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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
580/783

第一四五回 ④

インジャ東西に友誼を求めて公道を通じ

ドルベン南北に奸計を策して謀臣を派す

 (ヂル)が明けた。(ガハイン)の年である。東原に混血児(カラ・ウナス)ムライの姿(カラア)があった。小スイシと同じ(モル)を辿って、やはり南伯シノンを訪ねる。


「ははは、またヤクマンの相国(サンクオ)が人を送ってきたらしい」


 シノンは屈託なく笑ってこれを迎える。明らかに色目人の(ツォサン)が混じった容貌(クナル)を珍しそうに眺め回しつつ言うには、


「寒風の中、わざわざやってきたからには、よほどの用があるのだろうな」


はい(ヂェー)、さすがは南伯。仰せのとおりでございます」


 静か(ヌタ)に答えて、あわてる様子もない。先に来た小スイシなるものと違って、過度に追従する風でもない。


「ほう。ならば聴こうではないか」


 隻眼(ソコル)が光を帯びる。ムライは一礼すると(アマン)を開いて、


「古言に『知らずして言わざるは無能、知りて言わざるは不忠』と申します」


「ふむ」


「南伯に詳解は不要かと存じますがあえて述べれば、『主君(エヂェン)が危地にあるのを知ることができない家臣(アルバト)には能力がなく、それを知って言わない家臣には忠心がない』という意味です」


「何が言いたい」


 僅かに(ダウン)が尖る。しかしムライは平然と続けて、


「もちろん南伯ほどの方が無能であるはずもなく、またハーンへの忠義に溢れていることは天下に知らないものはありません」


「回りくどいな。単刀直入に申せ」


「……はい(ヂェー)。南伯は、中原にあるジョルチ部のハーンをどう思われますか?」


 ぴくりと(フムスグ)が動き、(ハツァル)にすっと赤みが差す。それを知ってか知らでか、淡々と言うには、


「先には西原のカンと兵を併せてクル・ジョルチに攻め込み、近ごろでは東原のハーンとも(よしみ)を通じんとて人を()ったとか。南伯も当然把握しておられるでしょう」


「……ああ(ヂェー)


「かのものに、決して(オロ)を許してはなりません。私ははるばるそれを伝えに参ったのです」


 しばし黙して反応を窺う。シノンもまた無言でムライを睨みつけていたが、やがて言うには、


「やはり義君は警戒すべきか」


 大きく頷いて、


「そのとおりでございます。かのものは義君などと称されておりますが、その実は美名に隠れて草原(ミノウル)を併吞せんとする大奸人。彼奴はヒィ・チノ・ハーンを欺いて籠絡せんと画策しております。それも広大(ハブタガイ)かつ豊か(バヤン)な東原を手に入れようとしてのこと。ゆめゆめ甘言に乗せられてはなりません」


「ううむ……」


「ところがヒィ・チノ・ハーンはこれを疑うことなく、進んで交誼を求めている様子。(あや)うきかな、殆うきかな。心あるものはみな東原の行く末を危ぶんでおります。それなのにハーンの周囲に侍るものは誰もこれを諫めようとしません。果たしてそのようなことがありえるでしょうか」


「というと?」


 ムライは深く息を吸うと、やや声を落として、


「ひょっとするとご近臣の方々は、すでに贈賄によって変心しているのでは、と」


「何と!!」


 驚いて思わず腰を浮かす。その脳裏に、先に白夜叉ミヒチが運んできた(テルゲン)一台の贈物(サウクワ)(よみがえ)る。さては義君め、ハーンより先に重臣をことごとく薬籠中に納めていたか、とおおいに(いきどお)る。


 すかさずムライが言うには、


「もはやハーンを(たす)けて東原を保ちうるのは、独り南伯あるのみかと存じます。余の群臣は(たの)みとするに足りません。南伯がジョルチン・ハーンの奸策を破り、その野望を(くじ)かねばなりませんぞ」


 シノンは頷きかけたが、ふと思い止まって尋ねた。


「待て。俺もたしかに義君とやらは世評ほどには信ずるに足らぬと考えてはいたが、ヤクマンの相国(サンクオ)とて似たようなもの。お前が奸謀を携えてここに来たかもしれぬではないか」


 動ずる様子もなく、


「おお、さすが南伯! やはり東原を救うのは貴君しかおりませぬ!」


「話を()らすな」


「ではお聴きください。その人を判ずるには、世評や印象などはすべて(ぬぐ)い去るべきです。ただ過ぎ(エルテ・)し日(ウドゥル)の行動を観るのがよろしいかと。そこで義君とやらの今日までを顧みれば、(ネグ)にかつての主君たる妖人ジェチェンが死ぬと、言葉巧み(ビルヂウル)にタロト部を麾下に収めてしまいました。すなわち()()


 ひとつ(ホロー)を立てる。


(ホイル)に、ヤクマン部とは長らく小康を保っていたにもかかわらず、(にわ)かにウリャンハタの叛徒(ブルガ)と兵を併せて南原に侵攻しました。すなわち()()


 そして、


(ゴルバン)に、南征が頓挫すると人衆(イルゲン)を休ませることもなく、すぐさま西原に兵を送って罪のないクル・ジョルチ部まで遠征しました。すなわち()()


 総じて三本の指が立つ。


「いかがです? 不忠、不義、不仁。彼奴はいたずらに草原(ミノウル)に乱を起こしては、版図(ネウリド)の拡大を画していること明らかではありませんか。どうして東原だけが(まぬが)れることができましょうか」


 このことから、さすがの英傑(クルゥド)(セトゲル)(セウデル)に覆われ、疑心は暗鬼を生じてさらなる君臣の乖離(かいり)を招くことになる。


 また四頭豹の権謀が一手に留まるわけもなく、さながら(オス)(カダ)を削るがごとく東原を四方から浸食していくのだが、果たしていかなる策謀が繰り出されるのか。それは次回で。

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