第一四七回 ②
ヒィ・チノ遂に義君と結んで南伯妄言し
ムライ盛んに籌策を運らせて妖賊跋扈す
それから三日間に亘って、連日の宴が繰り広げられる。双方の好漢たちはすっかり通じあったが、ただ飲んで騒いでいたわけでもない。両部族間のさまざまなことどもが決められた。
一には、互いに争わないのは無論のこと、危急の秋には兵を出して援けあう。
二には、北原については森の民に委せて、どちらも版図に組み込まない。
三には、北道の経営は、オンゴド・アウラ平原より東はナルモントが、西はジョルチが担う。
四には、互いのオルドに常駐の代官を置く。初代の正副の代官には、ジョルチからはオノチとカナッサが、ナルモントからはミヒチとカノンが任命される。
五には、文武の交流を盛んにして長短を補いあう。
六には、インジャとヒィ・チノは盟友の誓いを交わして義兄弟となる。
ちなみに六項について、やや異例ではあるが兄弟の順は特に定めなかった。ウリャンハタと会盟したときには獬豸軍師サノウがそこに拘った(注1)が、今回は何となく誰も言いださなかったのである。
ともかくみな会盟の成果におおいに満足して帰途に就く。
このときモルテはガラコに嘱まれて、そのまま東原に向かった。新生したボギノ・ジョルチの範とするべく、勃興著しいナルモントに学ぶためである。ミヒチとカノンが中原に発つ日に、ともに帰ることにする。
オルドに帰ったヒィ・チノは、表向きは何の変化も見えない。主星云々についてもミヒチたちに漏らして以来、ひと言も口にしない。
むしろ余の諸将のほうが興奮覚めやらず、しばらくインジャの高徳や麾下の陣容について讃え、交誼を得たことをおおいに喜んだ。
そうしたところに、沸々と怒りを滾らせながら乗り込んできたものがある。誰あろう、隻眼傑シノンである。側近となったムライも影のごとく随っている。卒かに南伯自らやってきたことに、ヒィは眉を顰めて、
「いったいどうしたのだ。留守に何かあったか」
問えば、眦を決して言うには、
「どうしたもこうしたもありませぬ。ハーンはジョルチのインジャと北原でお会いになられたとか」
「然り。早馬にて南伯にも伝えたはずだが」
するとシノンは、
「もちろん伺いました。しかし臣は解せませぬ。なぜハーンはただこれと宴に興じて帰っていらしたのです」
ヒィは眉間の皺をさらに深くする。何よりその言わんとしていることが判らなかったからである。シノンは焦燥を募らせた様子で続けて、
「私はてっきり会盟と称して、北原でインジャを討つものだと思っておりました」
これには居並ぶ主従一同、等しく驚愕して目を円くする。誰一人としてそんなことは毫も考えていなかった。
世間に高名な義君を騙し討ちになどすれば、衆望を失うのは火を見るがごとく明らかである。またインジャの周囲には優れた僚友が揃っている。仮に、万が一にもありえないが、それを企図したとしてもとても成功するものではない。
ヒィは呆れて、
「お前は何を言っているのだ。おもしろくもない戯言をわざわざ言いにきたのか」
シノンは莞爾ともせず、いよいよ憤然として、
「戯言などではありません。ハーンこそどうかしてしまわれたのではありませんか。あのインジャは義君とは名ばかりの大奸人。我欲のままに草原に覇を唱えんとする暴虎のごときものですぞ。これと戦うことはあっても、決して結んではなりません」
ヒィをはじめ、みな唖然として止める術も知らない。そこでさらに熱を込めて言うには、
「すでに盟を結んでしまったのであれば、いっそのことそれを利して敵を討つべきです。よもや会盟直後に攻められるとは思わず、左翼(※東方の意)の備えは薄いはず。ひと言ご下命くだされば、この南伯が精兵を帥いて……」
「黙れ!」
漸く我に返ったヒィ・チノは、立ち上がって一喝した。シノンは虚を衝かれて瞠目する。いったい何が不興を買ったのか見当もつかない様子に、諸将は開いた口が塞がらない。
「ハーン、臣は……」
「黙れ、と言っている」
一転して静かな口調は、むしろその忿怒が頂点に達した証。思わずみな平伏したが、当のシノンは独り敢然と顔を上げて、
「いえ、黙りませぬ。ハーン、義君に欺かれてはなりませぬ。ナルモントの、東原の人衆のためにも……」
なおも言い募ろうとするのにはかまわず、
「南伯よ、牧地に戻れ。俺はここに来いと命じた覚えはない。これ以上、ジョルチのハーンを冒瀆すれば、いかに南伯といえども無事にはすまぬぞ」
「ハーン……」
シノンの隻眼に悲しみの色が浮かぶ。つと目を伏せたが、やがて揖拝して、
「今日のところは帰ります。ただ臣は常にハーンの身を案じております。その忠心についてはお疑いなきよう」
悄然と肩を落として退出する。ヒィは声をかけることもなく、瞋恚を含んだ目でこれを見送ったが、くどくどしい話は抜きにする。
(注1)【獬豸軍師サノウがそこに拘った】ウリャンハタと会盟する際、サノウはジョルチが兄であることを絶対の条件とした。第八 六回③参照。