第一四三回 ③
ミヒチ北道を辿りて郭中に鐘声を聴き
ケルン画聖に請いて紙上に形影を索む
ショルコウは笑って、
「まあ、街と云っても神都や光都みたいなものじゃないからね。壁はあるけど、ほかにあるのは鐘楼ぐらいなものさ」
「鐘楼?」
問い返せば、珍しく誇らしげに言うには、
「私が頼んで造ってもらったんだ。この街ならではの何かが欲しくてね。朝と夕に撞くんだ。何とも言えない佳い音が鳴るんだよ」
みなおおいに感心して、実物を観るのを心待ちにする。ショルコウの言うとおり、この鐘楼こそが新たな街の象徴となった。
この街はヒィ・チノによって「ハガム」と名づけられるが、世間では「鍾都」と称され、北原と東原の交易の中心としておおいに栄えた。すべては才色兼備の一個の女性の発案によるもの。
さらに東行すること数日、一行はついに視界に鍾都を捉えた。その規模はたしかに神都などには遠く及ばない。僅か一里四方の地が均され、一丈(注1)ほどの壁に囲まれている。
門は四方にひとつずつ。中央に例の鐘楼が立っているほかは、城楼の類は一切ない。ゲルや天幕、幕舎が点在するばかりである。それでも一行はわっと歓声を挙げて早足になる。
城外に馬を繋いで、ショルコウの先導で西門をくぐる。真っ先に向かったのはやはり鐘楼。二丈ほどの台の上に三尺ほどの鐘が吊り下げられているのが見える。
「あれが朝夕に鳴るんだね」
カノンが感心したように言えば、ショルコウが答えて、
「そう。今日はここに一泊すれば、夕刻に聴けるよ」
「それは楽しみだねえ」
鐘楼に近づくと、二人の好漢が待っていた。ヘカトとワドチャである。
「おお、白夜叉。よくぞ帰ってきた。どうだ、ハガムは」
ワドチャが得意満面に問いかける。ミヒチは正直に答えて、
「すっきりと広くて、なかなか心地のよいところだね」
すると我が意を得たりとばかりに、
「そうだろう! ここはもとより市を開くための街。そのときどきに応じて自在に区画できるよう、あえて家屋は建てず、庁舎も何もかもゲルにしたのだ。鉄面牌は『それでは街らしくない』などと反対したのだがな」
ヘカトは苦笑しつつ、
「長者に押しきられたのさ。だが、いざ完成してみれば実に理に適っている」
それから初対面のものは互いに名乗り、礼を交わす。ひととおり挨拶がすんだところでカナッサが言うには、
「まったく見事です。楼や家屋がないおかげで鐘楼の姿がいよいよ際立ちます。まさに鍾都と称するに相応しい」
早速、筆を執ってあれこれ描きはじめる。
一行はワドチャたちについて、井泉やら食糧庫やら船着場やらを見て回ったが、鐘楼は街のどこからでも目に入らぬことがなかった。
その音に至っては、きっと街の外まで響きわたるだろう。みなショルコウの非凡な感性におおいに感嘆する。
客舎に通されて旅装を解く。酒食が供されるとみな杯を取って、鍾都の完成を祝った。勅命を受けて尽力したワドチャは、両手を挙げてこれに応える。立ち上がって咳払いひとつしたので、ミヒチが眉を顰めて隣席のハリンに言うには、
「おやおや、長者の口上は一度始まったらなかなか終わらないんだよ」
「まあ、大事を成し遂げたんだ。今日くらいは辛抱してやらなきゃねえ」
ワドチャは満面に笑みを浮かべて、
「ええ、お集まりのみなさま……」
話しはじめようとしたところ、率然として、がらあん、がらあん、……と厚く豊かな響きが耳を打った。誰もがたちまち穏やかな心地となり、目を閉じてほうと嘆息する。思わずカノンが言った。
「実に佳い音だねえ……」
みなうっとりと聴き惚れる。話す機を逸したワドチャも静かに座って、同じく耳をすます。
鐘は六度、撞かれた。すっかり鳴り終わったあとも、頭の中にくっきりと余韻を留める。好漢たちは清澄な心地に浸りつつ酒杯を傾けたが、くどくどしい話は抜きにする。
たっぷり寝て疲れを癒した一行は翌朝、北伯ケルンに会うべく鍾都をあとにする。独りゾンゲルはこれと分かれて、ヒィ・チノのもとに報告に帰る。
「寄り道するんじゃないよ。私も北伯に挨拶したら帰るからね」
「はい、姐さん」
北行すること数日、金杭星ケルン・カンのオルドへ至れば、ミヒチたちを迎えておおいに喜ぶ。だがそれもカノンに言わせれば、
「ははあ、北伯はよほど司命娘子の帰還が嬉しいようだよ」
それはさておき、ここでカナッサの進言に順って、牽いてきた車の一台を北伯へ贈る。ケルンはこの上なく喜んで、
「さても義君とは心の宏い方よ。俺のような辺境の蛮族にも気を遣ってくださるとは!」
そう言って盛大にもてなす。最初、お気に入りのゾンゲルがいないことを寂しがっていたが、やがてバラウンやらベルグタイなどと意気投合し、女丈夫たちにはわけのわからぬ戯言を言い合って呵々と笑う。
もちろんカノンやハリンにも親切に接して、あれやこれやと気を配る。
(注1)【一丈】一丈は十尺、すなわち約235cm。