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草原演義  作者: 秋田大介
巻一
55/783

第一 四回 ③

ヒスワ密かに感状を(あらた)めて主人を(おとしい)

ゴロ敢えて大河に投じて神都を逃れる

 一方、ヒスワは渡し場(オングチャドゥ)に放った小者(カラチュス)からゴロの帰還を知らされて、小躍りして喜んだ。早速役所に出かけて捕吏の出動を要請する。それに応じて兵五十(タビン)が駆り出された。ヒスワは不満そうに言うには、


「ゴロは何十人もの小者を従えております。道理(ヨス)の解らぬものが抵抗しては万が一ということがあります。そうなれば草原(ケエル)(はし)って軍勢を連れて戻ってくるでしょう。それでは私が事前に謀叛(ブルガ)を察知した意味がなくなるというもの、何とぞご考慮ください」


 捕吏の長はなるほどと思い、兵を倍の百人(ヂャウン)に増やした。さらに万全を期してヒスワが言うには、


「ゴロが(ムレン)を渡っている間に、隊伍(ヂェルゲ)を整えて城門(エウデン)のうちに伏せておくのです。奴が城門をくぐったところで左右から襲いかかれば、難なく捕らえることができるでしょう。もし取り逃がしたとしても河に行く手を(はば)まれます」


 ここでも捕吏の長は感心して(したが)うと、すぐに城門のうちに兵を伏せた。付近は通行を禁止して、あらかじめ混乱を防ぐ。


 ヒスワはそれを確認すると、ミスクと高楼に登って見物することにした。その楼は、()しくもコヤンサンが階段から転げ落ちた楼であった。


 楼にはどこで知ったのか噂を聞いた連中が詰めかけ、常にもまして活況を呈する。観衆に混じってトシロルの姿(カラア)もあった。今や(ガル)に汗握って見守るほかない。




 ゴロは、身に迫る危険(アヨール)も知らずに渡河すると、小者に荷を背負わせて隊列を整える。そして列の最後尾から(オモリウド)を張って城門へ向かった。


 列の先頭が(バリク)に入る。そこでふとゴロは違和感に捉われた。


静か(ヌタ)すぎる……。いつもなら人が溢れているはずなのに、なぜだ?」


 隊列の半ばが城門を通過したときであった。

 突如周囲から、わあっという喊声が挙がる。


「何ごとだ!」


 まだ城門に達してないゴロが叫んだ。小者が荷を放り出して後戻りしてくる。遥かに眺めれば、手に手に矛を振り(かざ)した兵が迫り、追い着かれた小者が次々とその餌食となった。悲鳴とともに血煙と砂塵が巻き上がる。


「こ、これは……。トシロルの言葉(ウゲ)(ウネン)だったか」


 ありうべからざる事態に(オロウル)を震わせて、みるみる血の気が失せる。そのゴロを兵の一人が認めて叫んだ。


「謀叛人め! おとなしく縄を受けよ、逃れられんぞ!」


 その(ダウン)ではっと正気に返る。周りの小者がゴロを(かば)って、(ウルドゥ)を手に走り出した。が、騎兵の前にことごとく蹴散らされる。


 ゴロは背後を顧みた。そこには陽光を受けて輝くカオロン(ムレン)滔々(とうとう)と流れている。前には騎兵の群れ、後には大河、まさに進退窮まる。


 ここで並のもの(ドゥリ・イン・クウン)なら諦めてしまうところだが、そこが若くして神都(カムトタオ)一の富豪(バヤン)となったゴロ・セチェンである。迷わず(きびす)を返すと、追撃が迫る前にさっと河に飛び込んだ。


 しかし流れが思いのほか急だったので、見る間に押し流されていった。(エルギ)に達した捕吏たちは、ゴロが血迷って自ら(アミン)を縮めたものとせせら笑った。彼らは引き返すと、ゴロは河に身を投げて死んだと報告した。


 さて、高楼から様子を見ていたヒスワは、捕吏が隊商に襲いかかるのを見て舌打ちした。


「早い! あれでは奴に事態を悟る隙を与えるぞ」


 すぐに主戦場が門外に移ったので、奸夫淫婦はただ手を(こまぬ)いて結果を待つだけとなった。やがて兵が矛を収めて戻ってきたが、ゴロの姿(カラア)がないことに気付いておおいにあわてた。


 急いで楼を下りると、捕吏の長に成果を尋ねる。長は、ゴロがカオロン(ムレン)の流れに呑まれた顛末(ヨス)を語り、おそらく助からぬだろうとて役所に帰ってしまった。


 ヒスワは一時は安心したものの、ゴロが武芸水練に長じていたのを思い出して俄かに不安になった。そこで自らカオロン(ムレン)の様子を見に行った。


 なるほど水量も多く、その勢いたるやもしこれに飛び込めば水妖といえども助かるまいと思われた。それで(ようや)く安堵の息を漏らし、今や我が家となったゴロの家に戻っていった。


 ところが、さすがのヒスワもことの成就を焦ったか、いささか(ニドゥ)曇った(ブデグ)ようである。




 ゴロは、流されたものの死んではいなかった。日ごろから身体(ビイ)を鍛え、水練も怠らなかったため、下流に少し流されただけで何とか岸に上がることができた。


 しかし手に得物はなく、(エブル)銀子(スケス)はなく、あるものといえば父母から与えられた身体と、上天(テンゲリ)から与えられた智恵だけであった。


 辺りに人影(セウデル)がないのを確かめると、その場にどっかと腰を下ろして熟考する。まず神都(カムトタオ)を離れなければならない。そのためには何とかしてカオロン(ムレン)を渡る必要がある。


 さすがのゴロも泳いでこの大河を渡るのは無謀だから、舟を得なければならない。舟を借りるには銀子が必要だが、一銭もない。剣があれば舟を奪うのだが、それもない。


 あれやこれやと考える。うまく渡河できたとしても、そのあとは(アクタ)がなければどこにも行けない……。一刻ほど(グル)のごとく座っていたが、俄かに立ち上がると、


「ときに策は勢いに及ばぬものだ。あれこれ思い(わずら)ってもしかたない。とにかく渡し場へ行ってみよう」


 知恵者(セチェン)と称されるゴロであったが、この状況では特に良い案も浮かばず、ふらふらと渡し場へ向かう。

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