表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
586/783

第一四七回 ②

ヒィ・チノ(つい)に義君と結んで南伯妄言し

ムライ盛んに籌策(ちゅうさく)(めぐ)らせて妖賊跋扈(ばっこ)

 それから三日間に(わた)って、連日の宴が繰り広げられる。双方の好漢(エレ)たちはすっかり通じあったが、ただ飲んで騒いでいたわけでもない。両部族(ヤスタン)間のさまざまなことどもが決められた。


 (ネグ)には、互いに争わないのは無論のこと、危急の(とき)には兵を出して援けあう。


 (ホイル)には、北原については森の民(オイン・イルゲン)(まか)せて、どちらも版図(ネウリド)に組み込まない。


 (ゴルバン)には、北道(ホイン・モル)の経営は、オンゴド・アウラ平原より(ヂェウン)はナルモントが、西(バラウン)はジョルチが担う。


 (ドルベン)には、互いのオルドに常駐の代官(ダルガチ)を置く。初代の正副の代官には、ジョルチからはオノチとカナッサが、ナルモントからはミヒチとカノンが任命される。


 (タブン)には、文武の交流を盛んにして長短を補いあう。


 (ゾルガーン)には、インジャとヒィ・チノは盟友(アンダ)の誓いを交わして義兄弟となる。


 ちなみに六項について、やや異例ではあるが兄弟の順は特に定めなかった。ウリャンハタと会盟したときには獬豸(かいち)軍師サノウがそこに(こだわ)った(注1)が、今回は何となく誰も言いださなかったのである。


 ともかくみな会盟の成果におおいに満足して帰途に就く。


 このときモルテはガラコに(たの)まれて、そのまま東原に向かった。新生したボギノ・ジョルチの範とするべく、勃興著しいナルモントに学ぶためである。ミヒチとカノンが中原に発つ(ウドゥル)に、ともに帰ることにする。


 オルドに帰ったヒィ・チノは、表向きは何の変化も見えない。主星云々についてもミヒチたちに漏らして以来、ひと言も口にしない。


 むしろ余の諸将のほうが興奮覚めやらず、しばらくインジャの高徳や麾下の陣容について讃え、交誼(ナイラムダル)を得たことをおおいに喜んだ。


 そうしたところに、沸々と怒り(アウルラアス)(たぎ)らせながら乗り込んできたものがある。誰あろう、隻眼傑(ソコル・クルゥド)シノンである。側近となったムライも(セウデル)のごとく(したが)っている。(にわ)かに南伯自らやってきたことに、ヒィは(フムスグ)(ひそ)めて、


「いったいどうしたのだ。留守に何かあったか」


 問えば、(まなじり)を決して言うには、


「どうしたもこうしたもありませぬ。ハーンはジョルチのインジャと北原でお会いになられたとか」


然り(ヂェー)早馬(グユクチ)にて南伯にも伝えたはずだが」


 するとシノンは、


「もちろん伺いました。しかし臣は()せませぬ。なぜハーンはただこれと宴に興じて帰っていらしたのです」


 ヒィは眉間の皺をさらに深くする。何よりその言わんとしていることが判らなかったからである。シノンは焦燥を募らせた様子で続けて、


「私はてっきり会盟と称して、北原でインジャを討つものだと思っておりました」


 これには居並ぶ主従一同、等しく驚愕して(ニドゥ)を円くする。誰一人としてそんなことは(ごう)も考えていなかった。


 世間(オルチロン)高名(ネルテイ)な義君を騙し討ちになどすれば、衆望を失うのは(オト)を見るがごとく明らかである。またインジャの周囲には優れた僚友(ネケル)が揃っている。仮に、万が一にもありえないが、それを企図したとしてもとても成功するものではない。


 ヒィは呆れて、


「お前は何を言っているのだ。おもしろくもない戯言をわざわざ言いにきたのか」


 シノンは莞爾ともせず、いよいよ憤然として、


「戯言などではありません。ハーンこそどうかしてしまわれたのではありませんか。あのインジャは義君とは名ばかりの大奸人。我欲のままに草原(ミノウル)に覇を唱えんとする暴虎のごときものですぞ。これと戦う(アヤラクイ)ことはあっても、決して結んではなりません」


 ヒィをはじめ、みな唖然として止める術も知らない。そこでさらに熱を込めて言うには、


「すでに盟を結んでしまったのであれば、いっそのことそれを利して(ブルガ)を討つべきです。よもや会盟直後に攻められるとは思わず、左翼(ヂェウン・ガル)(※東方の意)の備えは薄いはず。ひと言ご下命くだされば、この南伯が精兵を(ひき)いて……」


「黙れ!」


 (ようや)く我に返ったヒィ・チノは、立ち上がって一喝した。シノンは虚を衝かれて瞠目する。いったい何が不興を買ったのか見当もつかない様子に、諸将は開いた(アマン)(ふさ)がらない。


「ハーン、臣は……」


「黙れ、と言っている」


 一転して静か(ヌタ)な口調は、むしろその忿怒が頂点に達した(あかし)。思わずみな平伏したが、当のシノンは独り敢然と(ヌル)を上げて、


いえ(ブルウ)、黙りませぬ。ハーン、義君に欺かれてはなりませぬ。ナルモントの、東原の人衆(ウルス)のためにも……」


 なおも言い募ろうとするのにはかまわず、


「南伯よ、牧地(ヌントゥグ)に戻れ。俺はここに来いと命じた覚えはない。これ以上、ジョルチのハーンを冒瀆すれば、いかに南伯といえども無事にはすまぬぞ」


「ハーン……」


 シノンの隻眼(ソコル)悲しみ(ゲヌエル)の色が浮かぶ。つと目を伏せたが、やがて揖拝(ゆうはい)して、


「今日のところは帰ります。ただ臣は常にハーンの身を案じております。その忠心(シドゥルグ)についてはお疑いなきよう」


 悄然と(ムル)を落として退出する。ヒィは(ダウン)をかけることもなく、瞋恚(しんい)を含んだ目でこれを見送ったが、くどくどしい話は抜きにする。

(注1)【獬豸(かいち)軍師サノウがそこに(こだわ)った】ウリャンハタと会盟する際、サノウはジョルチが兄であることを絶対の条件とした。第八 六回③参照。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ