第一三九回 ④
メサタゲ陰かに刀剣を蔵して同胞を探り
シャイカ自ら犠牷と為りて弑虐を試む
メサタゲが卒かにぱんと鞍を叩いて、
「そうだ、黒曜姫。お前の考えを聴こう」
「何でしょう?」
「我ら三人、帰るところがない。これからどうしたものかな」
どこか楽しそうな口調である。シャイカはやや呆れて、
「活寸鉄! あなたって……」
辛うじて言葉を呑み込んだが、メサタゲは鋭く応えて、
「おいおい、そんな顔をするな。俺は機に臨んで変に応ずる質なんだ。緻密に考えを巡らせていても、ちょっと狂っただけですべて徒労になるからな」
屈託なく笑う。シャイカは気を取り直して、ハレルヤに言うには、
「三年ほど前に、盤天竜様がかわいがっておられたものがいるではありませんか」
「ん?」
「黒鉄牛ですよ。大勢客人が訪ねてきて連れていった(注1)でしょう」
漸く腑に落ちて、
「おお! 黒曜姫はまことに賢い! あれはもとはマシゲルの部将。記憶を復したとかで獅子に返したのだった」
メサタゲが嬉しそうに、
「では決まりですな。マシゲルの厩舎を借りましょう」
「うむ。獅子と黒鉄牛なら、我らを粗略には扱うまい」
「黒鉄牛の奴、もとの記憶を復したせいでダルシェのことをすっかり忘れてなければいいんですがね」
「いくら何でもそこまで阿呆ではない」
三人は高々と笑い合うと、マシゲルの牧地を指して北上の途に就いた。道中は飢えては喰らい、渇いては飲み、夜休み、朝発つお決まりの行程。
マシゲルのオルドは、ジョルチに投じたあともケルテゲイ・ハルハに在った。ところがそもそもかの地は、ギィたちが敵の追撃を逃れるべく隠れ潜んだ険隘の地。何となく見当をつけてはいたが、一向に辿り着けない。
「やれやれ、獅子どころか銀鼠にも逢わない。参りましたね」
余の二人は取り合わない。もっと西方かと馬首を転じてさらに進む。と、シャイカがはっと手綱を引いて、
「あれを。何処かの兵が哨戒しています」
ハレルヤも馬を止めてじっと目を凝らしていたが、やがて愁眉を開くと、
「何とここで旧知に遇えるとは、何という僥倖」
「ご存知なのですか」
シャイカが驚いて問えば、メサタゲを促して、
「活寸鉄、あれを見ろ。お前も知っている連中だ」
「ふうむ。黒鉄牛を除いたら、よそに知己などないんですがね……」
ともあれ目を細めて彼方を望む。
「あ……」
その目がみるみる見開かれる。
「盤天竜様! あれはもしかして!」
「然り。赤流星に違いない」
「赤流星?」
シャイカが問う。頷いて嬉しそうに言うには、
「ジョシ氏の精鋭だ。俺はつくづく礫公と縁がある(注2)らしい」
「礫公……」
「ジョシの族長だ。名はソラとか云ったかな。たしか彼らもジョルチに投じたのであったな」
メサタゲが答えて、
「はい。どうやら我らは道を誤ったようです。ジョシが与えられたのはメンドゥ河に近い牧地だったはず」
「まあよい。これもテンゲリの導き。まずは礫公に挨拶だ」
しかしこのとき赫彗星ソラは、ウリャンハタの北伐を援けるべく出征していて留守(注3)であった。話が前後して混乱する方もあろうが、西原の北伐はまだ完了していない。ちょうど武神モルトゥが奇人チルゲイの説得に応じて帰投(注4)したころである。
ソラの不在を知って一行は落胆したが、もちろん盤天竜の勇名は知れわたっていたので、留守陣にておおいに歓待される。また早馬が立てられ、マシゲルに三人の来訪が知らされる。
幾日か滞留していると、ほどなく迎えが来た。見れば当の黒鉄牛バラウンと迅矢鏃コルブであった。コルブは、ギィがバラウン一人では不安に思って附けたのである。
かつての主従は三年ぶりの再会をともに喜び合う。ひととおり再会を祝すると、バラウンは早速目を転じて言うには、
「ああ、シャイカちゃん! ちょっと見ない間にさらに美人になったねえ」
メサタゲが笑って、
「何だい、盤天竜様より黒曜姫に会えたことのほうが嬉しそうじゃないか」
バラウンは頭を掻きながら、
「えへへ。そんなことは……」
「で、黒曜姫はどうなんだ。黒鉄牛はお前をお気に召してるようだぜ」
するとうっすらと微笑を湛えて言うには、
「ありがとう。でも黒鉄牛は誰にでもそういうことを言うから」
「えっ、そんなっ! そんなことないよぅ!」
あわてて弁明する。コルブが呆れて、
「まったくお前は記憶があってもなくても変わらんな」
これには一同大笑い。ともかく危地を脱した安堵から、ダルシェの三人も久しぶりに寛いで酒食を楽しんだ。その夜はアイルに一泊して、翌日ともに発つ。
魔軍を追われた三個の宿星は、旧知を恃んで獅子に投じることになった。このことから草原に冠たる猛将は、遠く昔日の邂逅に思いを致し、英雄の恩沢に浴して客人の座を得る次第となる。
これこそまさしく、おおいなるテンゲリの叡慮は人智の及ばぬところにて、その宿縁は十数年前にすでに定まれりといったところ。果たしてマシゲルに向かった盤天竜たちを待つのはいかなる命運か。それは次回で。
(注1)【客人が……連れていった】奇人たちがカラバルの同士討ちを再現したところ、記憶を復したのでマシゲルに連れて帰ったこと。第一〇二回②参照。
(注2)【礫公と縁がある】かつて梁公主に陥れられた赫彗星と、盤天竜は戦場で相対した。第八 三回①~第八 三回④参照。その後、マシゲルに投じた赫彗星を偶々ダルシェが襲ったことを機に黒鉄牛の所在が知れた。第九 八回③参照。
(注3)【出征していて留守】ジョルチからの援軍については、第一二〇回④参照。
(注4)【モルトゥが……帰投】第一三二回①参照。