第一四四回 ①
ヒィ白夜叉に尋ねて義君の実を知り
シノン金写駱を縛して南伯の権を論う
さて、長らく中原を旅していた白夜叉ミヒチたちは、義君インジャからの莫大な贈物を携えて、ついに東原へ帰った。
主君である神箭将ヒィ・チノ・ハーンはおおいに喜んで、ミヒチの伴った客人たちを歓待し、いろいろと尋ねた。インジャへの褒辞が溢れるのを聞いて「名は虚しくは伝わらぬもの」と感嘆する。また言うには、
「ジョルチン・ハーンからは、過分な贈物をいただいた。南伯と光都にも分け与えようではないか」
ミヒチが何げなく賛意を示すと、手を拍って、
「ならば、お前が南伯に届けよ。光都へは一丈姐が持ち帰れ」
早く帰って休みたかったミヒチは己の迂闊さを呪ったが、やむなく拝命する。
漸くにして散会し、赫大虫ハリンら客人たちは用意されたゲルへ案内される。あとについてミヒチも退出しようとしたところ、
「白夜叉、待て」
ヒィ・チノが呼び止める。顧みたミヒチはあからさまにうんざりした様子で、
「わかってますよ。すぐに発てって言うんでしょう」
「そんなことは言わん。明日でよい。それよりちょっと尋ねたいことがある」
「何でしょう」
しぶしぶ席に戻る。客人がことごとく去るのを待ってヒィ・チノが言うには、
「お前から見て義君はどうであった。客人の前では言いにくいこともあったろう。今ここで正直に話せ」
「ああ、そんなことですか」
ヒィ・チノはぴくりと眉を動かしたが、何も言わずに目で先を促す。そこで答えて言うには、
「ほとんど赫大虫や一丈姐の言ったとおりの方ですよ。付け加えることは何もありません」
「真か? それが真なら、稀に見る英主。いわゆる英雄の類ではないか」
「ええ、そうなんでしょうね」
「おい、手を抜くな。しかとお前の見たところを言ってみろ」
「…………」
「どうした?」
ミヒチは居住まいを正すと、まっすぐヒィ・チノの目を見て言うには、
「義君は私におっしゃいました。『東のハーンに隠すべき秘密などない、すべて見てよい』と。ハーンは、例えば金写駱に我らが機密をことごとく晒せますか?」
「ふうむ。それはできぬだろうな」
「義君がまたの名を赤心王と称される所以です」
ヒィは腕を組んで言った。
「……誠心をもって接すれば、必ず誠心をもって応えられるとは限らない。いつか陥れられて痛い目に遭うのではないか」
小さく首を振って、
「そこがハーンとの相違です。義君はそのようなことを恐れていません。何より己が誠心を尽くすことに重きを置いているのです。果たして義君の周囲には、かの赤心に応えようというものばかりが集まります。だから結束が堅い」
「…………」
ヒィが黙ってしまったので、少しく話題を転じて、
「ハーン。奇人殿が伝えた神道子の言葉(注1)、覚えておいでですか?」
目を上げて、
「無論。それがどうした」
「……主星とやらに遇ってしまうかもしれませんよ」
「ほう……」
嘆声を漏らしたきり何も言わない。そこで続けて、
「マシゲルの獅子殿、ヤクマンの超世傑殿、そのほか数多の英傑が、義君のために己を擲って尽力することを喜びとしています。ハーンもその一人にならぬとも限りません」
ヒィは目瞬きもせずにミヒチを見つめていたが、やがて言った。
「ふうむ。それほどのものなら、いよいよ会うのが楽しみだ。白夜叉、ご苦労であった。下がってよい。今晩はゆっくり休め」
「はい。失礼いたします。……あ、ひとつだけ」
「何だ?」
「私がジョルチの内情を詳細に見聞してきたことは、余のものには秘密にしておいてください」
「なぜだ」
問われたミヒチは人差し指を頬に当てて小考したが、ついに言うには、
「何となくです。よろしいですね」
唖然とするヒィに一礼して退出する。
(注1)【神道子の言葉】奇人に書簡を託して、神箭将に五年以内に主星を探すよう忠告したこと。ちなみにそれがジョルチン・ハーン四年(西暦1211年)のこと。現在はジョルチン・ハーン七年(西暦1214年)。第九 七回④参照。