほど、それは彼らが正しいからだという理が成ってしまった。
東原に神道子ナユテや通天君王マタージのようなものがあれば、ことは違ったかもしれないが、今さら望むべくもない。
ヒィが巫者の類を嫌って遠ざけていたために識見あるものは育たず、適切な助言を与えうるものはなかった。
それでもヒィ直轄の牧地はまだよかった。南伯シノンの治下に至っては、禁教はほとんど行われなかった。というのも混血児ムライが、
「無害な人衆の信仰に掣肘を加えるのは、仁君の為すことではありません。このたびのハーンの勅命は、君側の奸がこれを誤らしめたものです」
そう言って諫めたからである。これによって一部の追い込まれた信徒は、脱走して南伯に投じることになった。
アケンカムのイドゥルドもその一人である。ハーンに従って人衆を導くべき族長の位にありながら、すっかり天導教にのめり込んでしまったイドゥルドは、監視の目をくぐって単身逃れた。窮状を訴えられたシノンは、やむなくこれを匿う。
叔父のゴオルチュ(注1)は、すっかり狼狽してオルドに報せる。新年が明けてまもなくのことにて酒宴が開かれていたが、ヒィ・チノはそれを聞くや杯を叩きつけて激昂した。その場でイドゥルドの族長の任を解き、仮にゴオルチュを指名する。
この顛末は、ヒィ・チノの醜声として草原を駆け巡り、あるものは心を痛め、あるものは快哉を叫んだ。
北原でも事情は大きく変わらない。厳密には北原はヒィ・チノの版図ではない。森の民の治める地である。
よって北伯ケルンなど近しいものは禁教に従ったが、それをほかのものに強制することはできない。いわんやすでに入信したものをや。むしろ反発していっそう心が離れる。
覚真導師の行方は杳として知れなかったが、盛んに伝師を放っては言葉を発する。禁教令ののち、さらに強調されたのは以下の言説であった。
「天導の教えに殉じて死んだものは、必ず真天王がこれを憐れんで別世に転生せしめ、永遠の幸福を得られよう」
次第に信徒は勇躍して、信仰のために戦う日を待ち望むようになった。そう、ハーンのためでも平和のためでもなく、信仰のために。ただ己が別世に転生して永遠の幸福を得るために。
ドルベン・トルゲがムライたちを送り込んで播いた動乱の種は、まさに芽を吹きださんとしていた。
(注1)【ゴオルチュ】ショルコウ、イドゥルドの父ベルンの弟。人は好いが怠惰で臆病。かつて留守地が神都軍に襲われたときには、ショルコウの献策で何とかこれを退けた。第四 五回①参照。