第一三七回 ①
コテカイ書庫を訪ねて笑面獺を咎め
ミヒチ南伯を評して楚腰公に告ぐ
さて白夜叉ミヒチは、ハーンに命じられてやむなく中原へ赴くことになった。ともに行くのは病大牛ゾンゲル、また光都までは鉄面牌ヘカトも同道する。出発の朝、不意に鳳毛麟角ツジャンが訪ねてきて言うには、
「光都に行く前に南伯を訪ねてほしい」
「それで?」
「ううむ。よく観て、思ったことを鉄面牌と光都の楚腰公に伝えておいてくれ」
というのは、ツジャンはその当初より隻眼傑シノンについて、「人の下風に立つものではない」と疑ってやまなかったからである。ただミヒチにはその懸念について伝えなかったので、首を傾げながら承知する。
道中は飢えては喰らい、渇いては飲み、夜は休み、朝に発つお決まりの行程。「楚腰道」と称される駅站を南へ下っていく。駅を辿るおかげで、眠るところや糧食について心を煩わせることもなく、無事に南伯のアイルに達する。
先に軽騎を遣って到着を告げていたおかげで、すんなりとシノンのゲルに通される。ミヒチらを迎えて言うには、
「ハーンの勅命を奉じて中原へ参られるとか。ご苦労なことよ」
ヘカトが丁重に答えて、
「東原がよく治まっているのは、南伯のおかげです。ハーンは常に南伯を称えておりますぞ」
「それは光栄。さあ、ヘカト殿、それから随従のお二人も寛いでくれ」
どうやらシノンは少しばかり思い違いをしているようであった。命を帯びたのはミヒチであってヘカトではないのだが、毫も疑う様子はない。
ゾンゲルがむっとして誤りを正そうとしたが、なぜかミヒチはそっと制する。同時にヘカトにも目配せする。のちにヘカトがわけを問えば、答えて言うには、
「そんなことを指摘して互いに恥を掻くことはないだろう。それに鳳毛麟角から『よく観ろ』と言われていたからね。何だかこれはそのままにしといたほうがおもしろいと思ったのさ」
それはさておきシノンは上機嫌で、自信と気概に満ち溢れているようだった。もとよりヘカトは口数が少なく、また常には舌の滑らかなミヒチも遠慮して話を促すばかりだったので、酒の力も加わっておおいに壮語しはじめる。
相伴せる近臣は、帰順した小部族の中から登用されたものであったが、いずれも凡夫の類にてシノンを誉めそやすばかり、異を唱えることもない。それもそのはず、みな南伯に恩義があり、その才略と権勢を敬っているのでやむをえない。
幼いころからの盟友である笑面獺ヤマサンがあればまた違っただろうが、光都の防衛を託されているためここにはない。
とはいえやはり隻眼傑は英傑と称されるに相応しく、言葉の端々に才気が横溢する。それにはヘカトもミヒチもおおいに感心する。また神箭将ヒィ・チノを敬慕することも尋常ではなく、目を輝かせて言うには、
「俺はハーンを翼けて、東原のみならず草原すべてを手に入れたい。ハーンは、『諸王の王』としてこれに君臨するのだ。わくわくするだろう」
また言うには、
「ハーンは一世の英雄、草原にこれを超えるものなどあろうはずがない。ハーンは常に人衆の頂点にあらねばならぬ。日輪はテンゲリにおいて群を抜いて明るく、いかなるものも及ばないからこそ尊い。俺はそう思っているからこそハーンに従い、これに仕えるのだ」
そのハーンにときに直言して憚らぬミヒチは内心やや辟易したが、面には出さずに言った。
「南伯の忠心は全人衆の範となりましょう」
シノンは目をぎらぎらさせて喜ぶ。またしばらく飲んで、漸くミヒチが言った。
「ヘカト様、明日も早く発たねばなりません。そろそろ」
「あ、ああ。そうだな」
そう言って丁重に礼を言って辞去する。それぞれ案内されたゲルで一泊して翌朝、シノンに挨拶すれば、
「よく中原を査べよ。いずれこの隻眼傑がハーンに奉呈してくれようからな」
三人は苦笑しながら、はいともいいえとも言わずに出発した。しばらく行ったところでヘカトが尋ねて、
「鳳毛麟角から南伯を観るよう言われたのだろう。で、白夜叉はどう思った?」
するとやや暗鬱な調子で答えて言うには、
「光都に着いたら話すよ。楚腰公にも伝えるよう言われたからね、幾度も同じ話をしたくないじゃないか」
「ふうむ」
ヘカトは唸ったきり黙り込む。するとゾンゲルが堰を切ったように、
「わしはどうにも合いませんなあ! そもそも姐さんを随従と決めつけるなんて失礼な奴じゃありませんか。周りに侍る連中も……」
たちまちミヒチは怒鳴りつける。
「うるさい、お前のことなんて聞いちゃいないよ! ああ、解ってるよ、お前がどう思ったかなんて。何せ長い付き合いだからねえ」
「へへへ……」
にやにやしていると、
「ぼうっとしてると置いてくよ! 先はいやになるほど長いからね」
さっと馬腹を蹴る。ゾンゲルは無論、ヘカトもあわててこれを追ったが、くどくどしい話は抜きにする。
さらに楚腰道を下って旅は続く。ことがあれば話は長くなり、なければ短くなるもの。さすが隻眼傑の駅站経営は完璧で、やはり無事に光都に至る。