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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
56/783

第一 四回 ④

ヒスワ密かに感状を(あらた)めて主人を(おとしい)

ゴロ敢えて大河に投じて神都を逃れる

 しかし上天(テンゲリ)はゴロを見捨てなかった。


 渡し場(オングチャドゥ)にみっつの人影(セウデル)があった。はっとして身を(かが)めたが、よく見ればかつて知ったる(ヌル)。すなわちトシロルと例の小童(ニルカ)、加えて何とイェリ・サノウであった。


 トシロルがゴロに気づいて愁眉を開き、駈け寄った。


「おお、生きて(オスチュ)いたか! (ムレン)に投じたと聞いて死んだかと思ったぞ。サノウの言ったとおりだ、ちゃんと生きておったわ!」


 小童は顔中を涙で濡らして、言うべき言葉(ウゲ)も知らない有様。一方、サノウはにこりともせずに、


「言っただろう、ゴロはそう易々とくたばる奴ではないと」


いや(ブルウ)、諸兄。助かった。独りでは為す術もなかったところだ。まだ悪運が残っていたようだ」


 サノウがそれを制して包みを渡す。


「まだ助かったわけではない。西(バラウン)に逃げろ。(ウルドゥ)と、僅かだが食糧(イヂェ)を用意した。舟も手配してある。すぐに河を渡れ」


「ありがとう、恩に着るぜ」


(アクタ)だけは対岸で己で何とかしろ」


 ゴロはからからと笑うと、


「ははは、そこが君らしい。承知した(ヂェー)、それくらいなら容易(アマルハン)だ。剣さえあればこっちのものだ」


 四人はなおも別れがたかったが、一刻を争ってもいるので挨拶もそこそこにゴロは舟に飛び乗った。みるみる(エルギ)から遠ざかる。ゴロは(ガル)を振って叫んだ。


「諸兄! 今日の恩はいずれ何倍にもして返すからな」


 岸辺から三人も手を振る。しかし門衛(エウデチ)に気づかれてもいけないので、早々に城内に戻った。


 ゴロは剣を眺めながら、心中で呟いた。


「あの奸夫め、絶対に(ゆる)さんぞ。いつか必ず神都(カムトタオ)に戻って、奴の両眼を(えぐ)ってくれよう。それにしてもあの小童には悪いことをした」


 自分の不明に腹が立つやら情けないやらで知らず目頭が熱くなった。しかし感傷に(ひた)っている余裕はない。


 舟は本来の渡し場からだいぶ離れたところに泊められた。礼を言って岸に上がると、じっと暗くなるのを待った。その間に行き先を考える。


「この騒ぎはハツチの書簡から始まったもの。ハツチはジョルチ部に在るらしいが、そこに行くのは何やら腹が立つ。あのコヤンサンも居ることだしな。どうもあの連中はやることに疎漏が多い。だがタムヤやイシは独りで行くには遠すぎる。さて何としたものか……」


 やがて辺りは次第に(くら)くなっていく。

 ふと脳裏に一人の好漢(エレ)の顔が浮かんだ。


「おお、そうだ! ギィがいた。奴なら割と近い(オイル)し、(たの)みになる」


 ギィとは、マシゲル部ハーンの嫡子(ティギン)、マルナテク・ギィのことである。マシゲル部は、カオロン(ムレン)の西南岸を版図(ネウリド)とする大部族(ヤスタン)である。(ウリダ)のヤクマン部に最も近い位置にいることから(ソオル)は絶えないが、それもあって精強な軍隊を擁している。


 ギィはその昔、神都(カムトタオ)に半年ほど滞在したことがあり、そのころからの知己である。明朗で慧敏なギィは、ゴロとすぐ意気投合して義兄弟となっていた。


「私としたことがギィのことを忘れて(ウマルタヂュ)いるなんて、やはり動転しているのだな。何年ぶりだろう、訪ねたら驚くであろうな」


 ゴロは再会に(セトゲル)を躍らせつつ伏せっていた。ついに辺りは暗くなり、渡し場の篝火(かがりび)だけがちらちらと見えるばかりとなった。


 起き出して、ふうっとひと息吐くとまっすぐに厩舎(アラチュグ)に向かう。厩舎の傍で(フル)を止めてこれを望めば、入口には三人の衛兵(ケプテウル)が立っている。そっと接近(カルク)し、(ハナ)にぴたりと(ノロウ)を付けて様子を窺う。


 気づかれていないことを確かめると、ゆっくりと屋根に上りはじめた。屋根に上がると、上衣を脱いで反対側の地面(コセル)に向かって放り投げた。上衣はばさりと音を立てて落ちる。耳聡(みみざと)くそれを聞きつけた衛兵は、さては盗人(クラガイ)とて、みなあわてて裏手へ回った。


 それを見てひらりと飛び降りる。すばやく中に入って、手ごろな(アクタ)(えら)ぶ。綱を切っていよいよ連れ出そうとしたところに、早くも衛兵が戻ってくる(ダウン)が聞こえた。


 ゴロは、即座に並んだ馬を片っ端から解放し、さらにその(ボコレ)を剣で叩いた。驚いた馬は暴れ狂って飛び出していく。衛兵どもが狼狽(うろた)えて何やら叫んでいる。


 頃合いを見計らい、いよいよ自らも一頭(ボド)(また)がって駆け出した。見れば衛兵は、どの馬を追えばよいのやら右往左往している。一人に至っては暴れ馬(エムネグ)(トゥル)の下に(アミン)を落とす。


 この騒ぎに(まぎ)れてうまく逃げ出すことができた。が、辺りは漆黒の闇、たった独り寂しいことこの上ない。


 つい昨日までは神都(カムトタオ)一の大富豪(バヤン)であった我が身を思えば、あまりの落差。いずれ奸夫淫婦を斬って復讐しなければならない。運命(ヂヤー)とは判らぬもので、かつて哀れんだハツチとまったく同じ境遇に(おちい)るとは誰が想像しえただろう。




 ゴロは駆けに駆けた。追撃がないことを確かめて、(ようや)く足を緩めた。あいにくの闇夜で右も左も判らない。とぼとぼと馬を歩ませながら、どこかに明かりが見えないか(ニドゥ)を凝らす。


 二刻ほど進んだとき、ふと前方に明かりが見えたような気がした。だんだんと心細くなっていたので(すが)る思いで馬にひと鞭、跑足(ハティラー)にて駆けさせる。


 果たして、幾人かの男が焚火を囲んで(ボロ・ダラスン)を飲んでいた。ゴロはおおいに救われた気分でその(ドゥグイー)に近づいた。と、男たちの目が(かす)かに険しい光を放つ。が、ゴロはそんなことには気づかない。


 さて、ゴロはこの連中に出遭ったことによって、ますます心胆を寒からしめることになるのだが、テンゲリの配剤によって宿星(オド)(めぐ)り、ついに旧友との再会を果たす。まさに一難去ってまた一難、されど禍福の転変を知るのはテンゲリばかりといったところ。ゴロが出遭った男たちは何ものであったか。それは次回で。

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