第一三八回 ①
ミヒチ黒曜姫に遇いて間を鏖殺し
タルタル盤天竜に怒りて之を鞭撻す
さて白夜叉ミヒチの一行は、光都にて一丈姐カノンを加えて、いよいよ中原へと渡った。まずは神風将軍アステルノのアイルを指して北上していたところ、ある日、カノンが気づいて言うには、
「昨日あたりから跡を蹤けてくる奴があるようだよ」
何処かの間諜の類だろうとてこれを葬ってしまおうと相談していると、病大牛ゾンゲルが告げて言った。
「姐さん方! あちらにも胡乱な奴がおりますぜ」
見れば黒衣を纏った一騎の娘。カノンが言うには、
「あら、かわいい娘さんじゃないか。あんな子に血を見せたらいけないね。もう少し先へ進んで、人目につかないところでやっちまおうよ」
ひとまず娘のことは措いて、襲撃に手ごろな地を索めて出立する。と、怪しい商旅は無論のこと、なぜか娘も間隔を保って併走しはじめる。驚いたゾンゲルが、
「うひぃ。姐さん方、あの子もついてきますぜ」
カノンは眉間に皺を寄せて、
「何だかわからないけど、気にしてもしかたないね。娘さんには悪いけど、ちょうどいいところを見つけたらやるよ」
余の二人も頷いて、ともかく馬を駆る。およそ数里も駆けると、ちらほらと灌木が生えている丘があった。
「絶好とは言いがたいが、まあ、あんなもんだろう。丘の裏に回ったらやるよ」
カノンはそっと槍を持ちなおす。余の二人も得物は同様、槍である。そのまま駆けて丘を越えると、三人とこれに従う数人の軽騎は、散開して灌木の裏に馬を入れて待つ。ちらと見回したが、黒衣の娘の姿はいつの間にか見えない。
しばらくすると踏跡を辿って十騎の商旅が姿を現した。何げなく下ってきたところ、灌木の陰にミヒチたちを見出した一団は等しくぎょっとして手綱を引いた。それを見てミヒチたちはわっと飛び出す。カノンが槍をぐいっと差し向けて、
「おい、どういうつもりで蹤けてきたんだ。誰の命令か、正直に言いな!」
商旅を装った一団はみな目を円くしていたが、やがて一人が進み出て恭しく拱手すると言うには、
「誤解でございます。我らはただの商人。商いのために神都へ向かう途中でございます。得物をお収めください」
「嘘を吐くとためにならないよ。どれ、荷の中を見せてみな。商人なら売るものが入っているんだろう」
「いえ、お見せするほどのものではありません。どうかご容赦を」
あくまで恭倹な様子で頭を下げる。なおも疑いつつ、ゾンゲルが荷を検めようとふらりと近づいたところ、卒かに男は大声で叫んだ。
「近づくな!」
そしてすらりと剣を抜くや、いきなり斬りつけた。
「うわっ、危なっ!」
ゾンゲルは身を躱して槍を構える。日ごろは女丈夫たちの前で道化を演じているが、もとはと云えば武勇で聞こえた草原の匪賊、眉を吊り上げて俄かに怒気を漲らせる。カノン、ミヒチもはっとして得物を執りなおすと、
「ほうら、やっぱりね! やっちまいな!!」
号令一下、わっと襲いかかれば、敵人も温顔を擲って兇虐の顔を晒けだし、手に手に剣を抜いて怒号を挙げる。たちまち乱戦となって金光閃爍、鋭鋒は能く風を生じ、利剣は能く雲を払うといったところ。
一丈姐、白夜叉、病大牛はいずれも勇武人に卓れた豪のもの。しかし敵人もさるもの、おおいに抗ってなかなか勝ちを制することができない。次第に数を減じはじめるが、こちらも軽騎を二人ほど失う。
「なかなかやるね!」
ミヒチが言えば、カノンが応えて、
「抜かるんじゃないよ!」
なおも入り乱れて戦っていると、いつから居たのか丘の上に先ほどの黒衣の娘が佇んでいる。敵人の一人がそれに気づいて、さっと馬首を転じると、
「おい、得物を捨てろ! さもなくんばあの娘を斬るぞ」
喚きながら猛然と迫る。
「あっ! 危ない、逃げろ!」
カノンがあわてて叫ぶ。しかし娘は小首を傾げただけで顔色ひとつ変えない。
「うひぃ、逃げろって! 殺されるぞ!」
ゾンゲルが巨躯を揺らして追うが、到底間に合わない。
と、娘が僅かに微笑んだように見えた。次の瞬間、ミヒチたちは信じられないものを目にした。卒かに娘が鞍の上に立ち上がったかと思えば、とんと跳躍して、宙でくるりと身体を丸め、そのまま迫る敵騎の背後に跳び移る。
「えっ!?」
敵騎が何が起こったか解らず混乱するうちに、娘は懐から何かを取り出してその頸筋に振り下ろした。
「あぁっ!!」
悲鳴一声、虚空を見上げてどっと落馬する。娘はそのまま馬を操って、一気に駆け下りてくる。