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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
564/783

第一四一回 ④

インジャ金写駱に命じて迎賓に任じ

セイネン黒曜姫を責めて紅涙を誘う

 (ニドゥ)を伏せたままシャイカが言うには、


「ダルシェの(オキン)の中には、刺客(アラクチ)として育てられるものもあって……」


 タンヤンはおおいに驚いて、


「げっ! ()()はそんなことまでするのですか!!」


「……すみません」


 ますます身を縮める。前を駆けていたセイネンが、聞き(とが)めて馬首を返すと、


「待った。その話を等閑に付すことはできん。刺客と明かしたものをハーンの傍に近づけるわけにはいかぬ」


 ハリンは半ば呆れて、


「あんたもいちいちうるさい人だねえ。そういつも気を張ってたら疲れるだろう」


「何を言うか。当然のことだ」


「この黒曜姫が(はら)に刀を(かく)しているって言うのかい」


「そこまでは言っていないが、ハーンの身に何かあってからでは遅い」


「ほとんど言ってるじゃあないか」


 口論が始まり、シャイカはどうしてよいかわからずおろおろする。みないつの間にか(フル)を止めてしまっている。そこへ変事を察したインジャが取って返して、


「何をしている。日が暮れてしまうぞ」


 セイネンが(フムスグ)を吊り上げて事の次第を告げれば、かぶせるようにハリンも(ダウン)を挙げる。タンヤンはどうしたものか右顧左眄(うこさべん)、ノイエンは急に備えて様子を窺っている。ところが話を聞いたインジャが言うには、


「そんなことか」


 怒り(アウルラアス)心頭に発して、


「そんなこととは何ですか! このような不穏なものを……」


「私はとうに知っていたぞ」


「えっ?」


 セイネンは言葉(ウゲ)を失う。


「そもそも黒曜姫が、大君(イェケ・アカ)暗殺を己のこととして話していたではないか。お前は何を聴いていたんだ」


 途端にしどろもどろになって、


「し、しかし、まさかこのような佳人が……」


「人の話は虚心で聴くものだ」


「……はい(ヂェー)


 向き直って、悄然としているシャイカに言うには、


「驚かせて申し訳ない。私は黒曜姫を疑っていない。案ずるな」


いえ(ブルウ)、そんなもったいない……」


 ますます優しい声音で、


「私が思うに、黒曜姫はあえて黒衣(ハラ・デール)をもって(ツェゲン)(・セトゲル)を覆っているのであろう。その黒衣こそ優しい心性(チナル)(あかし)だ」


「ああ……」


 ひと粒、ふた粒と涙が零れ、あわてて(ヌル)(そむ)ける。(アマン)を尖らせて黙っているセイネンに、ハリンが言うには、


「あんたが泣かしたんだよ。謝りな」


「なっ! それは違うだろう!! ……いや(ブルウ)、たしかに失礼なことを言った。黒曜姫よ、申し訳ない。(セトゲル)から謝る」


いえ(ブルウ)ありがとうございます(バヤルララ)……」


「さあ、まことに(ナラン)が落ちては何にもならぬ。進むぞ」


 インジャが(うなが)して、一同は再び馬腹を蹴る。以後は格別のこともなく、無事にケルテゲイ・ハルハへと至る。


 獅子(アルスラン)ギィは、まさかジョルチン・ハーン(みずか)ら来るとは想像もしていなかったので、跳び上がらんばかりに驚く。あわててハレルヤたちを呼びに()り、諸将にも知らせて、側使い(エムチュ)にすぐに(ホニ)(ほふ)らせる。高き座(ウンドゥル)をインジャに譲って平伏すると、


「まさかハーンがいらっしゃるとは。先に報せてくれれば、いろいろと準備いたしましたものを」


「ふふ、驚かせようと思ってな。それよりこちらに盤天竜殿が見えているとか」


「まもなくここに参るはずです」


「実は盤天竜殿に会いたい一心で、話を聴くやオルドを飛び出してきたのだ」


 そしてこれと同盟を結ぼうという意図を告げれば、ギィもまた瞠目して、


「何とすばらしいご英断。我ら凡夫には思いも及びません。ハーンがダルシェを重んじること、かくまでとは」


「道々、同盟についていろいろと考えてきたことがある。盤天竜殿が了承してくれたらよいのだが」


「了承も何もすでに格別のご提案。これ以上何を求めましょうや」


いや(ブルウ)、私は彼らの窮状につけ入るようなことはしたくない。以後、末永く友好(ナイラムダル)を築きたいのだ」


 そうこう話しているうちにみな集まってくる。まずはマシゲルの好漢(エレ)たちが左右の席に着き、いよいよダルシェの両将が招き入れられる。


 巨躯を縮めて入ってきたハレルヤは、戸張(エウデン)をくぐったところでインジャの姿(カラア)を認めると、一瞬動きを止めて目を(みは)る。すぐに歩きはじめたが視線は外さない。そのまま正対して膝を突く。


 続くメサタゲは、ハレルヤの所作がやや無礼(ヨスグイ)ではないかと気が気ではない。面を伏せて進み、一歩下がったところで跪拝する。


 インジャとハレルヤはしばらく互いの顔を見交わしていた。先に口を開いたのはインジャ。


「将軍、お久しぶりです」


ええ(ヂェー)。十数年ぶりといったところですか」


 二人の(ハツァル)には次第に笑みが浮かぶ。もとより互いにテンゲリの定めた宿星(オド)、多くの言葉(ウゲ)は必要ない。


 そこに側使いたちが(ボロ・ダラスン)を運んでくる。ハレルヤたちにも席が用意されて、まずは杯を満たす。草原(ミノウル)では何を話すにも、これがなくては始まらぬ。


 かくして、幾星霜を経て邂逅を果たした二人は数奇な宿運(ヂヤー)に思いを巡らせながら、あれこれと将来を(はか)ることになった。まさしく「士は己を知るもののために死し、女は己を(よろこ)ぶもののために(かたち)づくる」といったところ。果たして義君は、盤天竜に何と言ったか。それは次回で。

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