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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
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第一四六回 ③

青袍の徒シノンを称揚して裔孫と(あが)

西原の相インジャに謙譲して国名を改む

 そのころ、南伯の版図(ネウリド)に覚真導師と称する胡乱(うろん)な男が現れて、奇妙な言説を唱えはじめた。天王(フルムスタ)より正しいテンゲリの信仰の(ヂャサ)を授かったとて、方々で布教を始める。


 それまで行われてきた(ヂャサ)の多くは誤りで、乱れた世のおかげで正法が()げられ、失われてしまったのだという。今こそ正法に立ち返らなければ、いよいよテンゲリの怒り(アウルラアス)が募って、いずれ恐ろしいことが起きるだろうと脅して回る。


 見れば二十歳前後の痩せこけた(トランハイ)青年。蓬髪にして長袍を(まと)い、錫杖を突いて騾馬(カチドゥ)を連れている。群衆(バルアナチャ)を集めて説いて言うには、


現世(イュルトゥンツ)の終焉が近づいている。ただちに正法に返るべし。さもなくんばテンゲリは裂け、エトゥゲンは崩れようぞ。偽りの王を(あが)めてはならぬ。悔い改めよ。今ならまだ間に合うぞ。私は奇縁によって天王(フルムスタ)より直々に正法を預かったもの。我が預言(ウゲ)に従えば、永遠(モンケ)の救いを得られよう」


 最初は誰にも相手にされなかったが、繰り返し説き続けるうちに、ぽつりぽつりと入信するものが現れた。


 およそ二十人ほども集まると、覚真導師は自らを「天導教」と称して、教団らしきものを形成した。天導教では青色(フフ)(たっと)んで、信徒たちに青袍(フフ・デール)を着用させた。そこで世間(オルチロン)ではこれを「青袍教」と呼んだ。


 もちろんそれまで人衆(ウルス)のために祭祀を行っていた巫者(ボエー)どもは、これを嫌って盛んに排撃した。覚真導師は、それこそ従来の(ヂャサ)が誤っている証左であるとして、天導教が正しいがゆえに巫者どもが狼狽しているのだと言った。


 次第に多くの人衆が天導教に惹かれていった。巫者どもと異なり、覚真導師の態度は恭倹であり、莫大な謝礼も求めなかった。


 医道(エムチ)の心得があり、巫者の祈祷で治らなかった病人を無償で治した。それは奇蹟として喧伝されて、入信するものがますます増えた。


 覚真導師が偽り(クダル)として批判するのは巫者ばかりではなかった。ハーンやその重臣である貴族は等しく弾劾された。言うには、


神箭将(メルゲン)こそテンゲリの(ヂャサ)(そむ)く法敵。かの悪逆の王に従えば、子々孫々に到るまで禍があろうぞ」




 (ハバル)を過ぎるころには、出家して導師に従うもの数十人、在家の信徒は数百人とも千人とも云われる規模になっていた。導師は繰り返し説いて言う。


「乱世が収束しないのは、人衆が法敵に従って正法に(したが)わないからである。今に大乱が起こるぞ。悔い改めよ。地上の王を去って、真天の王を(あが)めよ」


 一方で南伯シノンについてはなぜか高く評価して、


「偽りの王が去ったのちは、南伯に天命が下ろう。南伯こそテンゲリに(よみ)された(ウネン)のハーンである」


 そのうちに天導教の信徒の間で、ひとつの伝説(ウリゲル)が語られはじめた。どのような話かと云えば、シノンはかつて東原を治めていた真のハーンの五世の(アチ)であるという。逆にヒィ・チノは、これを()った卑劣な簒奪者の子孫ということになる。


 南伯治下の小部族(ヤスタン)にとってヒィ・チノは遠く、シノンは近い主君(エヂェン)であった。なぜならヒィ・チノはその統治を南伯に委ねて、容喙(ようかい)(注1)したことがなかったからである。


 それは才幹(アルガ)あるシノンが、存分に腕を(ふる)えるようにと配慮したものであったが、覚真導師はこれを小部族(ヤスタン)を軽んじて顧みない酷薄(ハラギス)な態度であるとした。


 そのうちに族長(ノヤン)のうちにも青袍教に興味を抱くものが現れた。そしてついにシノンの(チフ)にもその存在が届く。同時に巷間に流布する五世の孫云々の話も伝わる。側近(コトチン)の中にはさすがにヒィ・チノを(はばか)って心配するものもあったが、言うには、


「かまうな。五世も前の祖先(ボルカイ)のことなど知らぬわ。狂人(ガルゾウ)の戯言よ。ハーンも気にはするまい」


「しかし俄かに信徒を増やしている様子。少々、気味が悪うございます」


 からからと笑って、


「熱病のようなもの、ときが経てば冷めるだろう。放っておけ」


 そう言ってまるで相手にしない。




 実際、天導教(青袍教)については、常々南伯を警戒して動静を探っていた鳳毛麟角ツジャンの耳に入って、すぐにオルドに報告された。妄言を嫌うヒィ・チノは、怒り(アウルラアス)心頭に発すると思いきや、五世云々の話に及ぶとむしろ呆れた様子で、


「五世も前のことなど何とでも言える。耳を貸すものなどあるまい」


 途端に興味を失う。それよりもヒィ・チノには優先するべきことがあった。(ようや)北道(ホイン・モル)の整備が完了し、ジョルチ部との会盟実現が見えてきたのである。


 長者(バヤン)ワドチャと白夜叉ミヒチが諸事の担当となり、神行公(グユクチ)キセイが中原と東原を幾度となく往復して、連絡の務め(アルバ)を果たす。


 義君インジャは、胆斗公(スルステイ)ナオルと獅子(アルスラン)ギィに会盟の件を託した。赫大虫ハリン、金写駱(アルタン・テメエン)カナッサ、奔雷矩(ほんらいく)オンヌクドがこれを(たす)けた。連絡の用はもちろん飛生鼠ジュゾウの任。


 会盟という大事の前では、吹けば飛ぶような新興の教団などまったくどうでもよかった。ヒィ・チノはほどなくこの話があったことさえ忘れて(ウマルタジュ)しまう。独りツジャンはこれを放置することができず、一応人を遣って(しら)べさせることにした。


 主だったものは会盟の準備で忙しかったので、アケンカム氏の族長(ノヤン)である若いイドゥルド(注2)にこれを命じた。これがのちに騒動に発展することになろうとはさすがの鳳毛麟角も想定していない。


 そうこうするうちに(ゾン)が巡ってくる。いよいよ北原での会盟が近づく。インジャとヒィ・チノは、約会(ボルヂャル)(ウドゥル)に合わせて、それぞれオルドを発った。

(注1)【容喙(ようかい)】横から口出しすること。


(注2)【イドゥルド】ベルン・バアトルの遺児。ショルコウの(デウ)。第一次の北伐でヂェベが戦死したのを受けて族長(ノヤン)となった。第四 七回②参照。

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