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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
551/783

第一三八回 ③

ミヒチ黒曜姫に()いて(かん)鏖殺(おうさつ)

タルタル盤天竜に怒りて之を鞭撻す

 さて三人と別れたシャイカは、独り西(バラウン)に向かって駆けた。本来なら娘の一人旅は危険(アヨール)極まりないが、シャイカは気にしていない。恭倹な心性(チナル)ではあるが、それと同時に己の異能(エルデム)にそれなりの自負がある。


 ダルシェの男は幼いころ(バガ・ナス)から戦士として鍛えられる。寡兵をもって草原(ミノウル)自由(ダルカラン)に闊歩するためには一騎当千の精強さが求められるからである。


 一方で女はどうあるべきかと云えば、もちろん健やかで強い(クウ)を産むことは賞賛される。しかし責務(アルバ)はそれだけではない。


 才能(アルガ)を見込まれた女子は、特殊な訓練を経て、刺客(アラクチ)として養育されるのである。誰がその課程を()えて刺客となりえたかは、部族(ヤスタン)の中でも一部のものしか知らない機密(ニウチャ)である。


 シャイカは若くして最も(すぐ)れた刺客であった。容姿(ウヂェスグレン)(たお)やかさも相手の警戒を(ゆる)める武器となった。とはいえ、いまだシャイカは部族(ヤスタン)のために誰かを殺した(アラアサアル)ことは一度もない。


 ダルシェは長らく刺客を養成してはきたが、そもそも(ソオル)でことを決する民だった。そしてこれまで、戦において他部族(ヤスタン)の後塵を拝することなどなかった。よってこれを用いる機会(チャク)がなかったのである。


 それをシャイカは不満に思っていない。いや、むしろ幸いであったと思っている。人の(アミン)を奪う恐ろしい技を知悉(ちしつ)していながら優しい娘であった。どうせ技を使うなら、()()()()()()()()と考えている。


 先に()ったミヒチたちは、なぜかは判らないけれども助けるべきだと直感した。なぜそう確信したのか、自身もずっと不思議に思っている。実はこれこそテンゲリの定めた宿運(ヂヤー)の為せる業だったのだが、無論当人の知るところではない。


 あれこれつらつらと考えながら幾日も駆けているうちに、ダルシェの夏営地(ヂュサラン)に帰り着いた。ぼんやりしながら遅足(ブギャア)(アクタ)を歩ませていると、


「おや、黒曜姫。戻ったのか」


 (ダウン)をかけるものがある。ふと見れば、そこには盤天竜ハレルヤの巨躯がある。ハレルヤは()()の大将、よってシャイカの秘密についても承知している。


ええ(ヂェー)。カオロン(ムレン)(ほとり)まで駆けて、いろいろ視てきました」


「ヤクマンの様子はどうであった」


「表向きは平穏(オルグ)です。四頭豹の統治はうまくいっているようです」


 ハレルヤはふうむと唸ると、


「これから大君(イェケ・アカ)に復命するのか」


ええ(ヂェー)


 しかしハレルヤは去ろうとしない。黙ってシャイカの(ヌル)を見ているので、


「あの、何か?」


 問えば、言い(よど)んでいたが、やっと言うには、


正直(ツェゲン・セトゲル)なところ、黒曜姫はどう思う」


「どう、とは何のことでしょう?」


「近ごろの大君の……、いや(ブルウ)、やめておこう。悪かったな、忘れてくれ」


ええ(ヂェー)、忘れましょう」


 シャイカは一礼して歩を進める。その(ノロウ)をハレルヤはじっと見送ったが、この話はここまでにする。




 大君ことダルシェの族長(ノヤン)タルタル・チノは、魔軍に君臨すること三十年に及ぶ。(ようや)く老境に至り、今では兵事についてはすっかりハレルヤなどに(まか)せている。


 しかし「チノ(狼の意)」と称される眼光の輝きは昔日(エルテ・ウドゥル)のまま、跪拝するシャイカを睥睨しつつ言うには、


「そうか、四頭豹はやはり傑物(クルゥド)だな。あれだけの大乱がありながら、僅かの隙もないか」


 (ニドゥ)を伏せたまま答えて、


はい(ヂェー)。私の見たところ以前よりも規律があり(ヂャルチムタイ)、兵は(つよ)く、(イルゲン)豊か(バヤン)です。もとよりヤクマン部は大族ですが、四頭豹が政柄を握ってから、さらに(クチ)を益したようです」


「なるほど、よろしい。ご苦労であった。おおいに参考になった」


「もったいないお言葉(ウゲ)、ありがとうございます。では……」


 辞去しようとすれば、タルタルはそれを制して舐めるように眺め回すと、


「それにしても黒曜姫とはよく名づけたものだ。お前ならどんな男の傍にも容易(たやす)く近づけよう。お前のような女は、あれのほうでもいろんな(エルデム)があるのだろう。どうじゃ、それをちょっとわしに試してみぬか」


 瞬間(トゥルバス)、シャイカの目はかっと瞋恚(しんい)の色を帯びたが、その目を上げることなく静か(ヌタ)に言った。


「お(たわむ)れを。大君の側にお仕えするなど畏れ多いことでございます。失礼します」


 そのまま小趨(こばし)りに退出する。その身が怒り(アウルラアス)に震えていたことにタルタル・チノは気づかない。しばらく思案していたが、側使い(エムチュ)に命じてハレルヤを召す。


 大君に呼ばれたハレルヤは、沈鬱な思いで(フル)を運んだ。魔軍の大将として兵権を託されて数歳、一介の武人にも部族(ヤスタン)の将来について思うところはある。


 ダルシェの根幹は、一定の牧地(ヌントゥグ)を持たず、草原(ミノウル)を自在に往来することである。と、ハレルヤは考える。


 誰とも組まず、誰にも属さない。独立不羈(ふき)こそダルシェのダルシェたる所以(ゆえん)であり、価値である。仮に誰かに(くみ)するとしても、その根幹を揺るがせてはならない。


 大ゲルに入り、跪拝して挨拶すれば、タルタル・チノは顔を(ほころ)ばせて、


「おお、盤天竜。よく来た。お前に(はか)りたいことがある」


 そら来たとハレルヤは思ったが、面には出さず、


「私ごときの鄙見(ひけん)がお役に立つのなら伺いましょう」


 恭しく答える。


「ヤクマンを探らせていた間諜がさっき戻ってきた」


 黒曜姫のことだと察したが、黙って続きを待つ。


「どうやらその勢いはいよいよ盛んだとか。いつまでもこれと争うのは賢明(ボクダ)ではないとは思わぬか」


「…………」

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