第一四三回 ④
ミヒチ北道を辿りて郭中に鐘声を聴き
ケルン画聖に請いて紙上に形影を索む
例によってカナッサは、宴席の様子を描きはじめる。一瞥したケルンはやはり驚嘆して、
「おいおい、これは何の魔法だ!!」
「とんでもない、ただの画です。あ、どうぞお気になさらず、どうかそのままで」
と、なぜかケルンは、しばらくもじもじと恥じらう様子。ついに意を決して言うには、
「金写駱とやら、ひとつ頼みがあるのだが……」
「何でしょう。カンのためなら何でもいたしましょう」
「……そのう、何だ。画を……、ええと、我が妻の画を、ひとつ描いていただけないか」
真っ赤になって語尾は消え入らんばかり。それを見た一同は、愉快な気分になって等しく笑みを浮かべる。カナッサは即座に答えて、
「ええ、喜んで。では、ご両人が並んでいるところを……」
するとあわてて手を振って、
「いや、俺の顔なんぞ描かんでよいから、こう、大きく妻の顔を……」
「はい、畏まりました」
謹厳に答える。カノンが半ば呆れつつも、
「何ともまあ、正直な人だね。司命娘子はいい人に嫁いだよ」
当のショルコウは頬をやや赧めながら、
「まったくこの人ったら。ああ、恥ずかしい」
「すまぬ。だがあの腕を見たら、どうしても欲しくなった。額に入れて壁に飾るんだ」
うきうきして、まるで幼子のような燥ぎよう。ショルコウは肩を竦めてテンゲリを仰ぐ。かくしておおいに交歓して夜は更ける。
無事にショルコウの肖像画も完成したが、ケルンはひょっとしたら義君の豪奢な贈物よりこちらを喜んだかもしれない。その贈物についてショルコウが、
「森のみなに配ってあげてはいかがでしょう。義君はきっと独りあなたを尊んでいるわけではありません」
そう進言すると僅かの躊躇もなく、
「それはいい! みなを集めて好きなものを持っていってもらおう。いつか義君が北原にいらっしゃったら、我々森の民は総出で歓待しよう」
即日、四方に早馬を送って、来た端から何でも分け与えた。五日も経たぬうちに車を空にしてしまうと満足げに頷いていたが、卒かにはっと瞠目して言った。
「しまった! まことにすべて分けてしまったぞ。我が妻よ、お前に首飾りのひとつも取っておくべきだった!」
ショルコウはくすくすと笑って、
「ありがとうございます。その言葉だけで十分です」
「そうか? どうも俺はうっかりしているからなあ」
首を傾げてぼやいたが、この話はここまでとする。
さてミヒチたちは北伯夫妻に別れを告げて、ついに故郷に帰ることにした。再び鍾都に一泊、ズイエを渡河して東原に入る。
「やれやれ、やっと帰ってきたよ。まっすぐオラザに帰って寝てしまいたいところだけど、一応ハーンに挨拶しとかないとねえ」
ぶつぶつ言いながら、無事にオルドに辿り着く。果たしてヒィ・チノに見えると、早速あれやこれやと尋ねられる。
またカナッサやハリンたち中原からの客人を紹介すれば、声を挙げて大喜び。酒を運ばせて、お決まりの宴となる。
ヒィ・チノは上機嫌で、旧知の消息やらインジャの人となりを興味深く聴いた。カナッサはもちろん、マシゲルのハリンや光都のカノンまでもが口を極めてインジャを誉めそやすと、
「まことに名は虚しくは伝わらぬもの。ますます会いたくなってきたぞ」
そこで、北原での会盟を打診したところ快諾されたと知って、
「さすがは白夜叉、よくやった。俺の意をよく汲んでくれた」
そう言って激賞する。また言うには、
「西原の北伐が了われば暇もできるだろう。来夏には実現できそうか」
ミヒチが答えて、
「その北伐も勝利は目前とか。来夏なら十分に間に合うでしょう」
「よし。では北の道を整えてお迎えせねばならんな。司命娘子と長者にもうひとはたらきしてもらおう」
ミヒチが内心思うに、
「おやおや、鍾都が完成してひと息吐いていたっていうのに。族長にはすまないことをしたようだよ」
もちろん面には出さず、
「すばらしいお考えです」
すまして答える。するとヒィ・チノは、
「それにしてもジョルチン・ハーンからは、過分な贈物をいただいた。南伯と光都にも分け与えようではないか」
「はい、すばらしいお考えです」
何げなく答えれば、手を拍って、
「白夜叉もそう思うか! ならば、お前が南伯に届けよ。光都へは一丈姐が持って帰れ」
ミヒチは露骨に眉を顰めて己の失策を呪ったが、「覆水盆に返らず」とはまさにこのこと。ハリンがにやにやしながら袖を引いて窘める。
かくしてミヒチの帰郷はいまだならず、人を嗤えばきっと己に返るもの、うっかりしたことを言ったばかりにさらなる任務を得てしまった。
このことから南伯の雄心おおいに唆され、厚情はかえって仇讎(注1)を生むといった次第となる。
北で勇者を喜ばせた賜物が、南で覇者を忿らせることになろうとは、まことに人の処遇は難しい。果たして白夜叉と隻眼傑の会見は、いかなる顛末を辿るか。それは次回で。
(注1)【仇讎】あだ。かたき。