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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
566/783

第一四二回 ②

インジャ盤天竜を敬して六条項を許し

ドルベン老大君を(いつわ)りて五百里を賜う

 ハレルヤは黙考していたが言うには、


「ハーンのご厚情(エルゲン・セトゲル)、十分に伝わりました。喜んで盟を結ばせていただきます。約定を破ったものは同盟を軽んじたものとして厳正に罰します」


ありがとう(バヤルララ)! これで晴れて我らは盟友(アンダ)だ!」


 インジャが快哉を叫んで、セイネンも(ようや)く矛を収める。いよいよ慶事を祝して乾杯する。


 さてこの同盟は、誓ったとおりインジャの生涯を通じて保たれる(注1)ことになる。これは義気に感じたハレルヤが、許されているとはいえジョルチ領内での略奪を自ら戒めたためでもある。


 もちろん通行、牧営の権は存分に活用したが、人衆(イルゲン)のほうから贈与されるもの以外は決して奪わなかった。


 またそこには、易きを取ることに対する抵抗もあった。ダルシェはあくまで強きもの、難きものから奪うことに喜び(ヂルガラン)を感じる部族(ヤスタン)だった。


 のちにこの同盟について聞き知った西原の聖医(ボグド・エムチ)アサンは、


「さすがはジョルチン・ハーン。俗に『得んと欲すればまず与えよ』と謂いますが、なかなかできることではありません。また許すと言われれば、かえってその版図(ネウリド)での略奪はしづらくなるもの。それが誇りあるダルシェならなおさらのことです。きっとそこまで予測(ヂョン)して条項を定めたのでしょう」


 そう言っておおいに(たた)えた。


 閑話休題。ハレルヤたちは(はか)って、まずはメサタゲをジョシ氏のアイルに送ることにした。マシゲルのオルドは先に三人が散々迷ったように、かりに大君(イェケ・アカ)から逃れたものがあっても、辿り着けない恐れがある。


 その点、ジョシならダルシェと縁もあり、すでに事情(アブリ)も知っているので流民を受け容れるのに適している。インジャはタンヤンに意を含めてともに送りだすことにした。


 シャイカについては、ふと小白圭シズハンが思いついて、


「その異能(エルデム)をもってすれば、ハーンの身を刺客(アラクチ)(ガル)から必ず護ることができるでしょうね」


 ぱっと(ヌル)を輝かせて、


はい(ヂェー)! ああ、それができたら夢のようです。私は悲しいことに人の(アミン)を奪う術を数多く知っています。でもそれは裏を返せば、そうしたものから人を護ることができるんですね。ありがとうございます(バヤルララ)!」


 インジャにもちろん否やはない。セイネンももはや何も言わない。ただ赫大虫ハリンが言うには、


「でも黒曜姫の異能については吹聴しないほうがいいでしょう。百策花のことを言うわけじゃないけど、妙な疑いを招く必要はありません」


 セイネンは(フムスグ)(しか)めてよそを向く。それを見たノイエンが笑って、


「むくれてはいけません」


「むくれてなどいるものか!」


 みなどっと笑って、ますますセイネンは(ハツァル)を膨らませる。かくしてシャイカはオルドの女官(チェルビ・オキン)に任用されることになった。


「盤天竜殿はどうなさる?」


 ギィの問いに答えて、


「さあな。どこにいてもよいが」


 インジャが莞爾と笑って、


「ならば、自由(ダルカラン)に過ごされればよい。マシゲルでもジョルチでもヤクマン(※ムジカらの建てた(シネ)ヤクマン部のこと)でも。もとより誰も盤天竜殿を(はば)むものはおりません」


 ふふと笑って、


「そうでした。ではそのように。諸事は活寸鉄があれば心配要りません」


 とりあえずフドウに遊んで、そのあとは名高い紅袍軍(フラアン・デゲレン)を観たいと望んだので、セイネンのアイルに赴くことにする。


 メサタゲが感心した様子で、


「たった三人(ゴルバン)でどうなるかと思っていましたが、何だか先が見えてきた心地がしますよ」


 ハリンが(ゲデス)を揺すって笑って、


「気が早い人だねえ。まだ三人には違いないよ」


 ハレルヤが瞠目して、


「ほう、あの活寸鉄が寸鉄を刺されたか。たしかに赫大虫の言うとおりだ」


「これは参りましたな」


 好漢(エレ)たちはひととおり算段が整ったので心おきなく酒食を楽しんだが、くどくどしい話は抜きにする。


 翌日、それぞれの(モル)へと発つ。別れ際にシャイカが密かにメサタゲに言うには、


「ひとつ気にしておいてほしいことがある」


「何だね」


(オキン)が独りで投じてきたら、その名と年齢(ナス)を、密かに、急いで報せてほしい」


「それは……」


「刺客かもしれない」


 メサタゲの顔つきがさっと改まる。


承知した(ヂェー)。必ず報せる」


「よろしくね」


 義君から「この三人こそダルシェの本道(テルゲウル)」などと(おだ)てられてその気になっていたが、実際その大部はタルタル・チノの手中にある。軍勢はもとより刺客を放たれることも想定しておいたほうがよい。


 ハレルヤがジョルチと盟を結んだことは隠すつもりはなく、むしろ帰投を(うなが)すべく喧伝する。中には帰投を(いつわ)って善からぬことを企てるものがあるかもしれない。


「ははあ、これはなかなかにあれだな」


 タンヤンと(くつわ)を並べてジョシへ向かいながら呟けば、


「どうかしましたか?」


 はっとして笑みを作ると、


いや(ブルウ)。しばらくは女人は傍に置かず、はたらかなきゃなあってね」


「ほう! たいした志ですな。応援しておりますぞ!」


 呑気に言うのを適当にあしらいつつ、内心では、


「刺客かも知れぬものと同衾(どうきん)(注2)ではおちおち眠れぬわ。やれやれ」


 嘆息したが、この話もここまでとする。

(注1)【生涯を通じて保たれる】同盟が瓦解するのは、インジャとハレルヤの没後となる。いつしかその精強も矜持も失ったダルシェは、同盟の条項を理由にジョルチ領内での蛮行を繰り返すようになり、ときのハーンに討伐されて霧消する。


(注2)【同衾(どうきん)】一緒に寝ること。

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