第一三九回 ① <メサタゲ登場>
メサタゲ陰かに刀剣を蔵して同胞を探り
シャイカ自ら犠牷と為りて弑虐を試む
さてダルシェの盤天竜ハレルヤは、大君タルタル・チノの逆鱗に触れたために、笞刑を得て檻車に押し込まれてしまった。
頑健な体格が幸いして骨こそ砕けなかったが、皮は破れ、肉は裂け、見るも無惨な有様に心あるものは密かに憤った。
黒曜姫シャイカは何も口には出さなかったが、やはり心中おおいに憂えてある決心をした。ハレルヤの容態を窺って恢復に時日がかかると見るや、焦ることなく策を練って機会を待つ。彼女が何を為さんとしているかはいずれ判ること。
嘆くものあれば、喜ぶものがあるのが世の道理。魔軍の大将ハレルヤの失脚は、その座を狙うものにとっては天佑とも云うべきだった。
野望を逞しくするものは、挙ってタルタル・チノのもとを訪ねてその英断を讃え、またハレルヤの固陋を謗った。
気を好くしたタルタルは、佞臣どものうちからガリドを立てて新たな大将とした。また副将にはトゥクトゥクを起用した。どちらも深慮遠謀なく、権勢を濫りに振るうばかりの愚物。
それまでハレルヤの下で戦っていた幕僚や部将たちの不満はおおいに募った。みな鬱屈を抱えたまま、早くハレルヤが恢復するよう祈った。
とはいえ、恢復したからといって何をするという案があるわけではなかった。ただそのときが来たらきっと何かが起きるだろうと漠然と期待していたに過ぎない。
しかし独りだけ、慨嘆するばかりの同胞とは異なって、やや明確な目算を秘めたものがあった。帳幕の幕僚としてハレルヤを輔けていたもので、名をメサタゲと云う。その人となりはと云えば、
身の丈は七尺三寸ほど、年のころは盤天竜と同じ、細い目、皓い歯、温顔にして爽邁なるも笑いの裡に刀を蔵し、ときに寸鉄人を殺す叡智の主。人はこれを尊び、これを畏れ、「活寸鉄(生ける小さな刀の意)」の渾名を奉る。
メサタゲはもはや部族の分断は避けられぬと看た。結束の綻びを繕わんよりは、それを押し拡げて飛び出すのが吉と思い定めたのである。
ハレルヤが恢復したらこれを救い出して同志を募り、奸賊に与して保身を図る老人どもを討たなければならない。
しかし日ごろは口数少なく、莞然と笑って人の話を聞いている質のメサタゲは、焦ってことを起こそうとはしなかった。タルタル・チノを是とするものとも非とするものとも変わりなく交わり、黙ってその本心を探った。
中にはその智慧を恃んで意見を求めるものもあった。するとメサタゲは嘯いて言うには、
「ダルシェはダルシェさ。どんな境遇に在ってもそれを忘れなければいい」
一騎当千の驍兵たちは、真意を把みかねて決まって顔を歪める。それを見てからからと笑うと、
「酷い顔だ。くだらぬことは考えずに槍でも磨いていろ」
それっきり何も言わない。これは叛心を誰にも悟られぬよう警戒していたからでもある。うっかり心を開いた相手が間者であったなら、ハレルヤを救うどころではない。
自らが腹に刀を蔵しているからこそ、迂闊に人を信用しないのがメサタゲの流儀であった。
ところが観ることに集中すればするほど、観られていることにはなかなか気づかぬもの。ある日、メサタゲを訪ねてきたものがあって、卒かに言うには、
「活寸鉄は盤天竜と意を同じくするものでしょう?」
内心ぎょっとしたが、平静を装って言うには、
「何のことかな? さっぱりわからない」
「隠さなくてもいい。私、知ってるよ」
それこそ黒曜姫シャイカであった。彼女は彼女で黙って観察した結果、メサタゲこそ信頼に足る同志と看てこれを訪ねたのであった。もとより知らない仲ではなかったので、メサタゲは莞爾と笑うと、
「敵わないな、黒曜姫には」
シャイカもまた微笑むと、
「活寸鉄はこのあとどうするつもりなの?」
問えば答えて、
「今、我らにできることは少ない。何より盤天竜が起たなければ、大山を動かすことはできない」
「ええ」
「黒曜姫は黒曜姫で何か思うところがあるのだろう?」
「ええ」
頷いたが、なかなか話そうとしない。飽かずに待っていると、やっと言うには、
「みな大君を恐れている。こればかりは身についたものだから、一朝に覆すことはできない」
「そのとおりだ。たとえ盤天竜が起っても、面と向かって大君に逆らうのに躊躇するものはあるだろう」
「ええ。だから……」
シャイカは口籠もる。メサタゲはたちまち意図を察して、
「なるほど、さすがは黒曜姫。その姿形からは想像もできぬ雄心だ」
褒められてシャイカは顔を赧める。メサタゲが言うには、
「だが黒曜姫よ、無理はするな。いかに卓れた技があるとはいえ、お前は一個の女子だ」
「ええ」
こういった会話がなされてから、メサタゲはなお一歩を進めて慎重に人を見極め、これぞというものにはそれとなく水を向けてみたが、多くのものは、
「俺も盤天竜に同意するし、同情もしているが、やはり大君の在るうちは……」
そう言って何ごとも明言しない。さもありなんとてメサタゲは落胆もしなかった。やはりシャイカの言うように、大君への畏怖はどうにも拭いがたい。
(注1)【爽邁】気性がさっぱりしてすぐれていること。