第一四六回 ②
青袍の徒シノンを称揚して裔孫と崇め
西原の相インジャに謙譲して国名を改む
小スイシは挨拶を返すこともなく尊大に言うには、
「よし、従者にしてやろう。しかと案内するのだぞ」
四頭豹ドルベンがジェジュを指して、
「このものは東原の出自(注1)でな、神箭将をおおいに怨んでいる。いずれおおいにはたらいてもらおうと思っている」
「…………」
黙ってこれを睨みつけている小スイシに続けて言うには、
「そのうちナルモントで擾乱が起きる。そのときにはかくかくしかじか……」
後段は声をひそめて、そっと何ごとか企みを告げる。聞くうちに小スイシの顔はみるみる綻ぶ。すっかり機嫌を直して、
「さすがは相国。いかに神箭将とはいえ、逃れる術もありますまい」
嬉々としてジェジュを伴って退出する。四頭豹はこれを見送りつつ、
「ジェジュのごとき小者にまで妬心の炎を燃やすか。まったく愚かな奴だ。私がお前みたいなものを本心から重用するとでも思っているのか」
呆れた様子で呟いたが、すぐに小スイシのことなどは忘れてしまう。次に招き入れたのは、謀臣ではなく老練な武将。揖拝して言うには、
「ゴルバン・ヂスン、参上いたしました」
莞爾と微笑んで迎えると、
「お待ちしておりましたぞ。我が版図の東方を二十年に亘って守護する宿将に、わざわざお越しいただけるとは光栄の至り」
「またそのような戯言を。相国の貴きに比べれば、私など塵芥のようなもの。ただ齢を重ねているに過ぎません」
「ご謙遜を。『三色道人』の武名は轟いておりますぞ。ところでゴルバン殿に預けたダルシェの将はどうしておりますか」
というのは先に帰投したトゥクトゥクのこと。ゴルバンは眉間に皺を寄せて、
「どうもこうも旧主のことはすでに頭にないようですな。ヤクマンでの立身を図ってか、私に気に入られようとよくはたらいてはいます。だがそれだけのことです」
それを聞くと、くっくっと笑って、
「そんな連中がかの盤天竜に代わって起用されたのですから、我らが計を施さずとも大君の命運は尽きていましたな」
「まったくです」
にこりともせずに応じる。四頭豹も笑いを収めて、
「さて、将軍。東原のことです。かの地を収めるためには、光都を手に入れなければなりません。その方策ですが……」
ここでも周囲を憚って声を落とす。ゴルバンは頷きながら聴き終えると、
「承知しました。兵馬を整えて機が来るのを待ちましょう」
「よろしく嘱みましたぞ」
宿将はまた揖拝して踵を返したが、くどくどしい話は抜きにする。
ムライは一度、南原に戻って復命に及んだ。首尾を聞いた四頭豹は、
「さすがは混血児、うまく南伯の懐に入ったな」
おおいに喜んで激賞する。答えて言うには、
「南伯はすっかりインジャを敵視しております。しかしヒィ・チノはこれとますます接近するでしょう。きっと何か起きるに違いありません」
「思ったとおりだ。そのことは先にも言ったようにお前に委せる。好きにせよ」
するとムライは得たりとばかりに言うには、
「では、ひとつお許しをいただきたい」
「何だ?」
「私は南伯に仕えようかと存じます」
「ほう」
四頭豹はムライの老いても整った顔をじっと見つめる。やがて言うには、
「よい。おもしろい。期待しているぞ」
俚諺に「賢者は賢者を惜しみ、好漢は好漢を識る」と謂うが、ここではさながら「奸者は奸者を察し、邪智は邪智に通ず」といったところ。多言を費やさずとも互いに伝心したのである。
ムライは勇躍して再び東原へ赴き、シノンに見えると、
「相国の同意を得て、今日より南伯の側近くに仕えんとて参りました」
シノンは手を拍って欣喜雀躍、
「おお、それはありがたい! ご覧のとおり我が麾下には、帷幄に在って籌を運らせるものがおらん。お前が来たからには安心だ」
「微力ながら、南伯のために尽くさせていただきます」
かくしてムライはシノンの幕僚として常に近侍することになった。以後、ことあるごとにインジャを貶め、またシノンの自尊を煽ったが、次第にそれが嵩じてついには、
「南伯の人品を観るに、決して並の出自ではありえません。きっと本来は東原を統べるべき王者の系譜なのではありますまいか」
そのようなことを言いはじめる。シノンは答えて、
「戯言を言うな。我が東原にはヒィ・チノ・ハーンという歴然たる王者がいるではないか。ハーンは太陽、俺はその陰で鈍く光る月に過ぎぬ」
「夜に暗いエトゥゲン(大地)を照らすのは、太陽ではなく月の役ではありませんか。この乱世は言ってみれば夜のようなもの。南伯こそ人衆を救う王者であってもよいのでは」
シノンはこれを叱りつけることはなく、ただ乾いた笑い声を立てて、
「まことにお前は巧弁だな。もうよい、言うな」
そうやんわりと拒むばかりであった。
(注1)【東原の出自】実はジェジュは、ヒィ・チノが即位前に誅殺したバヤリクトゥの近臣。第四 二回②参照。