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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
554/783

第一三九回 ②

メサタゲ(ひそ)かに刀剣を(かく)して同胞を探り

シャイカ自ら犠牷と為りて弑虐(しいぎゃく)を試む

 そうこうするうちに十日ほどが経った。ハレルヤの傷はかなり癒えたが、それに伴ってタルタル・チノは再びその手足を縛っておくよう衛兵(ケプテウル)に命じた。


 またこの三日ほどは食事(イヂェ)は抜き、僅かな(オス)しか与えなかった。ハレルヤは何を考えているのか、黙々と耐えるばかりで不平ひとつ口にしない。シャイカは密かにメサタゲを訪ねて告げた。


「ヤクマンの使者が来る(ウドゥル)は近い。大君(イェケ・アカ)は盤天竜の処刑に備えて、これを弱らせようとしている」


「なるほど」


「あと数日も経てば、盤天竜は立つこともできなくなる」


「…………」


「今夜、決行する」


承知(ヂェー)


 夜になるとメサタゲは密かに準備を整えて、檻車の近くに身を潜めた。そっと窺えばハレルヤはまだ起きていて、檻車の端に(もた)れて虚空を睨んでいる。


 また(ニドゥ)を転じれば、大ゲルの戸張(エウデン)が視界に入る。周辺には数多の衛兵があってこれを護っている。


 そこにおもむろに徒歩で近づくものがある。黒曜姫だった。(アミ)を詰めて彼女が衛兵と何ごとか話しているのを見守る。やがて戸張が開き、シャイカはその中へと消えて(ブレルテレ)いった。




 シャイカは薄く化粧していた。戸張をそっと閉じると、高き座(ウンドゥル)に向かって小趨(こばし)りに進んで(ひざまず)き、恭しく(テリウ)を垂れる。タルタル・チノは満足げに(ハマル)を鳴らすと、左右の侍女(チェルビ・オキン)に告げて言うには、


「お前ら、今夜は下がってよいぞ」


 みな頷いてぞろぞろと退出する。ちらとシャイカを一瞥していくものもある。(アマン)を開くものはなかったが、いずれも興味津々の(てい)。誰もいなくなると、タルタル・チノは舌舐めずりせんばかりの勢いで、


「黒曜姫、よく来たな。やっとその気になったというわけか」


 応じて(ヌル)を上げたが、すぐに目線を()らして、


(オキン)に多くを語らせてはいけません」


 小声で答えると、うっすらと(チフ)まで染める。その可憐な様子にタルタル・チノは目を見開いて、俄かに(アミ)を荒くする。


「どれ、近く寄れ。こちらへ、さあ、こちらへ」


 立ち上がると、すばやく(ガル)を取って寝台(オル)へと(いざな)う。まずは並んで腰をかけて(ムル)を抱く。今やすっかり興奮して、


「うむ、実に()い女だ。わしはお前のような抱けば折れそうな女が好きなのだ」


 とて黒衣(ハラ・デール)の上からあちらこちらと撫でまわす。シャイカは(ビイ)(よじ)って、


「困ります」


 細く言えば、


「何を困ることがあるものか。お前が訪ねてきたのではないか。さあ、その黒い袍衣(デール)の中身を見せてもらうぞ」


 両の(ヂャカ)(つか)んで、今にも左右に裂き破かんとする。シャイカはそっとその手に自らの手を重ねて、


「いけません。男の方が先に脱いでください」


 襟にかかった(ホロー)をひとつずつゆっくりと外す。そして寝台に膝を立てて、その背後に回ると言うには、


「私が脱がせてさしあげましょう」


 タルタル・チノは大喜びで、だらりと手を下げてされるに(まか)せる。まもなく上衣は解かれ、大きな(ノロウ)が現れる。シャイカはその背を左手で優しく撫でて、


「まあ、何と(たくま)しい……」


 嘆息しながら、右手を自らの懐中(エブル)に滑らせる。そこから静か(ヌタ)に取り出したのは例の鉄針(テムル・ヂュウ)


 そう、シャイカは自らの身を餌にタルタル・チノに近づき、これを暗殺せんと図ったのである。相手は背を向けており、己の右手にはすでに鉄針がある。そろそろと振り(かざ)し、あとはひと息に振り下ろすばかり。


 と、(にわ)かにタルタル・チノが振り返った。


「おい! 何をしている」


 先ほどまでのだらしない表情は一変、(フムスグ)を吊り上げて、(マグナイ)には血管が浮く。


「あっ!」


 シャイカは驚愕のあまり、一瞬硬直してしまう。


 タルタル・チノはすばやく寝台から下りて向き直ると、猿臂(えんぴ)を伸ばしてシャイカの右手首を制する。ぐっと(クチ)を込めれば、思わず鉄針を取り落とす。


「この女め、誰の指図だ。まさかこのわしを殺そうとは」


 睨みつけて、ぎりぎりと手首を締め上げる。シャイカの細腕は音を立てて今にも折れそうになる。


「さあ、言え! 誰が命じた。叛徒(ブルガ)根絶やし(ムクリ・ムスクリ)にせねばならぬ。言え! 言わぬか!」


「…………」


 痛みに悶えつつ、歯を食いしばって(ダウン)も出さない。目は炯々として睨みつけている。タルタル・チノは激昂(デクデグセン)して、


「この小娘め! わしを侮るなよ。ただではおかぬぞ」


 言うや否や、シャイカを寝台の上に押し倒して馬乗りになる。握っていた手首を放して、今度はその喉許(ホオライ)を絞めあげる。


「ぐぅっ!!」


「どれ、言う気になったか!」


 しかしその目に屈する色はない。タルタル・チノはますますいきり立って、


「お前は女だ。それを思い知らせてやる」


 空いた右手が黒衣の帯に伸びる。シャイカははっとして身を固くする。ばたばたとあがくが、男の巨躯はびくともしない。


「ははは、かわいがってやるぞ!」


 咆哮にも似た大声で言い放つと、かっと目を見開く。


 その瞬間、シャイカの左手が一閃した。ばっと(ウンセン)が舞う。


 タルタル・チノはぎゃっと悲鳴を挙げると、両眼を(おお)って()()った。もしものときのために一握の灰を袍衣に隠し持っていたのである。


 すばやく巨躯の下から両脚を引き抜いて、苦しむその額をどんと蹴れば、寝台の下に転がり落ちる。


「小癪な! 誰か! 刺客(アラクチ)だ! この女を捕まえろ!」


 滂沱(ぼうだ)と流涕しながら(わめ)けば、戸張が開いて衛兵たちが飛び込んでくる。


 寸時の猶予もなく、シャイカは脱兎のごとく駈けだす。まだ事態を把握してない衛兵が惑ううちにその脇をするすると走り抜けて、入れ違いに外へと飛び出す。

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