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草原演義  作者: 秋田大介
巻一〇
546/783

第一三七回 ②

コテカイ書庫を訪ねて笑面(だつ)(とが)

ミヒチ南伯を評して楚腰公に告ぐ

 一丈姐(オルトゥ・オキン)カノンが城門(エウデン)の脇に立っていて、三人の姿(カラア)を見るや両手を挙げて駈け寄る。


「待ちかねたよ! ああ、みんな久しぶりだね、息災だったかい(メンドー)?」


「相変わらずだよ。わざわざ出迎えてくれるとは嬉しいねえ」


 相好を崩して互いに再会を祝す。その後ろから恐る恐るゾンゲルも(ヌル)を出して、ずいぶんと恐縮しながら言うには、


「その節(注1)は失礼しました」


 カノンはおおいに笑って、


「私はもう気にしちゃいないよ。いったいいつの話をしてるんだい。あれも縁だ」


 一同は(アクタ)を下りてこれを()きながら、ぞろぞろと大路(テルゲウル)を進む。中央(オルゴル)の庁舎に至ると、門衛(エウデチ)に断って中に入る。


 一室に通されると、すでに楚腰公サルチンと嫋娜筆(じょうだひつ)コテカイが待っていた。酒食が運ばれて主客相分かれる。久闊を叙して乾杯する。飲みながらあれこれと話していたが、ふとミヒチが尋ねて、


「おや、笑面(だつ)の姿が見えないけど」


 コテカイが答えて、


「誘ったのだけれども、用があるとかで……」


 カノンが首を(かし)げて言うには、


「あの人は渾名(あだな)のとおりいつもにこやかで人当たりも柔らかいのだけど、こういうときは(ドゥグイー)に加わろうとしないんだよ。だからもうひとつ何を考えてるか判らないのさ」


 サルチンが軽く制して、


「笑面獺は職務(アルバ)に忠実な能臣。ここにはあくまでハーンの付託を受けた傭兵(ヂュイン)の長として在る。節を守っているんだろう」


「ははあ、難しい男だね。あの温顔がかえって不気味だよ」


 呆れ顔でカノンが言う。ミヒチは黙ってこれも観ている。と、コテカイが遠慮がちに(アマン)を開いて、


「実は楚腰公にも黙っていたことがあるのですが……」


 何を言いだすかと思えば、やはり笑面獺ヤマサンのこと。しばらく躊躇(ためら)っていたが意を決して、


「先日のことです……」


 とて話しはじめたのは以下のようなできごと。




 庁舎に(バリク)公文書(デプテル)を保管している一室がある。秘書官(ビチクチ)としてその管理にも携わっているコテカイは、ある(ウドゥル)、中に人の気配を感じてそっと様子を窺った。


 すると財政に関する文書を納めた棚の前にヤマサンの姿を認めた。なおも見ていると、棚から文書を取り出しては開いてあれこれと眺めている。どうやら何かを探しているようだが、はっきりとは判らない。


 (たま)らずコテカイは一歩を踏みだす。今にして思えば(あや)うい行動だったかもしれないが、そのときは必死だったのである。


「そこで何をしているのですか」


 (ダウン)が震えていたかどうかは覚えていない。ヤマサンははっとしてひどく驚いた様子だったが、すぐにいつもの笑顔を取り戻すと、


「やあ、嫋娜筆。相変わらずお美しい。なあに、ちょっと興味があって帳面を眺めていただけですよ」


「何をお(しら)べになりたいのですか。言ってくだされば私が……」


いえ(ブルウ)、とんでもない。私は草原(ケエル)の、それも小さな部族(ヤスタン)出自(ウヂャウル)。なので(バリク)の文書とはどんなものか見てみたかっただけです。でもさっぱりわけがわかりませんね、あはは」


 そう笑いつつ棚に文書を戻して去ろうとする。擦れ違いざまに言うには、


「まことに嫋娜筆は賢くて美しい。どうです、今度一緒に飲みませんか」


 コテカイは身を固くして答える。


「どうもありがとう。次に一丈姐たちと飲むときはお誘いします。それより、ここには重要な書類が数多あります。(みだ)りに立ち入らぬようお願いします」


はい(ヂェー)。これは迂闊でした、申し訳ない。美人(ゴア)の願いとあらば何でも聞きますよ。もう二度と来ません」


 コテカイは通りすぎた(ノロウ)にさらに声をかけて、


「何かあれば私におっしゃってください。(しら)べてお教えしますので」


ありがとう(バヤルララ)。でもそういうんじゃないんですよ」


 顧みることもなく歩み去る。コテカイは急いで文書をよくよく(あらた)めたが、なくなったものはないようであった。それから書庫の管理について再考し、衛兵(ケプテウル)を配したり、印璽を造り替えたりした。




 さて、これを聞いてみな等しく唸り声を挙げる。サルチンが尋ねて、


「嫋娜筆の印象として、どうだ。笑面獺の弁明は信が置けるか」


「しかとは判りませんが……。ただ見たかっただけというのは、どうも腑に落ちませぬ。それに、あれほど有能なものがわけがわからぬはずもないと思うのです」


 ミヒチが口を挟んで、


「すると笑面獺は(クダル)()いたことになるね」


「もちろん、はっきりとは判らない。案外、言うとおりかもしれないし……」


 ヘカトが尋ねて、


「ちなみに何の文書を見ていたのだ」


「主に兵備に関するものです。武具や馬具、軍袍など……」


「ふうむ」


 それっきり何も言わない。サルチンが雰囲気を変えんとて声を挙げて、


「判らぬことを憶測で述べ合ってもしかたない。笑面獺はハーンの信頼(イトゥゲルテン)ある家臣(アルバト)。ゆえなく疑うのはよくない。その件は()いて、飲もうではないか」


 みなほっとした様子で再び料理(シュース)に手をつける。しかしミヒチは見逃さなかった。サルチンが僅かに目を曇らせたのを。とりあえずこの話もここまでにする。

(注1)【その節】カノンが光都(ホアルン)に向かう途上、野盗(ヂェテ)だったゾンゲルに襲われたが、偶々(たまたま)居合わせたヒィ・チノらに救われたこと。第三 四回①参照。

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