第一四六回 ④
青袍の徒シノンを称揚して裔孫と崇め
西原の相インジャに謙譲して国名を改む
ジョルチとナルモントの会盟の地に選ばれたのは、北道のほぼ中央に当たるオンゴド・アウラ(※精霊の山の意)平原。
神箭将ヒィ・チノが伴ったのは、鉄面牌ヘカト、一丈姐カノン、司命娘子ショルコウ、長者ワドチャ、白夜叉ミヒチ、神行公キセイ、小金剛モゲト、病大牛ゾンゲル、そして金杭星ケルン・カンの九名である。
鳳毛麟角ツジャンと隻眼傑シノン、それから光都の楚腰公サルチンは留守を託される。
義君インジャに随ったのは、胆斗公ナオル、超世傑ムジカ、獅子ギィ、通天君王マタージ、百策花セイネン、鉄鞭アネク・ハトン、癲叫子ドクト、雷霆子オノチ、飛生鼠ジュゾウ、赫大虫ハリン、奔雷矩オンヌクド、金写駱カナッサ、飛天熊ノイエン、神餐手アスクワ、そして黒曜姫シャイカの十五名。
余の好漢たちもみな名高きヒィ・チノ・ハーンに会いたがったが、泣く泣くあとに残る。
さらにインジャの下には二人の女傑が在った。誰あろう、クル・ジョルチの王大母ガラコと賢婀嬌モルテである。
前年に黥大夫カンバル、靖難将軍イトゥクが中原を訪れていたが、今夏は断事官ガラコ自らやってきたことになる。これは単なる表敬ではない。部族の大事を告げるべく来たのである。
北原に発つ少し前のこと、ガラコはインジャに見えて、ひととおり挨拶を交わすと言うには、
「我が部族は、ジョルチ部との友好が恒久のものとなることを望んでおります。そこでクル・ジョルチの呼称を憚って、これを改めることにいたしました」
インジャはおおいに驚く。モルテが莞爾と微笑んで言うには、
「そもそもクル・ジョルチとは、ジョルチに対抗して付けられた名称で、その意は『衆いジョルチ』です。今やかつての同族として睦み合おうと云うのに、百年前の確執の下で生まれた名に拘るのは愚かしいことと言わねばなりません」
ガラコが呵々と笑って、
「というわけで今後は『ボギノ・ジョルチ』を国の名といたします」
インジャは目を瞠る。何となれば、ボギノ・ジョルチとはすなわち、「短いジョルチ」の意。モルテが陳べて言うには、
「我が部族は、百年前にジョルチから分かれて興ったもの。すなわちその歴史は浅く、人衆に恩沢を施した時日も『短い』と言わざるをえません。とはいえ百年も経てば『新しい』とは言えません。なのでボギノ・ジョルチとなった次第です」
これを聞いたインジャは大きく頷くと、
「実に謙譲の心に溢れた美称。その名を聞いただけで部族が新生したこと明らかである。我らは同じ幹から分かれた左右の枝葉、これからも手を携えて草原の平和のために道を行おうぞ」
言えば、ガラコとモルテは三拝して言葉のとおりにすることを誓った。以後、二人は歓待を受けていたが、インジャ親らこれを誘って連れてきたのである。
さていよいよ約会の日。前日には両軍とも無事に到着してそれぞれ陣を張り、使者を送り合って会盟に備える。
明けて当日はテンゲリの恵みか、爽やかな涼風がそよぎ、何とも心地好い朝を迎える。双方の好漢は心躍らせながら、中央に張られた幕舎へと足を運ぶ。
近づけば得も言われぬよい香りが漂う。それはアスクワが暗いうちから仕込みはじめた料理のもの。みな唾をごくりと呑んで、期待に胸を膨らませる。
このたびの会盟は、ヒィ・チノの希望により仰々しい儀式はことごとく省き、席を連ねて酒食をともにしながらあれこれ諮ることになっていた。
本来ジョルチ部は、どちらかといえば荘重な礼を好む傾向がある。多くは獬豸軍師サノウの意向によるものだったが、そのサノウは南征失敗の責を負って下野したきり、行方は杳として知れない。
ともかくヒィ・チノの提案を拒む理由は何もなかった。となれば名分はともかく、やることはいつものお決まりの宴と同じである。
西側の席にはインジャを筆頭に中原の諸将が、東側の席にはヒィ・チノをはじめとした東原の諸将が座った。北側にはテンゲリに捧げる祭壇が据えられている。
インジャはヒィ・チノと相対するや、初めて会うはずなのになぜか無性に懐かしく思う情が込み上げてきて言うには、
「ああ、ついにお会いすることができましたね。ジョルチのインジャです。今日は、いえ、以後末永くよろしくお願いします」
一方のヒィ・チノはといえば、話しかけられてその目を見た瞬間に、頭頂から尾骨にかけて雷霆が突き抜けたような衝撃を覚えて、思わず腰を浮かす。隣席のヘカトが驚いて目を遣る。
「あっ……」
何となくそのまま立ち上がると、揖拝して言うには、
「ナルモントのヒィ・チノです。お初にお目にかかります。かねがね義君の高名は聞き及んでおり、お会いしたいと念じておりました。こちらこそよろしくお願い申し上げます」
ゆっくりと着座したが、その間も視線はインジャから離れない。目瞬きも忘れてまじまじと見つめる。
シャイカが女官を率いて、酒を注いで回る。またアスクワの指揮する一隊は、次々と料理を運び入れる。卓上が酒食で満ちるとインジャが杯を掲げて、
「では、両部族の友好を祈念して」
乾杯を告げれば、あとはおおいに飲んで、おおいに食す。もとよりテンゲリの定めた宿星の集い、一語を交わすごとに心は通じ、流觴飛杯して已むことがない。まさに英傑は英傑を知り、好漢は好漢を識るといったところ。
かくして飛虎は改めて神占の言に想いを致し、天将たる宿運について熟慮することになるわけだが、このことによって黒羽の翼を失おうとは、まことにテンゲリの配剤は測りがたきもの。果たしてヒィ・チノを待ち受けるのはいかなる運命か。それは次回で。