第一四五回 ①
インジャ東西に友誼を求めて公道を通じ
ドルベン南北に奸計を策して謀臣を派す
さて、神箭将ヒィ・チノの命を受けて長らく旅をしていた白夜叉ミヒチは、無事に任務を了えて東原へ帰った。
これに附けて義君インジャが送った金写駱カナッサも、隻眼傑シノンに捕まるという危機はあったものの、何とか帰還した。
このことから両部族の交流は一挙に進んだ。北道の整備については中原側からは霖霪駿驥イエテンが、東原側からは長者ワドチャがこれを行ったが、その完了を待たずして人の往来が盛んになる。
新しくヒィ・チノが開いた鍾都には、中原はもちろんのこと、遠く西原からの商旅も訪れるようになった。
かつて東西交易の中心として栄えた神都は、僭帝ヒスワの暴政(注1)によって数年前からその座を失っていたが、北道の登場によってますます凋落した。もはや誰も神都に近づくことすらない。
それでも北道の興隆はいつしかヒスワの耳に届く。激怒したヒスワは、征北将軍タイラントと征西将軍ハラ・ドゥイドの二将にその分断を命じる。
しかしその動きはすぐに察知されて、タイラントは北伯ケルンに、ハラ・ドゥイドは長韁縄サイドゥに蹴散らされる。
これを受けてインジャは、旱乾蜥蜴タアバに兵を与えて、大ズイエ河周辺を哨戒させることにした。また盤天竜ハレルヤが、嘱まれたわけでもないのに東行して睨みを利かせることもあった。
そうなると神都の弱卒では手も足も出ない。ヒスワはぎりぎりと歯噛みしたが為す術もない。
こうした北方の趨勢を注視しているものがあった。草原中に網を張っている四頭豹ドルベン・トルゲである。南原に座したまま、千里も彼方の情勢を得て奸智を運らせる。
ウリャンハタの北伐についても次々と報告がもたらされていた。今や上卿会議の命運は風前の灯、武神モルトゥの攻勢を受けて壊滅寸前(注2)であった。
ある日、大スイシを召して言うには、
「クル・ジョルチは思ったより脆かったな。だが、十分にときは稼いだ」
大スイシは無言で小さく頷く。
「西原については別に思案がある。視るべきは東原および北原」
「…………」
なぜか嬉しそうな様子で、
「天下は今や三分されている。一に我がヤクマン、二にジョルチとウリャンハタ、そして三にナルモントだ。余のものは数えるに足らぬ」
「はい」
初めて声を発したが、すぐに口を閉ざす。かまうことなく続けて言うには、
「肝となるのは東原だ。これを得たものが、天下を手中に収めよう」
そこで眼前の老人を窺うが、その表情からは何を考えているのか読み取れない。ふふんと笑って、
「東原にはおもしろい男が二人ある。わかるか?」
問えば、さすがに黙っているわけにもいかず、
「……さて、誰でございましょう」
「とぼけた奴だ。まあよい。奸人ヒスワと、南伯シノンよ」
「…………」
「ヒィ・チノは飛ぶ鳥を落とす勢いだが、この両者は言ってみれば獅子身中の虫……。これあるかぎり、奴の足許は決して定まらぬ」
そこで大スイシの表情に僅かな変化が表れる。見逃すはずもなく、
「何か思うところがあるようだな。申せ」
「はい。南伯は仰せのとおり看過しえぬ傑物と存じますが、あの奸人は……。かつては智恵も見られましたが、今や妄執に囚われた狂人。衰亡を待つばかりではないかと愚考いたします」
すると四頭豹はからからと笑って、
「まったくお前の言うとおりだが、狂人には狂人の使途がある」
笑い収めると、身を乗り出して言うには、
「というわけで、お前には神都に行ってもらう。来たるべき日に備えて、狂人を薬籠中のものとせよ」
「…………」
「よいか。狂人には逆らうことなく、これを喜ばせてやることだ」
そこからは声をひそめてあれこれと策を授ける。老臣は幾度も頷いて、やがて一礼して退出すると、その日のうちに発つ。
また四頭豹はその子たる小スイシを呼びだした。白心なきこの男は、奸策を託すのにまことにちょうどよい。これまでも赫彗星ソラや、ダルシェの大君タルタル・チノを喜んで陥れてきた(注3)。
(注1)【ヒスワの暴政】偽って投降した鉄面牌の計略によって、軍民両政に混乱を来したこと。第九 一回②および第一〇二回③参照。
(注2)【モルトゥの攻勢を受けて……】第一三四回②参照。
(注3)【喜んで陥れてきた】ソラについては第八 四回①を、タルタル・チノについては第一四二回④参照。