第一四一回 ①
インジャ金写駱に命じて迎賓に任じ
セイネン黒曜姫を責めて紅涙を誘う
さて東原より旅を続けてきた白夜叉ミヒチたちは、ついに義君ジョルチン・ハーンに見えた。
気楽で粗野な護衛たち、すなわち黒鉄牛バラウン、病大牛ゾンゲル、双角鼠ベルグタイは、それぞれ礼を失する言動があったが、みなもとより気にする質ではない。どっと笑って和気藹々と杯を交わす。
神餐手アスクワの料理をたいらげると、いよいよ神箭将ヒィ・チノの言葉を伝える。その間もミヒチは、怠りなくインジャを観察していたが、おもえらく、
「なるほど、これはとんでもない宏量、いわゆる大器ってやつだね。我がハーンはどちらかといえば才気煥発で配下にも厳しい君主だが、このジョルチン・ハーンは何て言ったらいいんだろう。あえて求めずとも誰もがこの人のためならと喜んで尽力する。まったく稀有なことだよ。だいたい人ってのは怠けるものだからねえ」
もちろん顔には出さずに、にこやかに会話を続ける。インジャとヒィ・チノ、双方が互いに尊び、惹かれ合っていることは十分にわかった。そこで言うには、
「実は我がナルモントは、ズイエ河に船着場を造って、北原に新たな街を築こうとしています。これもまた司命娘子の発案によるものです」
インジャはおおいに感心して、
「その方は、ナルモントの宝と云うべき名臣ですね」
応じてついショルコウが神都軍の奇襲を退けた話(注1)など披瀝しそうになるが、ぐっと堪えて言うには、
「その街は年内には完成する予定です。もしハーンの答礼の使者が北の道を辿って便利があると判じたなら、いかがでしょう。北原にて我がハーンとお会いになりませんか」
この提案にインジャは頬を上気させるほど興奮して、
「実にすばらしい! これまで東原は遠方だと思い込んで諦めていました。何せ神都があの有様ですから。ぜひ実現させましょう!」
「ありがとうございます。我がハーンもきっと喜びましょう」
インジャは幾度も頷いて、諸将を見わたすと一人に目を留めて言った。
「金写駱。白夜叉殿とともに東原へ行ってくれるか」
「承知。喜んで参ります」
「北原というのは、我らがあまり足を踏み入れたことがない土地。行く先々で気になったところを描いてきてほしい」
それを聞いて、みななぜカナッサが選ばれたのか得心する。その異能を知らないミヒチに鉄鞭のアネクが、
「金写駱は、見たものをそのまま画にしてしまう神技を有っているのよ」
「へえ、そうなんですか。ただ実直ってだけではないんですねえ」
ハリンがこれを窘めて、
「それはちょっと失礼じゃないか」
「金写駱が悪いんだよ。そんな技があるなんてひと言も言わないんだから!」
当のカナッサが満面の笑みで言うには、
「ええ、姐さん。おっしゃるとおりです。何はともあれ、よろしくお願い申し上げます」
またゾンゲルに向き直って、
「兄さん、東原のことをいろいろ教えてください。よろしくお願いいたします」
「うひぃ。俺のことを兄さんだなんて、そんな。いやあ、参ったなあ」
「調子に乗るんじゃないよ。金写駱は遜っちゃいるが、ジョルチン・ハーンの正使として東原にお迎えするんだからね。お前なんかとは格が違うんだ」
たちまち身を縮めて、
「はい、姐さん」
「その正使様を最も粗略に扱っているのは白夜叉じゃないか」
ハリンが呆れて呟いたが、くどくどしい話は抜きにする。
インジャは、ミヒチの奔放ではっきりとものを言う心性をおおいに気に入って、さらに言うには、
「しばらくジョルチに留まり、金写駱にどこへなりとも案内してもらうがいい。特に我が名を付した割符を与える。これを示せば、版図のうちにおいては何を視てもよいし、何を訊いてもよい。もし白夜叉殿に便宜を図らぬものがあれば、きつく叱責するだろう」
あまりに破格の待遇に、セイネンがおおいに驚いて、
「ハーン、いくら何でもそれは……」
諫めんとて身を乗り出したが、片手を挙げて制すると、
「白夜叉殿を介して、ヒィ・チノ・ハーンに我が版図を見てもらうのだ。私は信頼ある東のハーンに隠すべき秘密などひとつもない」
セイネンは一礼して、
「失礼しました。ハーンのおっしゃるとおりです」
これにもミヒチは内心驚いて、
「ますますありえないことだよ。なるほど、ジョルチン・ハーンにはもうひとつ渾名があった。これこそまさに『赤心王』の面目躍如だね。いわゆる『赤心を推して人の腹中に置く(注2)』ってやつだ」
そこで恭しく拝礼して言った。
「ありがとうございます。テンゲリのごとく高く、エトゥゲンのごとく広いハーンのご厚情に感謝いたします」
(注1)【ショルコウが神都軍の奇襲を退けた話】ヒィ・チノの一回目の北伐中、神都軍がその留守を奇襲したが、ショルコウの十全な対応により事なきを得たこと。このときミヒチは傍にあってこれを助けた。第四 五回①~第四 五回④参照。
(注2)【赤心を推して人の腹中に置く】人を疑わず、真心をもって人に接すること。