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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
547/783

第一三七回 ③

コテカイ書庫を訪ねて笑面(だつ)(とが)

ミヒチ南伯を評して楚腰公に告ぐ

 さて翌日、ミヒチはサルチンに呼び出された。行くとヘカトもそこにあった。


「白夜叉、どうして呼ばれたか解っているだろう」


 サルチンの問いに答えて、


「南伯の件だね」


そうだ(ヂェー)。鳳毛麟角から早馬(グユクチ)があった。さあ、聞かせてくれ。隻眼傑(ソコル・クルゥド)はどうであった」


 ミヒチはしばし少考する。二人は黙って待っている。溜息を()くと言うには、


「……ひとつ断っておくけど、あくまで私の印象だからね」


「わかっている」


「じゃあ、話そうかね。……あれはなかなかに難しい男だよ」


「ううむ」


 唸ったのはもちろんヘカト。一瞥をくれて、


「何て言えばいいのかな。(セトゲル)に大きな(セウデル)を飼っている」


 サルチンは(フムスグ)(しか)めて、


「もう少し解りやすくならんか」


 (エリウン)に白い(ホロー)を当てて、伏し目がちに言うには、


「ううん、そうだねえ。自信に溢れているようで、実は己を卑しんでいる」


「どういうことか」


 問うのはやはりサルチン。


「おそらく出自(ウヂャウル)のせいだと思うんだけど……。もちろん誰もそんなこと気にしやしないさ、あれだけの傑物だからね。でも誰よりも当人が最もそれを嫌っている」


「出自というとムルヤム氏、つまり無名(ネルグイ)の小部族(ヤスタン)であることか?」


そう(ヂェー)。南伯は野にある(カブラン)、野心をずっと育ててきたんだと思う。でも実際には兵は(すくな)く、笑面(だつ)を除いては人もいなかった……」


「ううむ」


「……野心ばかりが育って、実力(クチ)との乖離はますます拡がる。何ともかわいそう(ホールヒー)ではあるね」


 サルチンは腕を組んで言った。


「だが今や南伯の地位を得て、東原でその権勢に勝るのはヒィ・チノ・ハーンのみ。(ようや)く溜飲を下げたのではないか」


 するとミヒチは僅かに眉を(ひそ)めて、


「人の欲なんてものは(はて)がないよ」


「南伯にはさらなる大望があると……?」


 ミヒチは(ヌル)を上げると、


ええ(ヂェー)。自力では成しえない、とてつもない大きな望みが。南伯はそれをハーンに託すことで己を慰めている。あの尋常ではない忠心の(ヂュルケン)はそこにあると思う」


「何と……」


 サルチンは言葉(ウゲ)を失う。そこで唸ってばかりだったヘカトが(アマン)を開いて、


「そう言えば南伯は言っていたな。草原(ミノウル)をすべて手に入れてヒィ・チノを『諸王の王』にすると。……あれは本心(カダガトゥ)だったか」


 首を振って答えて言うには、


「恐ろしいと思ったのは、むしろそのあとさ」


「ん?」


 ヘカトは首を(かし)げる。ミヒチは(ニドゥ)を吊り上げて、


「何だい、何とも思わなかったのかい! 南伯が言ったろう。『ハーンは人衆(ウルス)の頂点にあらねばならぬ』、『いかなるものも及ばないから尊い』って」


「たしかにそんなことを言っていたな」


「続けてこうも言ったよ。『そう思っているからこそハーンに従い、これに仕える』ってね。恐ろしくないかい?」


いや(ブルウ)、それがいったい……」


 いよいよ苛立って言うには、


「何と! 鈍いのは顔だけにしとくれよ。南伯は言ったんだよ、『ハーンが頂点にあるから仕える』ってね」


 サルチンがはっとして、


「つまりそれは……」


そう(ヂェー)! そうじゃなくなったら、あるいは南伯が()()()()()()()()()()()()、ハーンに従う道理(ヨス)がなくなるってことさ!」


「ううむ……」


 ついに二人とも黙り込む。ミヒチは半ば独り言のように、


「そんなの南伯の心象次第。これはなかなかに(あや)ういよ……」


 その場は何となく散会となり、サルチンはミヒチに礼を言ってこれを返す。




 一礼して辞去したミヒチは自室に戻りかけたが、ふと立ち止まって、


「ああ、もうしかたないね。笑面獺にも会っといてやるか」


 あちこち尋ねて、やっと一室にヤマサンを見つけだす。近づいて拱手すると、


「ナルモントのミヒチと申します。今、よろしいですか」


「ああ、白夜叉殿ですね。お噂はかねがね。どうぞおかけください」


 ヤマサンが指した席に着座する。対面に腰を下ろすと、


「わざわざどうしたのですか」


「ハーンより光都(ホアルン)を託された高名(ネルテイ)な笑面獺殿に挨拶しておこうと思って。昨日の宴席にはお見えにならなかったので」


 からからと笑うと言うには、


「ああ、それは失礼しました。案外に忙しくしておりまして」


 それから半刻ほどあれこれ会話しながら観察する。ヤマサンは終始笑顔を崩さず応答は軽快にして即妙、ときに雑ぜる戯言にも智慧の一端が見える。ミヒチも楽しげに応対していたが、やがて言うには、


「おや、お忙しいのにすみません。そろそろ失礼します」


「かまいませんよ。白夜叉さんのような方なら、いつでも歓迎します」


「ありがとうございます。ではこれで」


 礼を言って席を立つ。ヤマサンはその姿形(ウヂェスグレン)(テリウ)から(フル)まで瞬時(トゥルバス)に眺め回して、嘆息しつつ言うには、


「貴女は、世に謂う美人(ゴア)ではないかもしれませんが、何とも言いがたい魅力がありますね。ぜひまたお会いしたいものです」


「あら、どうも。また縁があれば会えるでしょう。では」


 やや早足に室を出るや、険しい表情になって再びサルチンを訪ねる。

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