第一四一回 ②
インジャ金写駱に命じて迎賓に任じ
セイネン黒曜姫を責めて紅涙を誘う
これでナルモントの話は無事にすんだので、次はいよいよダルシェの件となる。
が、それについては早馬に告げておらず、またシャイカも先に名乗りはしたがまだ出自は明かしていない。居並ぶ好漢たちは、てっきりミヒチが東原から連れてきたものだと思っている。
おもむろにハリンが進み出る。拱手して言うには、
「マシゲルよりハーンにひとつご相談したいことがございます」
「おお、赫大虫。私は獅子のためなら助力は惜しむまいぞ」
「ありがたきお言葉。とはいえ相談というのは実は我らのことではありません。先日、マシゲルに珍しい客人が参りました。その客人についての相談でございます」
「ほう。どういう話かな」
ハリンはどこから語ったものかしばし迷う様子だったが、やがて言うには、
「客人は魔軍について措くべからざる報をもたらしたのでございます」
その名が発せられると、途端に座の空気がぴんと張りつめる。みなこれまで以上に熱心に耳を傾ける。ハリンは続けて、
「ダルシェにヤクマンの四頭豹から幾度も招撫の使者が送られ、あろうことかタルタル・チノはそれを受けんとしていると」
これを聞いて瞠目しないものはない。魔軍と四頭豹が手を結ぶなど、ジョルチにとって悪夢以外の何ものでもなかった。小白圭シズハンが思わず声を挙げて、
「それは真ですか? 俄かに信じがたい話です」
セイネンもまた応じて、
「ダルシェといえば人に屈せぬことをもって立つ部族ではないか。その客人というのは信が置けるのか。四頭豹の流言ではないのか」
ハリンは動ずることなく、鷹揚に答えて言うには、
「間違いありません。お疑いなら、まずはこの黒曜姫にお尋ねください。彼女こそ件の客人の一人です」
みな吃驚して一斉に注視すれば、シャイカは顔を朱くして身を竦める。一丈姐カノンが優しく声をかけて、
「案ずることはないよ、みな驚いているだけさ。知っていることを正直に、順を追って話してあげな」
シャイカはそうっと顔を上げて周囲を窺う。目が合ったミヒチが真摯な表情で頷いたのに勇を得て、漸く言った。
「まず、私はダルシェの娘です」
「何と!」
奇声を挙げたのは長旛竿タンヤン。たちまち鑑子女テヨナに睨まれて口を掩う。それで遮るものもなくなったので、シャイカは経緯を訥々と語りはじめる。
大君に命じられてヤクマンを探りに行ったことから始めて、盤天竜ハレルヤが笞辱を被って捕らえられたこと、大君の暗殺に失敗して逃走したこと、マシゲルの賢夫人ウチンの言葉に順ってジョルチに来たことまで仔細に述べる。
眼前の嫋やかな娘の口から出たとは思えぬ波瀾の物語に好漢たちは目を白黒させて、驚いたり嘆いたり憤ったりと心の休まる暇もない。インジャの表情もみるみる曇る。殊にハレルヤが捕らえられたと聞くと、
「……あの将軍が」
声を漏らす。それをミヒチは耳聡く聞きつけて思うに、
「おや、盤天竜は義君は覚えてないだろうと言っていたが、今のが聞き間違いじゃなけりゃ、こちらもちゃんと覚えているようだよ」
そしてハリンを見遣れば、やはり同じことを考えたらしく小さく頷く。シャイカはいつの間にか話すこともなくなって、無言で俯いている。インジャがはっと我に返って、
「赫大虫、マシゲルの客人というのは、この黒曜姫のほかに盤天竜殿と活寸鉄とやらがあるのだな?」
「はい」
静かに答えれば、ううむと唸って、
「私は盤天竜殿とは浅からぬ縁がある。向こうは覚えておらぬかもしれぬが……」
ミヒチが黙っていられずに、
「十数年前に初陣の戦場でお会いになったのでしょう」
驚愕して、
「どうしてそれを!?」
「どうしても何も、盤天竜殿がまったく同じことを申しておりましたよ。覚えていないどころの話ではありません」
「おお、そうであったか……」
嘆息して感慨に耽っていたが、やがて言うには、
「赫大虫、私は盤天竜殿のために何をすればよい?」
「ご下問がありましたので、お答えします。盤天竜はダルシェがダルシェたることを望んでおります。よって大族より牧地を拝領し、その翼下で安穏として生きることはその意に大きく反します」
インジャはおおいに感心して、
「さすがは魔軍の大将、その意気や善し」
「然るにタルタル・チノは、ヤクマンの招撫に応じてダルシェの心を失わんとしています。盤天竜はこれを討って部族の尊厳を復そうと志しておりますが、いかんせん同志は三人を数えるのみで力が足りません」
すると即答して何と言ったかと云えば、
「よろしい。我がジョルチは全力で盤天竜殿に助力しよう」
シャイカがぱっと顔を輝かせたが、すかさずセイネンが立ち上がって言うには、
「お待ちください! それは兵を出してタルタル・チノを討つことも辞さないということですか」
「無論」
「なりませぬ。ダルシェはすでにヤクマンに投じんとしています。これと戦うことは四頭豹や亜喪神とも兵を交わすことにほかなりません」