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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
574/783

第一四四回 ②

ヒィ白夜叉に尋ねて義君の実を知り

シノン金写駱を縛して南伯の権を(あげつら)

 ミヒチは外に出ると、ふうと大きく溜息を吐いておもえらく、


「ハーンが主星に()うのはかまわないさ。義君に(くみ)するのは、その逆に比べたらよほどいい。ただねえ……」


 客舎に向けて黙々と歩きながら、さらに思う。


「ただ、あの南伯がそれを(ゆる)すかどうか。そりゃハーンだって、獅子(アルスラン)殿みたいにいきなり部族(ヤスタン)を挙げて臣従したりはしないだろうよ。でも……」


 ふと立ち止まってテンゲリを見上げる。


「ハーンが義君に敬意を表して一歩譲る風を見せただけでも、南伯は(がえん)じないかもしれない……。そのときは何が起こるか知れたもんじゃない」


 はっとしてまた歩きだす。


「まあ、どうせ南伯を訪ねるんだし、ちょっと様子を見てみようかね」


 ぼんやりと思考がまとまったところでどっと疲れが出たらしく、(にわ)かに強烈な睡魔に襲われる。どうせ誰も見てないだろうとて、


「う、うーん。ふあああ」


 両手を挙げて思いきり(ノロウ)を伸ばし、大口開けて欠伸(あくび)した。


 と、その背後から、


「姐さん」


 呼びかけられたので、心臓(ヂュルケン)が止まりそうになる。あわてて顧みれば、病大牛ゾンゲルがのそっと突っ立っている。瞬時(トゥルバス)に真っ赤になって、


「何でお前がそこにいるんだい!! 阿呆(アルビン)だね! びっくりするじゃないか!!」


 大騒ぎでその(ムル)を幾度も()つ。ゾンゲルは「えへへ」と笑いつつ、


「帰りが遅いんで、心配して迎えにきたんですよ。客舎でみなお待ちですよ」


「うるさいね! 幼児(チャガ)じゃないんだから! もうお前という奴は!」


 なおも()ち続ける。ゾンゲルは避けるでもなくされるがまま。(ようや)く言うには、


「姐さん、帰りましょう」


「わかってるよ。まったくお前のおかげで余計に疲れた。明日も早いからね」


はい(ヂェー)、姐さん」


 ともども客舎に戻る。早々に眠りに就いたが、くどくどしい話は抜きにする。




 明けて翌朝。すっきりと目覚めて旅装を整える。ヒィ・チノに挨拶して(ウリダ)へ向けて発つ。同行するのはゾンゲルのほかに、光都(ホアルン)へ帰る一丈姐(オルトゥ・オキン)カノンと、(アルタ)(ン・テ)(メエン)カナッサの二人。


 マシゲルのハリン、バラウン、ベルグタイの三人は、再び北の道(ホイン・モル)を経由して中原に帰ることになった。すぐには別れがたかったが、来年の再会を約してやっとの思いで(モル)を分かつ。


 ミヒチたちは楚腰道を通って一路、南伯こと隻眼傑(ソコル・クルゥド)シノンの在るイルシュ平原を指す。道中は格別のこともなくアイルに到る。ゾンゲルを先に()って来訪を知らせれば、すんなりゲルに通される。


 しかしこれを迎えたシノンはやや意外そうな面持ちで、


「ご婦人たちがいかなる用件かな」


 気のない様子で訊ねる。ミヒチが答えて、


「ハーンから南伯への贈物(サウクワ)を持参いたしました」


 すっと(フムスグ)(しか)めて、


「贈物? なぜ急にそのような」


 おおいに(いぶか)しんで、僅かな喜色もない。愛想のない男だなどと思いつつ、贈物を運んできた顛末(ヨス)を略述する。するとみるみるシノンの顔色が変わる。どうしたことかと怪しんでいると、(にわ)かに激昂(デクデグセン)して言うには、


「義君は財貨(エド)で人の(セトゲル)を買わんとするか! この隻眼傑が(なび)くとでも思ったか」


 突然のことにさすがの白夜叉もわけがわからず、細い(ニドゥ)を見開く。シノンは興奮が募ってさらに言う。


「我がハーンともあろうものが何という……。たかが(テルゲン)数台の贈物に雀躍しようとは。何と汚らわしい! 俺は受け取らぬ、持って帰れ!」


 ジョルチン・ハーンの臣下であるカナッサは目を白黒させている。傍ら(デルゲ)のカノンが(いきどお)って何か言いかけたが、素早く制する。


 ミヒチはシノンが(たかぶ)るほどに冷静になり、今やよくよく観察を始めている。南伯ともあろうものが何をそんなに怒っているのか、見極めなければならない。とはいえ放っておくわけにもいかないので、


「これは我がハーンが南伯の労に報いるために運ばせたもの。もともとは義君に貰ったものかもしれませんが、由来などどうでもよいではありませんか。俗に『財貨に色なし』と申します」


 しかし(がえん)じることなく、


同じ(アディル)ことよ。我が忠心(シドゥルグ)は財貨で(あがな)われるものではないぞ。これは侮辱だ」


 うっすらと眉を(ひそ)めて、


「ハーンがそのようなことを思っているわけがないでしょう。難しく考えすぎなのでは? 単なる好意の賜物(アブリガ)ですよ」


「うるさい! 帰れ、帰れ!」


 一向に聞く様子がない。まるで赤子(ニルカ)のようなもの。

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