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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
58/783

第一 五回 ② <アンチャイ登場>

ゴロ闇夜に襲われ転じて野盗と成り

アンチャイ好漢に救われ(とも)に獅子に(まみ)

 さて、なかなか逃げる機会(チャク)を見出せぬままにひと月が過ぎた。その間に、ゴロは持ち前の才覚(アルガ)と武術で、そうと望んだわけではないものの着実にジュドの信頼(イトゥゲルテン)を得ていった。


 それにつれてますます副首領とは(みぞ)を深めた。ゴロはまるで相手にしていなかったが、先方はことあるごとにゴロと張り合い、首領の気を惹こうと躍起であった。


 ある(ウドゥル)のことである。ジュドのもとにその副首領が(ニドゥ)をぎらつかせて、にたりにたりと笑いながら現れた。


「首領、(オキン)(とら)えましたぜ」


 女と聞いてジュドの表情が変わる。野盗(ヂェテ)にあって好色でないものはない。


「おう、どんな女だ」


「あれは間違いなく高貴(カトゥン)な家の女です。とびきりの上玉(ゴア)ですぜ」


 ジュドは矢も盾もたまらず飛び出した。ちょうどそこに手下どもが女とその従者(コトチン)を後ろ手に縛って連れてくる。女の(ヌル)を見て、ジュドは目を(みは)った。


 肌は白く(なめ)らかで玉璧(ダナ)のごとく、(ハツァル)は赤みが差して紅梅のごとく、(ニドゥ)は潤いを(たた)えて清泉(ブラグ)のごとく、(オロウル)(つや)やかに濡れて桜桃(モイル)のごとく、まことに(なまめ)かしくも清らかな(ツェツェク)のような乙女(オキン)


 ジュドはすでに鼻息を荒くして頬を紅潮させている。ゴロはそれを見て内心(シルスン)を吐いたが、彼の目から見てもその女は美しく可憐であった。


「よくやったぞ、早速我がゲルへ」


 副首領がどうだと言わんばかりにゴロに一瞥をくれて、女のほうへ(ガル)を伸ばせば、(おび)えるような素振りを見せる。それがまた何とも愛らしい。


「ほらほら、何をしておる。疾くこちらへ」


 ジュドが()かす。ゴロはふと女が哀れになって口を挟んだ。


「首領、お待ちなさい。この女はきっと並の女ではありません。おそらくは大部族(ヤスタン)の公女、それも族長(ノヤン)格の家柄でしょう。いきなり手を付けるなどという無粋なことをせず、まずは出自(ウヂャウル)など尋ねてみてはいかがでしょう」


 副首領がぎろりとゴロを睨みつける。ジュドは早く女を我がものにしたくてたまらなかったが、ゴロの言うことももっともだと思ったので、尋ねて言うには、


「お前はどこの娘だ」


 しばらく逡巡していたが、やがて意を決して(アマン)を開く。その(ダウン)を聞けば、容姿(オンゲ)に似合わぬ低く()れた声。それがまた悲歌の調べのように妖しくみなの(セトゲル)を打つ。


はい(ヂェー)。私は名をアンチャイと申します。(エチゲ)はベルダイ氏キハリ家の家長でございます」


 それを聞いてみな一様に驚いた。キハリ家といえば、ベルダイ左派(ヂェウン)の首魁トシ・チノの片腕とも目される名の知れた大家である。


「な、なぜキハリの息女がこんなところに?」


 思わずゴロが声を挙げる。その答えを聞いて、一同の驚きはさらに増した。何と言ったかと云えば、


「マシゲル部ハーンのご嫡子(ティギン)(とつ)ぐ道中、(にわ)かに襲われて(とら)えられたのでございます。衛兵(ケプテウル)はすべて逃げるか討たれるかしてしまいました」


 ゴロが問いかけて、


「そのご嫡子というのは、マルナテク・ギィというのではないか?」


 アンチャイははっとして顔を上げると、


はい(ヂェー)、そのとおりでございます」


 ゴロは、ああと嘆じて上天(テンゲリ)を仰いだ。ジュドが(いぶか)しがりながら言った。


「誰だ、そのギィとかいうのは」


「マシゲル部の次代のハーンです。これはまずいことになりましたぞ」


「なぜじゃ」


「聞けば衛兵のうちには逃げたものもいるとか。それがマシゲル部に駆け込もうが、ベルダイに戻ろうが、どちらも手に負える相手ではありません。このままでは早晩必ず復讐の軍勢が至ります」


 ジュドが次第に青ざめる。


「ひょっとすると、両者が兵を併せて押し寄せるかもしれません。美人(ゴア)食指(ヘレゲイ)を動かしているときではありませんぞ」


 もはやジュドはその気も萎えて震え出す。

 副首領もすっかり(エレグ)を潰して立ち尽くす。


「ど、ど、どうすればよかろう」


 ジュドの問いに腕を組んで熟考するふりをする。みな黙ってその言葉(ウゲ)を待っていたが、ゴロは密かにこれを機にマシゲルに投じようとて思案を練っていた。やがておもむろに口を開くと、


「打つ手がないこともないのですが……」


「おお、さすがは知恵者(セチェン)と言われるだけのことはある。何でもするぞ」


「そのためには失うものがみっつ(ゴルバン)ありますが、果たして首肯なさるかどうか」


 中途で口を濁せば、身を乗り出して続きを(うなが)す。応じて言うには、


「ひとつはこの女です」


 一瞬、アンチャイはびくりと(ムル)を震わせる。だが今やジュドは未練もなく、


「それは当然だ。かまわぬ」


 内心ほっと息を吐きつつ続けて、


「次に、首領としての矜持。彼女を送り届けて丁重に謝罪しなければなりません。(ひざまず)いて(コセル)(マグナイ)を着けることができますか」


「ううむ、(アミン)に比べたら安いもんだ。よかろう」


 やや躊躇(ためら)いながらも断言する。ここでゴロは少し間を置いた。みな(チフ)をすまして最後の条件を待つ。ゴロはやおら(ホロー)を立てて静か(ヌタ)に言った。


「最後は、この女を捉えた愚か者(アルビン)の首です」


 これには誰もが跳び上がらんばかりに驚いた。ジュドは下唇を噛んで考え込む。


 当の副首領は怒り(アウルラアス)と怖れで顔を(あか)くしたり蒼くしたりするばかり、何を言えばよいのか何をすればよいのか判らぬ様子。一斉に怒号が飛び交い、満場蜂の巣を(つつ)いたような騒ぎになった。


 ゴロは大喝した。


「静まれ! たかが首のひとつやふたつで騒ぐな。もしマシゲルとベルダイが軍を併せて攻めてくれば、それだけではすまぬぞ。お前らの首はことごとく胴を離れ、屍は(ドブン)を築き、(ツォサン)(ムレン)となるぞ。それでもよいのか」


 (ようや)くジュドは(はら)を決めた。

 危険(アヨール)を察した副首領は、脱兎のごとく逃げ出そうとする。


逃がすな(ブー・チウデウルス)! 首を獲れ!」


 たちまち副首領は討ち取られた。その首がジュドの前に置かれたが、顔を背けて袋に入れるよう命じる。そしてゴロに言うには、


「これから謝罪に出向くわけだが、粗暴な連中を連れていくわけにはいかん。セチェンと呼ばれるお前がいれば心強い。同道してくれ」


 ゴロは内心してやったり、神妙に頷いて承知する。ふとアンチャイを見れば、恩人に向かって深々と(テリウ)を下げる。ゴロは何だか照れてすぐに目を()らした。

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